保津川下りの船頭さん

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慈しみの微笑み弥勒菩薩像と太秦・広隆寺

2008-01-22 23:59:51 | シリーズ・京都を歩く
日本古代史の中で平安京の遷都実現に大きな役割を
果たした豪族・秦氏の氏寺が、太秦にある広隆寺です。

車の往来が多い三条通りと路面電車「らんでん」が
並行して走る雑多な街並みに建つ広隆寺。
正面玄関でもある南大門をくぐると、周辺の
慌しい街の喧騒は ウソの様に一変、眼前に緩やかな
時を経た杜が大きく広がるのも京都らしくていい。

日本書記によると広隆寺は、推古天皇11年(603)に
秦河勝(かわかつ)が聖徳太子から授かった仏像を
安置する為に建立した京都でも最古の寺院。
京都では古代から現在に至るまで聖徳太子ゆかりの寺
「太秦の太子堂」として親しまれ、厚い信仰をあつめています。

広隆寺といえば、謎の微笑を浮かべ物想いにふける
「弥勒菩薩像」があまりにも有名ですが、それだけでなく
飛鳥時代の仏像群が見られる京都唯一の寺でもあります。

不思議な微笑を浮かべる「弥勒菩薩像」(国宝第一号)
も聖徳太子 が推古11年に朝鮮(百済か?新羅?由来は不明確)
から献上され、河勝に授けた像と云われています。

像本体は飛鳥(天平)時代に造られたものとされ、細く
しなやかな体躯、右足を左足の膝にのせ、右手を頬に
添えて、思いをめぐらす様なほんの少し開いた目、
口元には微笑みを浮かべるその姿は、
未来において衆生の救済方法を思案していると
いわれ、多くの人々の心を魅了してきました。

以前、この像に心奪われた京都大学の学生が、頬ずりを
しようとして像の右手薬指を折った、という話を何かの本で
読んだ記憶がありますが、私が訪れた時も、鑑賞している
多くの人が像の前に座り込み、心で対話されている姿を
目にしました。

この弥勒菩薩像が安置されている霊宝殿には
四天王像や千手観音像など天平や平安時代の
仏像群が四方を囲み、身近に迫ってくる様な
迫力があります。
その目線は私達人間の心まで見透かす様で、
「実は鑑賞されているのは仏像ではなく、私達の方なのでは?」
と自分が仏に見定められる感覚に襲われる不思議な空間。

平安京が造営される前に建立された京都の歴史より
古い寺で、数ある都の戦乱にも消失することなく
現存している仏像たち。これこそ、まさに‘奇跡’。

釈迦入滅後、59億7000万年後にあらわれ
衆生を救うといわれる弥勒菩薩の光明を
感じずにはいられない広隆寺。

皆さんも四方を仏様に見守られながら、
慈しみの微笑みを浮かべる弥勒菩薩像と
向き合い、心眼を開いてみてはいかがでしょう。