お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

大掃除

2009年12月14日 | 雑感
 昨日は、法専寺の暮れの大掃除でした。

 師走のご多用のところを40名近くのご門徒の皆様にご参加、ご奉仕いただきました。

 男性は境内の外掃除、女性は、仏具おみがきと、本堂、門徒会館の掃除をしていただき、おかげさまで、内外ピカピカになりました。

 ご奉仕いただいた皆様、お疲れ様でございました。
本当にありがとうございました。

 おかげさまで、私の腰痛は、ほぼおさまりましたが、昨日も用心して動き、
重いものは、若い人に運んでもらいました。

 私は、娘におみがきの仕方を教え、夫は、お婿さんに おみがきの済んだ仏具の組み立て方、本堂の荘厳の仕方など、説明していました。

 
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自覚する

2009年12月12日 | 仏教
 ある方が、こう言われた。

「そもそも、悟ってもいない僧侶が、なぜ悟りを説けるのでしょう

 そうですね。私ごときが、仏さまって、どういう方なのか、ご紹介したことで、かえって混乱を招いてしまいました。

 私は、「悟り」を論じているつもりは、毛頭ありませんでしたが、結果、そう誤解をあたえたのでしたら、お詫び申し上げます。

 浄土真宗のお坊さん方は、「あなた達、悟りなさい」と、上から目線で説いているのではありません。

「悟り」とは、各人のいかなる思想も感情も一切まじえない
 「無我」なんですから、

 いつも、自分の思想、感情に 心を支配されている人間(もちろん、私のこと)が、自分の力(自分の考え方のまま)で 悟れるわけない ってことを、
 しっかり、自覚する

 
 また、私は、目に見えるものしか、気づかず、
私は私の力で、生きている と、
傲慢な考えになりがちですが、
どれだけ、目に見えない 多くの はたらき にささえられて、生きているか

 その目に見えない「おかげさま」の中で、
私は、生かされて、生きている と、自覚する

 ピッカピカの仏さまの前に 私を恥じる

 自分の愚かさを「自覚」させられる 

 その仏さまに気づかされた自分の心(阿弥陀さまに感謝の心)味わいをお話させていただいているつもりです。(エラソウに聞こえているのでしたら、私の未熟ゆえのことです。お許しください

 それにしても世間の方々、特に都会にお住まいの方ほど、「僧侶」には、「悪代官」のようなイメージをお持ちの方が多いですね。

 これは、やはり、お坊さん側の責任が大きいと思いますが、

どうでしょう? その「悪代官」さんと、じっくり、話をしてみられたら?

 かく言う私自身が一番「悪代官」なのかもしれませんね。

「エラソウなことばかり、言いよって、おぬしも悪よのう、うひゃっひゃ」と。

 「悪」の自覚が足りないのは、私自身でした。

 
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新門様ご夫妻が

2009年12月09日 | 行事・案内
 7日月曜日、新門(浄土真宗本願寺派 次期門主)ご夫妻が、佐賀(本願寺佐賀教堂)に、おいでになりました。

 帰敬式(仏弟子となって法名をいただく儀式)などの法要が、執り行われ、夕方から懇親会があったようです。(私は、参会していないので、詳細は、わかりません)

 夫・住職が出席させていただきましたが
 
 新門様ご夫妻は、腰の低い、気さくな方でいらっしゃったそうです。

 
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香しい?

2009年12月08日 | 雑感
 土日は、住職が勤務先のイベント?世話役で、そちらに出かけていたため
住職代理で2日間7ヵ所の法務に走り回りました。

 寒い時期、お仏壇に向かい、線香を供えると

 冷たい仏壇の空気が暖かい室内に向かって流れる

 空気は、冷たい方から暖かい方に流れる・・・

ってことは、線香の煙が、真正面に座って読経している僧侶に向かってブワッ~っと流れてくるんです。

 で、何軒もお参りに回っていますと、いろいろな線香の香りで薫製のようになります。
 

 仏の教えが身についた香しい人 なら、言うことないのですが、
私の場合、ただ単に、「線香臭いオバサン」となっております。

 その翌日月曜日、久々に何も予定がなく
 「さあ、年末だし、納戸でも片づけるか~」と張り切って、
 米びつにお米を移そうと持ち上げた瞬間
 グキッ 
 「ああ、やっちゃった~

