保津川下りの船頭さん

うわさの船頭「はっちん」が保津川下りの最新情報や、京都・亀岡の観光案内など、とっておきの情報をお届けします。

お彼岸の入り、あだしの念仏寺へ~

2007-09-25 23:23:42 | シリーズ・京都を歩く
「彼岸の入り」に入ったというのに、まだまだ
暑い日が続いていますね。

お彼岸といえば・・・そうお墓参りです。
特に仏教徒ではない、我が家でもお彼岸には
家族でお墓参りをして、ご先祖さまを供養します。

我が家先祖の墓は‘あだしの念仏寺’にあります。

京都市右京区嵯峨野の小倉山麓の地、愛宕山の鳥居に
向かう参道にあるあだしの念仏寺は、約千百年前に野ざらし
になっていた土葬仏を、弘法大師が智山如来寺という寺
を建立し、埋葬して石仏を作り霊を慰めた場所で、
その後、法然上人の常念仏道場となり、念仏寺と称された。

今では観光スポットとして有名になった念仏寺ですが、
元々、この地は古来より葬送の地で、風葬からはじまり、
土葬となり、墓の代りに石仏を奉り、永遠の別離を
悲しんだ所で、明治時代は多くの無縁仏の石仏が
散乱埋没して、当時を知る人(祖父)の証言などでは
日中も薄暗く「少し不気味な場所」だったそうです。
観光雑誌の写真によく写されている、境内の多くの石仏や
石塔は、あだしの一帯に葬られた人々のお墓で、長い年月の
うちに無縁仏となり、この地に散乱埋没していたものを、
明治36年に集め。賽(さい)の河原に模して
「西院の河原」と名付け、整備したものです。

「あだしの」って珍しい呼び方は、儚さ、虚しさの意味で、
漢字では「化野」と書き、「生」が化して「死」となり、
この世に再び生まれ化る事、極楽浄土に往来する
願いを込めた意味だそうです。

先祖が嵯峨野出身の我が家は、いつからか、この
お寺に身内を埋葬することになり、御先祖さまの
お墓が西院の河原のすぐ近くに多く並んで建っています。

京都の嵯峨野と保津川、同じ観光地圏に観光業として
かかわっている今の自分に不思議な因縁めいたものを
感じながら「安全に仕事が続けられますように・・・」
と御先祖に祈るはっちんです。

ちなみに、寺に入る時は「墓参り!」と一言掛ける
だけで「受付」はフリーパス。
もちろん拝観料は入りません・・・