保津川下りの船頭さん

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‘汝、我と共に生き、我、汝と共に死す’ 先輩船頭S氏に捧ぐ。

2010-08-20 15:58:17 | 船頭
今日、先輩船頭のS氏が、あの世へ旅立った。

50を前にした道半ばでの旅立ちであった。
私の二年先輩であり、保津川下りがはじめて世襲制をやめ、一般公募による入社組だった氏。

すべてにおいて豪放で親分肌だった氏。
その面倒見のよさで、多くの後輩船頭に慕われ愛される存在であった。
時には我がままや皮肉っぽさから、ハラハラさせられるところもあったが、
それは氏の茶目っ気と優しさに消され、いつも周りの人を陽気にさせる明るさを持つ人だった。

私も入社当時は仕事の厳しさや遊びに付き合う大変さを存分に教えて貰った。
海、川を問わず釣りを好んだ氏とは、生涯最初で最後の船を出しての鯛とイカ釣りにも連れて行って貰った。
船酔いが酷くなり、何とか吊り上げた鯛を、釣り針から外すこともできない私に
「何しとんねん!情けない奴やな~」と笑いながら捌いてくれたことも楽しい思い出だ。

ところが、何としたことか、突然の病に侵され、約4ヶ月という闘病生活を余儀なくされた氏。、
船頭で鍛えた肉体と不屈の闘志と、親類や友人、同僚たちの限りない深い愛情に包まれ、
堂々と生を貫きと通す姿に、これまでと同様、再び保津川へ凱旋するものだと信じて疑わなかった。

しかし、与えられた寿命とでもいおうか、安らかに旅立っていかれた。

まだまだ道半ばで旅立ち。誠に悲しく残念なことではあるが、氏の凄まじい闘病と戦う堂々とした
姿は、見る者にどれだけ生きることへの勇気と情熱を与えたことか。
また、見守る者への愛情といたわりをかけていたことか。
氏の50年の人生は間違いなく価値のあるものだったと確信をもって氏の御霊に、
心からのお礼を申しあげる次第だ。

子どもの頃から身近な人の死を体験してきた私は、親から
「死ぬということは、古い着物を脱ぎ捨てて新しい着物に着替えるようなもの」
と教えられてきた。
この古き肉体は、創造の神からのかりものであり、魂は無限に生き続けるものと。
死ぬことは、かりものの肉体をお返しすることで、故に死は永遠の別れではない。
死は終局を意味しないのだ。氏の肉体は果てても、氏の魂はどこへも行かず、
新しいかりものの肉体を借りて再びこの世に生まれくると信じる。

私たちが、今、ここに存在する為には約10億年の昔から、魚から虫、鳥に畜類、猿から人へ
と滔々と流れてきた「いのちの大河」といえる生命の進化の歴史がある。
このいのちの大河を支えてきたものは、まぎれもなく多くの生命の死である。
多くの生命の死ぬことにより、生まれかわり、出変わりして、今、ここに私がいる。

いのちの死が、新たないのちの生を支えている。

死こそ生そのもの。死は決して孤独な別れではない。
氏は若くして私たちの前から姿を消しましたが、決して孤独ではない。
氏は一人ぼっちで死んでいったのではない。
氏を知る私たちひとり一人は氏と共に死んで、氏と共に生まれ変わる。
私たちもまた、ひとりぼっちではない。
私が知っている氏はどこかへ行ってしまったのではなく、永遠に、常に私と共にあるのだ。

私たちは生や死を超えて、常に氏と共にのみ存在しており、氏は、氏の生や死にかかわらず、
常に私たちと共にのみ存在している。
これが、実在すること、すなわち生きること死ぬことの絶対の事実なのだ。

この「いのちの大河」を氏の見事な竿さばきなら、なんなく流し切り、
また再び邂逅できる日を楽しみに待つことにしよう。

生前の氏のこと、こんな事を書いたら「なに、訳のわからんこと言っとんねん!」とまた、馬鹿にされそうだが、

‘汝我と共に生き、我、汝と共に死す’

我が生涯の師から教授していただいた、この‘言葉’を捧げ、
優しかった氏の御霊に、私たちの真実の愛情と感謝を謹んで申しあげる次第である。