アメリカで空手を愛好する人達を日本へ
招待するイベントでのこと。
私が京都観光の案内していると、年配のアメリカ男性が
話掛けられてこられました。
その男性は「初めて日本に来てみて、空手が日本から伝わったのが
よくわかりました」と感慨深げに話されます。
「それは、どうして?」と私が聞くとその年配の男性は
「日本の空手家たちと交流し、一番印象的だったのは
「技や組手の強さではなく『礼節が徹底した稽古中の態度』
だった。素晴らしい」と述べられ、続けて
「日本の道場生は師範の指導中、目線を動かすことなく、
師範の一言も洩らしてならないと、発せられる言葉一つ
一つにしっかりした返事をしていて、気持ち良かった
それに、指導員や高段者が白帯や下の級も者にも
しっかり自分から挨拶をしており、接し方も非常に丁寧で
しかも我々他国の人間にも同じ接し方で、おごる事がない。」
「気品と誇りを感じた」と理由を述べられた。
そして「我々アメリカ合衆国が今、最も必要な精神だ」
と自国を憂いながら話されたのです。
彼の職業は合衆国政府の高官で、当時の大統領の側近
だったのです。
今、空手は海外約120ヵ国、3000万人以上の愛好家を
有する世界でも人気のスポーツに成長しました。
その魅力の大きな要因は護身性もさることながら、
この男性の様に、空手中に流れる精神性を
挙げられる場合が多いのです。
特に「礼節の姿勢とその心」には大きな関心と注目を
集めています。
日本には古来より、茶道や華道、武道など一つの物事を
表現する中に「道」という精神性を入れるという
慣わしがあります。
そのどれにも共通するのが「礼に始まり、礼に終わる」と
いう礼節の心です。
その礼節の心に、技術以上の大きな魅力を海外の人が
感じているというのです。
空手は武術ですから礼をした後にすることは、相手を殴り蹴る
という戦闘行為です。しかしこの相反する行為の中に礼節の精神を
組み入れることで、モラルが存在し、ルールが生まれます。
ルールを守らないスポーツや競技者は軽蔑され闘いの舞台からも
敗北者として下ろさせます。
それになにより礼節には、対相手を思う心を養うことを求められます。
それは、相手を‘感謝’し、相手を‘尊敬’する心です。
人間の営みはすべて他者がいて存在し、
他者が存在してこそ初めて自分が光ります。
競技も一人で強くなったり、上手くなることはあり得ません。
個人競技でも指導者に支えられ、他者と技を比べあう事で
自らの技量も高めることが出来るのだと思います。
「他者のお蔭で自分が磨かれている」という‘感謝’と‘尊敬’
の念を学んで自らの人生に活かしていくのが武道の本質と考えます。
これら要素を内在する「礼節の心」が、万国に共有できる精神で
あることを、私は海外の空手マンの人達から逆に教わった気がします。
空手を含め武道は日本が世界に誇れる立派な文化です。
今の世界は国際文化交流が盛んです。
それぞれの国がお互いの文化を知り合うことは、これからの
国際社会を考える上で重要な取り組みの一つでしょう。
そのためには自国の文化を伝えられる人材の育成が必要です。
我が斯道会空手道場では、空手を学ぶ子供たちが、武道の技と心
を養い、空手に限らず、あらゆるフィールドで世界を目指し
活躍できる人材に育ってほしいと願って指導しています。
そのためにも「礼節の心」習得は必須です。
最近の子供達(大人でも)「自分からすすんで挨拶をする」
人が少なくなっていると感じています。
それに比例して「感謝する心」や「尊敬する心」も稀薄に
なってきていると感じます。
道場ではまず「自分からすすんで挨拶をする」という
その簡単な行為、身近な一歩から始めてほしいと指導しています。
最もグローバルである為には、最も身近な足元、ローカルを
大事にしなければならないという逆説は、個人のレベルでも
あてはまると考えます。
前のその年配のアメリカ人男性が感動したように
日本人の「礼節の精神」は世界の人達が感銘を受ける
精神で、日本人が大切にしなければならない‘美徳’と
考えるからです。
先ず「すすんで挨拶」という簡単で身近な体験のなかで
国際感覚は磨かれる、私が体験から感じた礼節の心。
道場生に正しく伝えることが、武道家としての
