今回は、月刊「祭」史上初、西洋に目を向けてみます。
祭前につき、早めの10月号刊行です。
キリスト教に目をむけてみました。
兵庫県加西市大日寺 地蔵の裏に刻まれた十字架
隠れキリシタンの信仰をうかがえる。
●ダヴィンチコードでの説(ネタばれ注意!!)
十年近く前になりますが、ダヴィンチコードという映画や小説が日本でも話題になりました。
おおよその内容は、
p イエスキリストは、実はマグダラのマリアと結婚し子どもをさずかっていた。
q そのことを、ダビンチの作品が語っている
r その子孫を守る集団が今でも残っており・・・・・!?
といったところでしょうか。
もちろん、それに対する批判もかなり出ているようです。
ですが、この記事では、本当にイエスキリストが子どもを残したのかどうかについて明らかにするつもりは、一切ありません。
しかし、聖書には、キリストが子どもを生んだと信じている人の意見を反映している部分がある・・・・かも(あるいは、イエスキリストが子どもを残したという伝説の発端)!? という指摘。つまり上のpについて考えていきたいと思います。
ちなみに、ラテン語、ヘブライ語、ギリシア語等は一切読めない書けない聞けない、英検2級、ヨーロッパ、イスラエルへの渡航経験なしの管理人による指摘なので、話半分で読み進めていただくようお願いします。
つまり、
信じるか信じないかは、あなた次第です(「やりす× コージー 都市○説 関△夫」)
の精神で読んでくださるようお願いします。
●三位一体説の成立と新約聖書
にわか歴史ブロガーの強い見方ウィキペディアによると、4世紀の二カイア公会議で三位一体説が、キリスト教の公式教義であるとローマ帝国でなされたようです。ちなみに三位一体説とは、精霊、神、イエスが実は一体のものであるという考え方といえばいいでしょうか。
一方、新約聖書は、これもまたウィキペディアによると、3世紀にはおおよその形態ができていたようです。現在の聖書が形作られるのは、各種書簡の選定作業ですが、その作業をしたのが、マルキオンという人だそうです。そして、そのマルキオンもまた、イエスキリストを神だと考えていたようです。
●二つの立場から見た「マリア」
さて、私の知る限りでは、聖書には二人のマリアが登場します。
一人が聖母マリア、もう一人がマグダラのマリアです。
聖母マリアは天の神の子・イエスキリストを処女のまま身ごもります。いわゆる処女懐胎説話です。
マグダラのマリアは、聖書の中ではイエスキリストの弟子の一人ですが、イエスキリストが子どもを残したという伝説の母親ともされています。
さて、前述の神とイエスキリストは一心同体という考えが気になります。神とイエスキリストが一心同体となると、その配偶者とされる二人のマリアも一心同体とみなす考え方はそんなに無理はないといえそうです。
父なる神との配偶者。後にイエスキリストの配偶者ではないかという話もでてくるマグダラの女性。二人の女性の名前が一致する伝説を選定したか、書き換えをしたかどちらかということは言えそうです。
●伝説から聖書? 聖書から出た噂?●
聖母マリアと マグダラのマリアと、神の配偶者とイエスキリストの配偶者とされる人の名前が同じ背景について考えてみました。1-a「伝説(もしくは史実)から聖書(イエスキリストの子懐妊の代替として)」、1-b「伝説(もしくは史実)から聖書(イエスキリストを神に昇華するため)」、2の「聖書から出た噂」のどれかということが言えそうな気がします。
1-a イエスキリストは本当に子どもを残した、あるいは子どもを残したという伝説がありその説を主張する人の声を無視できなかった。よって、イエスキリストとマグダラのマリアとの婚約・懐妊を、三位一体説では同体となる神と聖母マリアの処女懐胎説話とイエスキリストの死後の復活譚で代用した。
キリストの処刑後に復活したことを祝う復活祭に用いられる卵・イースタンエッグ
(国立民族学博物館の展示)
1-b イエスキリストは本当に子どもを残した、あるいは子どもを残したという伝説があり、そのイエスキリストを神と同体とするために配偶者とされていたマグダラのマリアと同じ名前を聖母にも冠した。その後、キリストの子をマグダラのマリアが生んだという出来事を、イエスキリストの死後の再生と、神と聖母マリアの処女堕胎で表現した。
2 聖母マリアとマグダラのマリアの名前が同じなのは、たまたまの一致か、別の理由によるものである。その後三位一体説が正式教義となったので、神の配偶者である聖母マリアと同じ名前のマグダラのマリアをイエスキリストの配偶者であり、子どもを宿したとする説が生まれた。
私個人の印象としては、1bの「伝説から聖書(イエスキリストを神に昇華するため)」というのが妥当な気がします。
というのは、聖書を選定したマルキオン自身の思想的立場からです。というのは、イエスキリストと神を同体と考えていたので、それを裏付ける伝説を選定したのではないかと考えられるからです。
そのさい、下のABいずれかの作業を行い(個人的にはAだと思います)、それぞれの配偶者を同じ名前にすることで、イエスキリストと神の同体化をより強めたと思われます。
Aイエスキリストを人間と主張する者たちの中で、イエスキリストの配偶者とされていたマリアなる女性を、イエスの父なる神と処女懐胎する聖母にも冠した。
Bイエスキリストの父なる神と処女懐胎した聖母マリアと同じ名前を、イエスの配偶者と後に伝説として残るマグダラの女性にもつけた。
以上、1-a,1-b,2がイエスキリストの子どもに関して聖書と三位一体説から考えられそうなことです。そして、ABが、1-bが成り立つとした場合に考えられる聖書の編集もしくは、選定作業です。
☆2014年8月23日現在、月刊「祭」編集部オシの見解☆
ですが、編集部としては下の2点オシです。
1-b イエスキリストは本当に子どもを残した、あるいは子どもを残したという伝説があり、そのイエスキリストを神と同体とするために配偶者とされていたマグダラのマリアと同じ名前を聖母にも冠した。
●編集後記●
祭が近づいてきました。 にもかかわらずキリスト教の話ですが(^^;
写真が少なく一苦労でした。
私自身は、聖書はイエスキリストが子どもを残したと信じる人にも配慮して書かれたものだと考えています。ですが、それを理由に聖書の価値が下がるものだとは決して思っていません。
逆にそのような寛容性や優しさに満ち溢れた書物だと考えています。
今までの人生で、キリスト教の信者の方々にお世話になってきました。自転車で旅をしている時にパンを恵んでくださった方、無料で英会話を教えてくださった方、大学で切磋琢磨した友人たちのおかげでこの記事が出来ました。
アーメン。
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