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御前にて人々とも、また②
二日ばかりありて、赤衣着たる男、畳を持て来て、「これ」といふ。「あれは誰そ。あらはなり」など、ものはしたなくいへば、さし置きて往ぬ。「いづこよりぞ」と問はすれど、「まかりにけり」とて取り入れたれば、ことさらに御座(ござ)といふ畳のさまにて、高麗など、いと清らなり。心のうちには、さにやあらむなど思へど、なほおぼつかなさに、人々出だして求むれど、失せにけり。あやしがりいへど、使のなければ、いふかひなくて、所違へなどならば、おのづからまた言ひに来なむ。宮の辺(へん)に案内しに参らまほしけれど、さもあらずは、うたてあべしと思へど、なほ誰か、すずろにかかるわざはせむ。仰せごとなめりと、いみじうをかし。
二日ばかり音もせねば、疑ひなくて、右京の君のもとに、「かかることなむある。さることやけしき見給ひし。忍びてありさまのたまへ。さること見えずは、かう申したりとな散らし給ひそ」と言ひやりたるに、「いみじう隠させ給ひしことなり。ゆめゆめまろが聞こえたると、な口にも」とあれば、さればよと思ふもしるく、をかしうて、文を書きて、またみそかに御前の高欄におかせしものは、まどひけるほどに、やがてかけ落して、御階(みはし)の下に落ちにけり。
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あらはなり=無遠慮だ。ものはしたなく=つっけんどんに。あべし=あるに違いない。すずろに=思いもおよばない。忍びてありさまのたまへ=コッソリとご様子をお知らせ下さい。な散らし給ひそ=「な」……しないで。まろ=(男女とも用いて)私。思ふもしるく=思った通り。まどひけるほどに=(使いの者が)。
中宮から、紙がおくられ、畳が送られてくる。中宮の「とくまゐれ」の気持と、清少納言の複雑な心境が語られています。でも、これは本当のことでしょうか? 清少納言の夢の中の出来事のように私は思うのですが。
いよいよ、二月から、最も長い段に入ります。ここを過ぎればゴールは近い。
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