ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.1.16 違和感の正体

2020-01-16 21:29:49 | 日記

 長年(この1月で丸12年になった。)ステージⅣの患者をやっていると、色々な方から病気のことで相談される機会が増えてきた。もちろん私の経験がお役に立つなら素直に嬉しいと感じているので、よほどの体調不良の時以外はいつでもウエルカムであり、すぐにお返事を差し上げるようにしている。

 普段は年賀状だけのお付き合い程度であっても、ご自身やご自身の家族が、がんになったという時に、そういえば・・・としぶとく生き長らえている私という存在を思い出してくださるようだ。有難いことである。

 ところで、そんな相談を受けるうえで、これまで何となく違和感を感じてきた言葉があった。
 「〇〇さん(私のこと)に比べれば自分はまだ(マシ・・・)」というフレーズだ。
 要は一生治療から免れない私に対して「大変ですね・・・」という気遣いから出ている言葉には違いない。けれど、その言葉を受け取る私は、自分が同じような立場に立った時に、もう少し良い言い回しが言えないかな、と常々思っていた。

 先日、有川ひろさんのエッセイを読んでいて、「これだ!」と思った。
 豪雨で農地に大きなダメージを負った農家の高齢者が言ったという「(東日本大震災に見舞われた)東北のことを考えれば・・・」に続く言葉である。
 「これくらいでへこたれていられない」である。
 この言葉は、東北の被災地と自らの痛手の状況を比べて、自分を上に置いてはいない。あくまで主体は自分、向かい合うべきは自分自身だということを知っているからこそのまっすぐな言葉である。ああ、こういう言葉が欲しかったのだと膝を打った。

 これまで私は、相手方に全く悪気はなくても、無意識のうちに可哀想とか気の毒とかいう比較の対象とされていたことに、どことなく哀しい違和感を感じていた。そして、こういう言葉を頂ければお互いにハッピーな気持ちで前が向けるのだ、とスッキリした。

 〇〇さんは大変なのにあんなに頑張っている。だから私もへこたれてなんかいられない。

 そう、生きていれば皆それぞれ色々なものを抱えている。病気だけではなくて介護だったり、子育てだったり。生きていくということは決して順風満帆なことばかりではない。
 それに気づけたことを感謝しながら、誰に対してでもない、自分自身に申し訳が立つように、私はほかの誰と比べるわけでもなく、へこたれてなんかいられない、と限りある日々を送っていきたいのだ、と改めて思う。
コメント (2)
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