保津川下りの船頭さん

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昭和最後の生き証人、逝く!

2007-09-05 00:09:59 | 船頭の目・・・雑感・雑記
激動の昭和時代の生き証人、瀬島龍三氏が今日、逝去された。

学生時代、激動の昭和史を研究していた私にとって
氏の名前は強烈なイメージで、今も脳裡に焼きついている。

大日本帝国時、国家最高のエリート集団が集まる
旧陸軍大学校を首席の成績で卒業、その後、太平洋戦争開戦時
の大本営作戦参謀としてその中心に身を置き幾多の作戦を立案、
敗戦前の関東軍参謀として満州に赴任、その後旧ソ連の捕虜と
なり極限を極めたシベリアで抑留生活を送るなど、まさに
激動の昭和史の中心を歩いてきた人物だ。
シベリア抑留帰還後は伊藤忠商事に入社し、旧軍閥など
旧日本支配層の人脈を駆使し、繊維商社に過ぎなかった
伊藤忠商事を日本有数の総合商社にまで成長させ、
ビジネスマンとして頭角をあらわす。
ここでも終戦後の高度成長期、経済大国日本の中心に身を置く。

また、中曾根康弘元首相のブレーンとして「メザシの土光敏夫」
率いる臨調行政調査委員を務め、国鉄や電電公社の民営化に
辣腕を振るい戦後政治の世界でも中心的役割を果たした。

これの経歴を見るだけでも、氏が戦前、戦中、戦後の日本、
否私達個人の人生に大きな影響を与えた人物であることは
容易に察することが出来るだろう。

ちょうど中曽根臨調時代に学生だった私は、氏に興味を持った。
特に悲惨な結果に終わったあの太平洋戦争開戦、またその後の
作戦計画や終戦後旧ソ連の証人として氏がどういった役割し、
何をしたのか?という事実に強く興味を持った。
詳細はここでは書ききれないので触れずにおくが、
氏は生涯その真相には一切語らず、今日冥府に去っていった。

人間は完璧な存在ではない。生存の為には弱い面も見せる。
だから時に取り返しのつかない失敗をやらかすものだ。
その失敗の責任の所在も立場次第で解釈も異なるだろう。
しかし、失敗の原因を明確にし問題点を分析することは、
二度と同じ失敗を繰り返さない為に最も重要な事だ。
氏は氏自身しか知り得ない貴重な体験を証言する必要があった
と今でも私は思っている。それが氏が後年よく口にした
「愛国心」に適う生き方ではないかと思うのだ。
氏は後年、日本の戦後教育の問題点を鋭い視点で指摘してきた。
しかし、氏が本当に日本の将来を憂うのであるなら、
先ず語らなければならなかったことは、
日本の将来ではなく‘過去’ではなかっただろうか?

氏の死とともに、未来の日本に必要である高度な情報は
永遠に語られないまま、昭和史の闇の中へ消えていって
しまったことは確かなようだ。