保津川下りの船頭さん

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フィクサーと呼ばれた人

2004-12-22 11:07:11 | 船頭の目・・・雑感・雑記
先日週刊紙を読んでいたら、とても懐かしい名前と出会いました。

その人はもう故人となられている方ですが、生前はあらゆる業界に
顔が利くモンスターと呼ばれるほどの大物の方でした。

まだ駆け出しの新聞記者であった頃、いろんな事業、事件の
取材を進めていくと、必ずその人の名前に行き着きました。
当時の私にとってその人は、とてもミステリアスで
最も興味を引かれた人物でした。

それから数年後にお会いすることがあり、話を聞かせて頂く機会を得ました。

初めてお会いしたその方の印象は、とてもエネルギッシュで
上から覆い被せられる様な激しい圧力が全身から溢れている人で
これまでお会いした誰よりも重たく息苦しさを感じたのを覚えてます。

当時は私も仕事柄、各界で活躍されている方々にお会いする機会も多く、
力強い押し出しやオーラを感じることが多々ありましたが、なんとも
窮屈な心境になったのは初めてだった記憶があります。

後には、当時私達の進めていた企画の後立てをして頂いた縁で、
何度もお会いし、親しく声も掛けてもらってましたが、
若かった私のとっては最後まで緊張し気の抜けなかった方で、
まさに巨人でした。

また、多くの有名芸能人との交友も深く、夢とロマンに
生きる人達のスポンサーもされていた様です。

週刊誌の記事では、晩年の心境が綴られてありましたが、
多くの世話になった人達の手を返した様な裏切り行為もあり、
最後はとても無念な気持ちでおられたことだとお察しします。

しかし、あの人ほど、京都を愛し、京都のために
誰もできなかった仕事をしてきた方はいないと思います。

私も業界を去ってからはお会いする事もなかったですが、
世間のイメージとは異なった思い出がある方でした。

長年かけて地道に作りあげた強固な絆が、バブルという強大な泡の中に
飲み込まれ、浮き足立った泡は大きく膨らみ弾け跳び、跡形もなく消え去った。
あの方の人生にそんな印象を抱かずにはおけません。

バブルというあの狂気の時代の恐ろしさを改めて感じずにはおれません。