創作日記&作品集

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1964年のバレーボール 後編

2018-04-21 06:57:06 | 創作日記
前日の続きです。



1964年のバレーボール 池窪弘務作

後編

――拝復
誘って頂いてありがとう。残念ですが用事があって行けません。それと、正直来年受験するか迷っています。
少し無駄話をしてもいいですか? 時間も便せんの余白も一杯あります。君も多分……。
入試に落ちた時、家に帰ると誰もいなかった。私に気をつかったのかもしれません。私は二階の自分の部屋に行かず、祖母の寝ている仏間に行きました。私の気配に祖母は目を開けました。枕元に坐って、
「あかんかったわ」
 と言うと、
「しゃないやん」
 と祖母は言いました。
久しぶりに会話が成立して嬉しかった。
明治十七年生まれの祖母は、今年から寝たきりになりました。明治ってどんな時代だろう。
――降る雪や明治は遠くなりにけり――
明治、大正、昭和と生きて、今は寝たきりになった。その人の末端に私はいる。私って何者だろう。突然変な話しになって済みません。
――何言うとんねんこいつ」――と思ったら、後は読まずに捨てて下さい。
祖母は道修町の薬問屋のこいさんとして生まれました。祖父はその店の番頭。道ならぬ恋です。結婚は許されたが暖簾分けは許されなかった。
『好き同士やったら結婚しなはれ。せやけど、二度とうちの敷居またがんといてな』
旦那さんはニコニコ笑いながら祖母と祖父に優しく言わはったそうです。ほんとはお腹に長男がいたはった。
祖父は独立して土佐堀に小さな薬種商を開きました。祖母は三人の男の子を産みました。長男は本家を継ぎ、次男は戦死しました。父は三男です。どういういきさつか詳しいことは知りませんが、祖父が亡くなって三男の父が祖母と同居するようになりました。
『おばあちゃんは、仏壇背負うてうちにきはってん』
いちびりの父はよく言ってました。
祖母は私が物心のついた時から家族でした。いつも私の味方でした。痴呆になり、父母の顔も分からなくなりました。でも、私は分かるようです。船場のこいさん。おてんばやったそうです。
八十才。人生をほとんど使い果たして、後は死ぬのを待つだけ。どんな気持だろう。私は想像もつきません。でも、私にもそんな日がやがて来る。必ず来る。
障子を開けると庭があり、今年も白木蓮が満開です。
塀越しに公園の満開の桜が見えました。
「――桜は咲いたのにうちは散った」――
気づくと祖母は眠っていました。
――どんな夢を見ているんだろう――
祖母のDNAも私の中にある。でも、それが何の意味があるのだろう。
――人間って孤独だなあ。私は私しか知らない。百人の友達がいても。私ではない――
お医者さんがやって来て、診察よりずっと長く父と世間話をしていました。その晩にはお坊さんが来て、枕経を上げていました。医者もお坊さんもご近所で長い付き合いです。
「うとうとしてる間に、あっちへ行ってしもて。死に目に会えへん親不孝な息子ですわ」
祖母に付き添っていた父は言いました。
「お母さんはあんたを起こさんように逝かはったんや」
お坊さんはお茶を啜りながら言いました。
父は薬剤師で、あの有名なT薬品のプロパーをしています。医師に頭が上がらないので、私に医師を薦めました。私が医師を目指した理由はそんなものです。
その父もひょっとしたらここにいなかったかも知れない。戦争中、『炭焼きの出来るもの』と言われて、即、手を挙げたそうです。――出来るものと言われたら、手を挙げや――と誰かに知恵をつけられていたのです。勿論炭焼きの経験なんてありません。でも、内地に残れた。そして私がいる。でも、誰かが父の代わりに激戦地に行ったかもしれない。父が呑気に炭を焼いている時に、父の代わりは戦死したかもしれない。炭焼きと私がいることの不思議。微妙につながってます。
それと、猫のミーコが消えました。祖母が亡くなったのと、ミーコがいなくなったのとどちらが先かは分かりません。あわただしい中で、誰も猫のことなど気にしていませんから。
いつもは祖母のそばで丸まっているのに。おばあちゃんがミーコを連れて行ったのかも。そう思って、ぶるっときた。それともおばあちゃんが亡くなったのでミーコが出て行ったのかも。
死に装束を着せられたおばあちゃんは、もう食べることも、眠ることも、息をすることもない。なんてのどかなんだろう。
私の生きる時間は、歴史の時間から見れば瞬きに過ぎないけれど、私には永遠なんだ。おばあちゃんも同じだと思う。繰り返しなんだ。どこにも私はいないし、どこにも私はいる。どこにもおばあちゃんはいないし、どこにもおばあちゃんはいる。
私の中を私だけの時間が通り過ぎていく。そして、二度と帰ってこない。一日が一秒になり、一年が一分になる。記憶という奇妙な時間に変わる。
変なことばかり書いてごめんなさい。
また誘って下さい。
               かしこ

返事は書かなかった。返事の返事はなんか未練たらしくって。それになんて書いたらいいのだろう。おばあさんのお悔やみを申し上げると数行で終わってしまう。ミーコを一緒に探そう。わざとらしい!
三ヶ月ほどして『また誘って下さい』に甘えて、模擬テストに誘った。猛暑の中汗まみれになり下手な文字を連ねた。小学生でももう少しましな字を書くだろう。
すぐにわずか五行の返事が来た。
 
拝復
私はお見合いをすることにしました。
相手は偶然お医者さんです。
父は今度は早すぎるとわめいていますが。
と言うことで、模擬テストは必要ありません。
                           かしこ

それから五十年余。
私の中を私だけの時間が通り過ぎて行った。そして、二度と帰ってこない。一日が一秒になり、一年が一分になる。あっという間に七十才の老人になっていた。人間とは孤独なものだと思う。独りで生まれ、一人で生きて、一人で死んでいく。誰も代わってくれない。Uさんは孤独な友達だったのかもしれない。
高校を卒業すると、高校時代の友達とはつき合わなくなった。大学も会社も同様にその時期毎に人間関係を切ってきた。それは私が孤独が好きなためだろう。親交を温める気になれなかったし、誰も誘ってくれなかった。その結果、友達の一人もいない孤独な老人になった。
妻とはそんな訳にはいかないから、四十五年も一緒にいる。
Uさんとも一度も会わない。私と同じ老人になっただろう。ひょっとすれば亡くなっているかもしれない。確認するすべもない。
手紙は大事にしまっていたが、小学生の時に貰った初代若乃花の手形と同じようにいつの間にかなくしていた。
Uさんは私の記憶という不思議な箱に仕舞われたままである。

          了
       平成三十年四月二十日(金)

2020年東京オリンピックもすぐにやって来る。年寄りの時間は早い。
1964年のオリンピック。
「えっ? そんな超昔にオリンピックがあったんですか」
「あったんだよ。俺たちの青春ど真ん中に」


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