ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.8.24 旅行最終日、無事帰国

2018-08-24 21:28:37 | 

夜中にも明け方にもなんだかラーメンの匂いがする、と思ったら食しているのは我が息子であった。本当にラーメンが好きである。結局、夜食と朝食2食ともラーメンとなった模様。
 洗顔とお化粧を済ませて席に戻る。3時間弱眠っただろうか。
 夫は和食を、私はライトミールや果物、サラダ、ヨーグルト、スープ等を組み合わせて頂く。
 ちょうどそこからスパイものの映画を見始めた。時間ギリギリで何とか見終わると思いきや、往路に続けてまたしてもサプライズがあった。
 CAさんがフルーツが沢山入った白ワインをリボンをかけたグラスに入れて、「HAPPY BIRTHDAY」とチョコペンで描いたトレーに載せて夫のもとへもってきてくださった。びっくり。先刻、腕時計を購入した際のやり取りで、夫が来月に誕生日を迎えることを話したためか。しかし、別に今日が誕生日というわけでもないのに、そ、そんなとしどろもどろ。3人で乾杯をどうぞと息子と私にもワイングラスが。いやいや、夫はちょっと恥ずかしがっているが、せっかくなので乾杯して写真撮影、CAさんともツーショットをさせて頂いた。

 そんなこんなであっという間に着陸の時間。映画は途中で視終わることが出来ず、ちょっと消化不良。
 到着間際のアナウンスで東京の天気は雨、気温は28度と聞き、実際に空港が雨で濡れているのを見る。関西地方はまたしても台風襲来で大変な状況のようだ。
 飛行機から降りた途端、信じられない湿度に体がからめとられる。蒸し風呂のようだ。ああ、リスボンが懐かしいと夫と息子。
 スイスイと出国手続きへ。検疫も問題なく、さて、パスポートコントロールと思ったら、なんと有人ではなく、機械でパスポート読み取りと写真撮影でゲートが開く形になっていた。1月の上海帰りにはまだこうした形ではなかったので、びっくり。手続きとしてはうんと早いのだが、皆が慣れていないのか、ちょっと時間がかかっていた。息子曰く、「こうしてどんどん人の仕事は取り上げられていくんだな・・・」と。うーん、これから働く彼らは本当に大変だ。

 今回は問題なく荷物も早く出てきた。添乗員のSさん、参加者の皆さんにご挨拶して、税関を超える。ここで7時。母に帰国の電話をする。携帯にかけたら取りそびれたらしく家電にかけ直し。「あ~無事でよかった」と元気な声が聴けてほっとした。北海道、京都と各地から来られている方たちは、千歳や関空まで乗り継ぎとのこと。まだまだ遠路、大変である。
 30分も待たずして最寄り駅までのリムジンバスに乗り込めた。まだ空いていて一人1席確保。台風の強風で遅れるかもしれないというアナウンスがあったけれど、問題なく9時過ぎには最寄り駅に到着。タクシーで帰宅した。こうしてリスボンのホテルから家までドアツードアで実質22時間の長い旅が無事終了した。

 帰宅から即大車輪でスーツケースの中身を出して3回洗濯機を廻す。風がかなりあるので乾きそうで助かる。眠いのかお腹が空いたのかよく分からない感じ。息子がお風呂に入りたいとお風呂を沸かす。そういえば1週間バスタブだけだったので、洗い場で身体を洗うのは久しぶり。やっぱり我が家のお風呂は良い。さっぱりした。
 こうして12時には3回分の洗濯も干し終わり、スーツケースもカラにして所定の位置に閉まって、冷凍食品とカップ麺で適当なお昼。
 朝の連続テレビ小説を1週間分見始めたけれど、眠くて眠くて諦めて夕方まで(息子は夜まで)お昼寝。

