今朝、夫が家を出てほどなくして電話が鳴った。“公衆電話”と表示が出る。入院中の母から初めての電話である。管が外れ、電話のあるデイルームまで歩けるようになったのだ。朝の回診で、もしかしたら今日にも病理結果が出るかもしれない、と主治医のT先生から言われたという。午後行くからね、と電話を切る。
午前中の定例会議に出席後、今日も午後休暇を頂き、病院を目指す。
病室に入ると、母は昨日夫が差し入れてくれた雑誌をめくっていた。T先生は手術中とのことで、それが終わり次第面会してくださるとのこと。何時になるかはわからないが、覚悟して母に昨日の父の様子をデジカメで見せながら待つ。
ほどなくしてノックの音。母と同年齢の3人の女性が「友人ですが・・・」とお見舞いに来てくださった。お2人とは初めましてだったが、お一人は私が子どもの頃からの、母の長いお友達。当時と全然変わっておられず、すぐに分かりました!とご挨拶する。今やフォークダンス仲間なのだそうだ。
また一緒にダンスをしましょうね(お一人は2つ下、お2人は1つ上というのだから、80代婆会(失礼!)、恐るべしである。)と励まして頂いていた。長居も何だからと、椅子を借りてくる時間もなく、エレベーターまでお見送りして部屋に戻る。
とりとめのない話をしながら、思えば母とこんなに長い時間を過ごすのは一体どのくらいぶりだろう、と思う。いつも逢う時は父とセットでだったし、ゆっくり話すこともなかった。こうした時間もまた神様の贈り物なのだろう、と思う。
続いて、またもノックの音。今度は父がお世話になっており、母の退院後のお願いもしているデイサービスセンターのケアマネSさんが様子を見に来てくださった。母が木曜日に幻覚でSさんが出てきた話などをして笑いを誘っている。今後のことについて少し打ち合わせをしてから、エレベーターまでお見送りし、再び部屋に戻る。
夕方になってもお呼びがかからず、だんだん不安になってくる。ようやく声がかかり、看護師さんから別室に案内される。本人は、というと「(あなたが)聴いてきてくれればいい」となんだか他人事で、そっけない。なんという依頼心の塊!という言葉をぐっと呑み込み、面会室へ向かう。
T先生は私一人なのを見て案の定「あれ、本人は?」と訊かれる。「私に聴いてきて、というものですから、自分のことなのですけれど・・・」と言うと、苦笑いされつつホワイトボードに絵を描いて説明をしてくださる。PCの画面にも組織診断報告書が表示されている。
先生がおっしゃるには「術後の経過はすこぶる良好で、がんの顔つきも悪くない。パラパラと散らばる形ではなく、塊として大きくなった直腸がんである。大きさは5cm×4cm、大きさの割に深さが浅かった。筋層に浸潤しており、粘膜下層までリンパ管、血流レベルでは飛んでいく可能性もあるが、余裕をもって切ったので、断端は陰性。リンパ節廓清28個、全て転移なし。サイズの割には一番良い結果だったと思う。ステージとしてはⅡからⅢを想定していたが、結果としてステージⅠ。進行がんではあるが、まず大丈夫だろう。ステージⅢ以上は抗がん剤を術後補助療法として行うが、それも不要。良かったですね」と。本当にほっとして、「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
「今後5年間は転移の可能性がゼロではないので、3カ月毎に腫瘍マーカーチェック、半年ごとにCT撮影、1年ごとに大腸内視鏡検査をしていきます。腫瘍内科の先生からのセカンドオピニオンはもう要らないのでは、と思いますが・・・。」と言われ、「はい、結構です」と応える。
82歳、145cm35kgのチビッコサイズな母の底力、恐るべしである。先生に結果のプリントアウトをお願いし、病室に戻り、母にピースサインをして「抗がん剤しなくていいわよ」と言うと、母は一気に泣きべそ顔になる。あ~、よしよし、とんとんしてあげる、という感じ。どちらが母かもうわからないではないか。
「良かったね~」と言っていると、先生がプリントアウトした結果票を持ってきてくださる。「良かったですね」と言って頂き、母は涙声で「ありがとうございます」と頭を下げている。命の恩人の先生とツーショットの記念撮影をお願いする。泣き笑いの母の顔がなんとも涙を誘う。
週末には退院のOKも出て、術後チェックで2週間後に通院予約も入れて頂いた。ここで問題がなければ、次回は3か月後。来年の1月迄通院することもない。
当初20日の入院予定と聞いてすっかり落ち込んでいた母だったが、スピード退院のお墨付きを頂き、本当に嬉しそうだ。気弱な割に能天気な母だけれど、母は母なりに一人不安と闘っていたのだろう。だからこそ、私が行けなかった日には色々な幻覚や妄想まで出てきてしまったのだと思う。
「それでは帰るわ」と帰り支度を始めると、「せっかくいい結果だったのに、そんなに直ぐ帰ってしまうと寂しいからもうちょっといてほしい、せっかくだから夕食も見ていったら・・・」などと言い出す始末。さらに小一時間帰宅が遅くなってしまった。その間、夫や従姉等に報告のラインやメール。
外はもう真っ暗。再びバスに揺られて帰宅した。結局、夫より帰宅が遅くなり、私が帰宅した時には既に夕飯の支度が整っていた。
