ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.1.15 残された時間と最後の時

2020-01-15 22:48:12 | 日記

 先日息子と旅をして、うーん、なるほどと頷いた言葉がある。
「良く(三連休を潰してまで私たち夫婦の旅に)付き合ってくれたよね。」という会話の後だったか。
「一緒に暮らしていれば、1年365日毎日会っているわけだけれど、こうして離れてしまうと、この後365日会うことが出来るかな、と考えたら、どうなんだろう・・・、と思ったんだ。」と。

 なるほど、息子は関西に骨を埋めるつもりで就職したのだから、夏季や年末年始等に数日間帰省することがあっても、そして私たち夫婦が関西に出向いて息子に会いに行くことはあっても、実際に顔を見て一緒に過ごせるのは多く見積もって1年に10日くらいだろう。
 となると、単純に計算してみても3年で1か月相当。12か月すなわち1年間を一緒に過ごすためには36年かかることになる。
 間髪を入れず「(1年なんて)それはないね、間違いなく。」と答えていた。

 そうなのである。
 家族としてともに過ごせた月日は、息子が大学に入学する迄の18年間である。そうした蜜月は長くは続かない。いや、長く続き過ぎるのもそれはそれで問題か。子どもは親から巣立っていくものなのだ。
 自分自身が一人娘で東京生まれの東京育ちだったから実家から独立する機会が遅れ、結構苦労した。そんなこともあり、こと我が家に関していえばうまく子離れ、親離れ出来たことを有難く、誇らしく思っている。

 翻って一人暮らしの母(86歳)のことを思えば、彼女と過ごせる残された時間はあと僅か、と考えるのが道理だろう。
 ならば、足繁く実家に通って一緒に過ごせる日を多くしようと思うか、と問われれば、冷たい娘だと思われるかもしれないけれど、そうでもない。

 これまで出来るときに、出来ることを精一杯やってきたし、これからもそのつもりではある。だから、最後となる日が来ても後悔はしないだろうと思う。そのため自分が必要と感じている以上に無理を重ねて、頻繁に実家を訪ねようとは考えていない。
 あくまで自分の時間、自分の生活を大切にしながら、自分が出来る範囲で。それが私流である。他のどなたとの時間もそういうことである。

 とはいえ、意識していなくとも、後になって必ず「ああ、あの人とはあれが最後だったのだな」という時がある。
 これから積極的に会う算段をしなければ、おそらく旅立つまで会わずに終わる方たちも沢山いるだろう。
 その方たちにとって、私との最後となる時間、私はどんな顔をしていてその方たちのどんな記憶に残っていくのだろう。そう考えると、誰といるときにもなるべくご機嫌で、なるべく穏やかでいたいと素直に思う。

 これまでもこれからも積極的に会う算段をしたければする、もちろん先方がイエスであれば、その逢瀬は実現する。ノーサンキューであれば、後追いはしない。
 また、たとえお誘い頂いても、(日程的にも体力的にも)無理をしなければ行けない(あるいは気が進まない)と自分が思う時、不義理かもしれないけれど、あまり無理はしない。これは物理的にも気持ち的にも、だ。それはそれでよいと思っている。そういうご縁ということだ。

 人との関わりは一期一会だ。残された時間、その時その時を精一杯生きていれば、あの時ああしていれば、こうしていれば、とは思わない筈。常にこれが最後かもしれない、と心のどこかにその思いを持っていれば、決して後悔するようなことにはならない振る舞いが出来る、と信じている。
コメント
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