 そうです。腰を痛めてしまいました。
 動けないほど重症ではありません。

外科に行ったところ、
 腰椎は大丈夫。腰の筋肉断裂(肉離れ? 腰の捻挫?)だそうで、痛み止めと筋肉をほぐす?飲み薬と、膏薬をいただいて帰りました。(娘がいてくれて、よかった

 今、かろうじて二足歩行をし、同じ姿勢で動かなければ、さほど痛みはありませんが・・・

 立ったり座ったり・・・寝返りも、パンツ、靴下をはくのも、なかなか難儀しております。

 
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「仏さま」って何? その2

2009年12月04日 | 仏教
 キリスト教は、神ありき から出発します。

 仏教は、「私」を問題 とするところから出発します。 
どうして、「私」がここにいるのか
どうして、私は苦悩するのか 

 その根本解決のために、仏さま に出遇っていく、そして、仏さまに救われていく。
それが、仏教です。 

 「仏さま」とは、真理(法)を覚った方、なのですが、
 
 何のこだわりもなく、あるがまま、物を見る智慧を持っておられる方ので、
その智慧の光で(一点の曇りもない鏡のように、私たちの心を映し出して)、私たち人間が、いかに各人、自分勝手な物の見方をしているか に気づかせてくださる。

 また、「仏さま」とは、
「私」のように、自分の考えに、とらわれ、苦しんでいる者を、
自分と同じように覚らせたい、救いたい(苦しむ心を軽くしてやりたい)
と、大きな慈悲の心で、「私」に、はたらきかけて、くださる方

 その数多い「仏さま」の中で、一番、慈悲深く「出来の悪い私」をも、「何とか救ってやらねば」と、願って、思いつづけてくださる「仏さま」のことを

 阿弥陀如来 と称します。

 

 
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「法」って何なのか?

2009年12月02日 | 仏教
 何だか、仏教で意味する「法」ということに
誤解があるように思います。

 仏教で言う「法」は、
人間が作った「法律」(その宗教内において、守るべきもの、従うべきもの、戒律)のことではありません。

 むしろ、自然科学における「法則」をイメージしていただいたほうが、より近いと思います。

 稚拙な例えですが

 例えば、「テーブルの上に、真っ赤な林檎が、1個ある」とする

 それを見て、林檎が大好きな人は「まあ、美味しそうな林檎」と見るでしょうし、
林檎が嫌いな人は「うわっ、酸っぱそうな林檎」と見るかもしれない。

ある人は、気にも留めない(林檎があること自体、気づかない)かもしれない。

 また、ある人は「お腹すいたけど、1個しかない・・・これ、食べていいの どうしよう」と迷い、
また、ある人は「私のために、私の好物を置いてくれていたに違いない」と考え、

ある人は「私の嫌いなものをテーブルに置くなんて、嫌がらせに違いない」と考えるかもしれない。

 私たち人間は、自分の価値観・思想を通して、自分の見たいように、物を見る。


 
「テーブルの上に、真っ赤な林檎が、1個ある」

それは、事実(真実)であり、何の感情もはさまない「あるがまま」=「法」である。

 
 

 

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バス旅行で その2

2009年12月01日 | 雑感
 昨日の続きです。

 「青春の門」で有名な香春岳の麓にあるS寺さん
 見事な紅葉を背景に立っていて、うっとり。
 
 境内には、よく、猿が出てくるとのことですが、
 今回は、佐賀からの参拝者に恐れをなしたのか、お猿さんは出てきませんでした。

 ご住職にご法話いただいた後、
前坊守さんとご一緒に、ご住職のギター伴奏に合わせて、佐賀発の仏教讃歌「ひとりじゃなかもん」を歌い、
由緒あるお座敷で、お茶をいただきました。

 S寺さんでお世話になった後、関門大橋を渡って、下関へ。
 
 食事・休憩の後、唐戸市場(鮮魚市場)で買い物をして
帰宅の途につきました。

 風がいささか冷たかったものの、幸い、雨にもあわず、楽しい一日でした。

 ご参加くださったご門徒の皆様、ありがとうございました 

 同行して、ガイド、写真係、連絡係・・・とお世話くださった「お仏壇のH」のM氏にも感謝です。
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