私の使命だと感じる次第です。
招待するイベントでのこと。
私が京都観光の案内していると、年配のアメリカ男性が
話掛けられてこられました。
その男性は「初めて日本に来てみて、空手が日本から伝わったのが
よくわかりました」と感慨深げに話されます。
「それは、どうして?」と私が聞くとその年配の男性は
「日本の空手家たちと交流し、一番印象的だったのは
「技や組手の強さではなく『礼節が徹底した稽古中の態度』
だった。素晴らしい」と述べられ、続けて
「日本の道場生は師範の指導中、目線を動かすことなく、
師範の一言も洩らしてならないと、発せられる言葉一つ
一つにしっかりした返事をしていて、気持ち良かった
それに、指導員や高段者が白帯や下の級も者にも
しっかり自分から挨拶をしており、接し方も非常に丁寧で
しかも我々他国の人間にも同じ接し方で、おごる事がない。」
「気品と誇りを感じた」と理由を述べられた。
そして「我々アメリカ合衆国が今、最も必要な精神だ」
と自国を憂いながら話されたのです。
彼の職業は合衆国政府の高官で、当時の大統領の側近
だったのです。
今、空手は海外約120ヵ国、3000万人以上の愛好家を
有する世界でも人気のスポーツに成長しました。
その魅力の大きな要因は護身性もさることながら、
この男性の様に、空手中に流れる精神性を
挙げられる場合が多いのです。
特に「礼節の姿勢とその心」には大きな関心と注目を
集めています。
日本には古来より、茶道や華道、武道など一つの物事を
表現する中に「道」という精神性を入れるという
慣わしがあります。
そのどれにも共通するのが「礼に始まり、礼に終わる」と
いう礼節の心です。
その礼節の心に、技術以上の大きな魅力を海外の人が
感じているというのです。
空手は武術ですから礼をした後にすることは、相手を殴り蹴る
という戦闘行為です。しかしこの相反する行為の中に礼節の精神を
組み入れることで、モラルが存在し、ルールが生まれます。
ルールを守らないスポーツや競技者は軽蔑され闘いの舞台からも
敗北者として下ろさせます。
それになにより礼節には、対相手を思う心を養うことを求められます。
それは、相手を‘感謝’し、相手を‘尊敬’する心です。
人間の営みはすべて他者がいて存在し、
他者が存在してこそ初めて自分が光ります。
競技も一人で強くなったり、上手くなることはあり得ません。
個人競技でも指導者に支えられ、他者と技を比べあう事で
自らの技量も高めることが出来るのだと思います。
「他者のお蔭で自分が磨かれている」という‘感謝’と‘尊敬’
の念を学んで自らの人生に活かしていくのが武道の本質と考えます。
これら要素を内在する「礼節の心」が、万国に共有できる精神で
あることを、私は海外の空手マンの人達から逆に教わった気がします。
空手を含め武道は日本が世界に誇れる立派な文化です。
今の世界は国際文化交流が盛んです。
それぞれの国がお互いの文化を知り合うことは、これからの
国際社会を考える上で重要な取り組みの一つでしょう。
そのためには自国の文化を伝えられる人材の育成が必要です。
我が斯道会空手道場では、空手を学ぶ子供たちが、武道の技と心
を養い、空手に限らず、あらゆるフィールドで世界を目指し
活躍できる人材に育ってほしいと願って指導しています。
そのためにも「礼節の心」習得は必須です。
最近の子供達(大人でも)「自分からすすんで挨拶をする」
人が少なくなっていると感じています。
それに比例して「感謝する心」や「尊敬する心」も稀薄に
なってきていると感じます。
道場ではまず「自分からすすんで挨拶をする」という
その簡単な行為、身近な一歩から始めてほしいと指導しています。
最もグローバルである為には、最も身近な足元、ローカルを
大事にしなければならないという逆説は、個人のレベルでも
あてはまると考えます。
前のその年配のアメリカ人男性が感動したように
日本人の「礼節の精神」は世界の人達が感銘を受ける
精神で、日本人が大切にしなければならない‘美徳’と
考えるからです。
先ず「すすんで挨拶」という簡単で身近な体験のなかで
国際感覚は磨かれる、私が体験から感じた礼節の心。
道場生に正しく伝えることが、武道家としての
私の使命だと感じる次第です。