ともあれ、神様、母を救ってくださり、本当にありがとうございました。命拾いをしたのだから、もう自分の身体を過信することなく、日々大切に過ごしてほしいと思う。
心配してくださった方々、本当にどうもありがとうございました。
午前中の定例会議に出席後、今日も午後休暇を頂き、病院を目指す。
病室に入ると、母は昨日夫が差し入れてくれた雑誌をめくっていた。T先生は手術中とのことで、それが終わり次第面会してくださるとのこと。何時になるかはわからないが、覚悟して母に昨日の父の様子をデジカメで見せながら待つ。
ほどなくしてノックの音。母と同年齢の3人の女性が「友人ですが・・・」とお見舞いに来てくださった。お2人とは初めましてだったが、お一人は私が子どもの頃からの、母の長いお友達。当時と全然変わっておられず、すぐに分かりました!とご挨拶する。今やフォークダンス仲間なのだそうだ。
また一緒にダンスをしましょうね(お一人は2つ下、お2人は1つ上というのだから、80代婆会(失礼!)、恐るべしである。)と励まして頂いていた。長居も何だからと、椅子を借りてくる時間もなく、エレベーターまでお見送りして部屋に戻る。
とりとめのない話をしながら、思えば母とこんなに長い時間を過ごすのは一体どのくらいぶりだろう、と思う。いつも逢う時は父とセットでだったし、ゆっくり話すこともなかった。こうした時間もまた神様の贈り物なのだろう、と思う。
続いて、またもノックの音。今度は父がお世話になっており、母の退院後のお願いもしているデイサービスセンターのケアマネSさんが様子を見に来てくださった。母が木曜日に幻覚でSさんが出てきた話などをして笑いを誘っている。今後のことについて少し打ち合わせをしてから、エレベーターまでお見送りし、再び部屋に戻る。
夕方になってもお呼びがかからず、だんだん不安になってくる。ようやく声がかかり、看護師さんから別室に案内される。本人は、というと「(あなたが)聴いてきてくれればいい」となんだか他人事で、そっけない。なんという依頼心の塊!という言葉をぐっと呑み込み、面会室へ向かう。
T先生は私一人なのを見て案の定「あれ、本人は?」と訊かれる。「私に聴いてきて、というものですから、自分のことなのですけれど・・・」と言うと、苦笑いされつつホワイトボードに絵を描いて説明をしてくださる。PCの画面にも組織診断報告書が表示されている。
先生がおっしゃるには「術後の経過はすこぶる良好で、がんの顔つきも悪くない。パラパラと散らばる形ではなく、塊として大きくなった直腸がんである。大きさは5cm×4cm、大きさの割に深さが浅かった。筋層に浸潤しており、粘膜下層までリンパ管、血流レベルでは飛んでいく可能性もあるが、余裕をもって切ったので、断端は陰性。リンパ節廓清28個、全て転移なし。サイズの割には一番良い結果だったと思う。ステージとしてはⅡからⅢを想定していたが、結果としてステージⅠ。進行がんではあるが、まず大丈夫だろう。ステージⅢ以上は抗がん剤を術後補助療法として行うが、それも不要。良かったですね」と。本当にほっとして、「ありがとうございます」と深々と頭を下げた。
「今後5年間は転移の可能性がゼロではないので、3カ月毎に腫瘍マーカーチェック、半年ごとにCT撮影、1年ごとに大腸内視鏡検査をしていきます。腫瘍内科の先生からのセカンドオピニオンはもう要らないのでは、と思いますが・・・。」と言われ、「はい、結構です」と応える。
82歳、145cm35kgのチビッコサイズな母の底力、恐るべしである。先生に結果のプリントアウトをお願いし、病室に戻り、母にピースサインをして「抗がん剤しなくていいわよ」と言うと、母は一気に泣きべそ顔になる。あ~、よしよし、とんとんしてあげる、という感じ。どちらが母かもうわからないではないか。
「良かったね~」と言っていると、先生がプリントアウトした結果票を持ってきてくださる。「良かったですね」と言って頂き、母は涙声で「ありがとうございます」と頭を下げている。命の恩人の先生とツーショットの記念撮影をお願いする。泣き笑いの母の顔がなんとも涙を誘う。
週末には退院のOKも出て、術後チェックで2週間後に通院予約も入れて頂いた。ここで問題がなければ、次回は3か月後。来年の1月迄通院することもない。
当初20日の入院予定と聞いてすっかり落ち込んでいた母だったが、スピード退院のお墨付きを頂き、本当に嬉しそうだ。気弱な割に能天気な母だけれど、母は母なりに一人不安と闘っていたのだろう。だからこそ、私が行けなかった日には色々な幻覚や妄想まで出てきてしまったのだと思う。
「それでは帰るわ」と帰り支度を始めると、「せっかくいい結果だったのに、そんなに直ぐ帰ってしまうと寂しいからもうちょっといてほしい、せっかくだから夕食も見ていったら・・・」などと言い出す始末。さらに小一時間帰宅が遅くなってしまった。その間、夫や従姉等に報告のラインやメール。
外はもう真っ暗。再びバスに揺られて帰宅した。結局、夫より帰宅が遅くなり、私が帰宅した時には既に夕飯の支度が整っていた。
ともあれ、神様、母を救ってくださり、本当にありがとうございました。命拾いをしたのだから、もう自分の身体を過信することなく、日々大切に過ごしてほしいと思う。
心配してくださった方々、本当にどうもありがとうございました。