保津川下りの船頭さん

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65年目の広島・原爆忌、この日に思うこと・・・

2010-08-06 16:06:09 | 船頭の目・・・雑感・雑記
8月6日・・・今年もこの日がやってきた。

人類史上、例の見ない惨劇が起こった日。

65年前の今日、原子爆弾が広島に投下された日だ。

原爆忌がおこなわれた広島の平和記念公園には菅総理はじめ約5万5千人が参列し
犠牲者の霊を慰めた。
その中には潘国連事務総長やアメリカを代表して出席したルース駐日大使の姿もあった。
オバマ政権が掲げている「核なき世界の構築」の精神を受け、アメリカとして初めて
この平和式典に、代表者を参列させたことについては、素直に評価したい気持ちであるが、
アメリカ国内では今回の大使の参列には賛否両論の声明が出されている。

今回のオバマ政権の姿勢についての批判としては、
「参列は無言の謝罪に受け取られる恐れがある」とし、
「原爆投下で戦争の終結を早め、多くの若者(アメリカ人)の命が救われた」
「アメリカは正しいことをした」という論調だ。

この意見は一部の過激な保守派の意見ではなく、おそらく、多くの一般的アメリカ人の
意見だというところにこの問題の解釈の難しさがある。
私自身、アメリカにいた時、アメリカ人の友人から同じ様な意見を聞いた記憶がある。
そして今でもこれがアメリカの「公式見解」であることに変わりはない。

しかし、アメリカも含め、今や、世界の歴史家の検証の結果、この戦争早期終結説は
もはや説得力を失っており、原爆投下が明らかに新兵器による人体実験で
あったことは明白となっている。

アメリカは広島、長崎に異なった成分の原爆を投下し、その後、被爆者の治療には
一切あたらず、被害状況つまりどれだけの人間や街を破壊できたかの調査のみ行った
事実が物語る‘真実’がある。
そしてその人体実験のモルモットにされたのが、殆どが非戦闘員である広島の
一般市民14万人だった。4,000度以上の熱さの中、3時間以上もさらされた
広島市民たちの苦しみ・・・

だが、人類史上、類を見ないこの残虐行為について、アメリカという国やアメリカ人のみ
を責め、反省させることだけでは、深層を理解する上であまり意味がないと私は思っている。

人間という生きものの心には「自分の命を犠牲にしても他者の命を救う」ということもできれば
「原爆投下という人体実験をしても正当性を感じる」という極端に相反する二面性を
誰もが心の深層心理の中に潜み持っているという自覚こそが大切ではないだろうか。

原爆を我々日本人という黄色人種の東洋人だから、罪の意識も薄らいだという意識は、
我々自身の心にある異質なもの、思考、性格の異なるものへの‘小さな差別’の芽が
萌芽し、国益という大義名分により、正当性が持たれたという点に焦点を当てる必要が
絶対に不可欠だといいたい。

「善良な市民である」と思っている‘私’や‘あなた’が、原爆投下という悪魔のような行為を
行う当事者に簡単になってしまうのである。

さて、あなたは、自国という集団そして自己という個人的なエゴや欲望、
それを全面的に肯定する社会での生存競争という論理、そして優れた者が
劣った者を選別するという情念へ、痛烈な批判を行える自分自身であるのか?

そのことを、それぞれの胸、心に問いかける日、それが原爆忌であると思うのだ。


2010年 8月6日 豊田 知八