 洗濯物も乾いてくれて畳みまで終了してひとまずほっとした。夕飯は夫が用意してくれた。有難いことだ。
 途中で体調を崩しかけたこともあったけれど、大事にも至らず、スリや盗難にも遭わず、こうして無事6泊8日の旅が終わった。中身の濃い1週間だった。
 短く切り詰めていった爪も伸びて、手袋をしていてもまた何か所かわれたり欠けたり。ああ、1週間経ったのだなとしみじみ思う。そしてまた日が短くなっていた。9時まで明るかった現地と比べて2時間半以上日暮れが早いようだ。一日一日と秋が近づいてくるのだろう。
 明日、明後日と時差ボケ解消して、来週からはまたお仕事開始の日常である。
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2018.8.23 旅行7日目、最終日 オブリガーダ!リスボン

2018-08-24 21:24:33 | 
 
 昨夜はファドから戻ってパッキングをほぼ終え、入浴も済ませて2時半のモーニングコールまで、3時間弱ベッドで眠ることが出来た。短時間でも熟睡出来たので、寝覚めは良かった。
 心配だったお腹の調子も吐き気もひとまず大丈夫そう。
 さすがに外は真っ暗。スーツケースの鍵をかけ、身支度をして3時過ぎにロビーに降りる。3時15分出発だから我が家としては早いつもりでいたが、来ていなかったのは1ペアだけ。皆さん、凄いのである。チェックアウトしてバスに乗り込む。「なんだか夜逃げのようだなあ。」と息子がしょうもないことを言う。朝食バッグを頂く。サンドイッチ2種にバナナ、パックのオレンジジュースとココアの5点セットだ。

 3時10分にはバスが出発。添乗員Sさんを含めて12名が無事揃っている。空港までは早朝のせいか10分ちょっとで到着。途中で空港でアシストしてくださるRさんが乗り込んできた。タクシーは心配なので自分の車で駆け付けてくれたそうな。ドライバーさんもしかり、皆さん早朝勤務、大変なことである。

 無事チェックインを終え、すっかり重くなったスーツケースを預けて身軽になる。100ml以上の液体は持ち込めないので、ここで皆パックのジュースやら手持ちの水などを飲み切ったり処分したり。
 手荷物検査とボディチェックを終えて、4時。フライトは5時55分で5時25分搭乗開始とのこと、5時再集合で空港内フリータイムになる。さすがにまだ空港内のショップは殆どがクローズである。あちこちの長椅子で寝ている若い人たちが沢山。背中が痛いだろうに、と思うが、うまいこと寝ているものだ。

 羽田解散までに提出を依頼された今回の旅のアンケートを記入して時間を潰し、定刻に搭乗開始して無事離陸。
 起床して3時間半が経つのでそろそろお腹も空いてくる。機内食の暖かいオムレツや紅茶でちょっと人心地つき、ほっとする。3時間のフライトはあっという間。食事をしてちょっとウトウトとしたらもうフランクフルトである。

 ここで1時間時計を進めてドイツ時間。8時間の時差から7時間の時差になる。
 乗り継ぎ便まで2時間ちょっとということで結構忙しい。フランクフルト・アム・マイン空港はとても広く、長い長いトンネルのような動く舗道を経て、パスポートコントロール。出国は簡単だ。問題なく出国スタンプを頂き、12時10分の羽田行の搭乗開始は30分前の11時40分、それまで小一時間のフリータイムである。
 今回特に何も買い物をしていなかったのだけれど、スペインブランドのお財布で気に入ったものが見つかってしまい、フラフラとお買い上げ。すぐにタックスフリーの手続きカウンターでスタンプを押してもらい、ショップに戻って返金処理をしてもらって完了。

 まだ40分ほどあったのでラウンジへ上がる。なんだか裏口のようなエレベーターを上がっていくと、とても静かで明るい空間が現れた。鼻の利く息子は、「この匂い、タイカレーがある!」と喜んでドイツビールとともに頂いて満足気。夫はキリストの如くパンとワインを食している。私はお腹にやさしそうなスープを少し、パンナコッタを頂いた。ツアーの方たちもそれぞれの過ごし方をしておられる。
 ラウンジを後にして搭乗口まで。久しぶりに日本語のアナウンスを聞いてちょっぴりほっとする。スムーズに搭乗し、予定時刻に無事離陸した。帰路は11時間半ほどのフライトである。

 ウエルカムドリンクを頂き、乃南アサさんの「水曜日の凱歌」(新潮文庫)を途中まで読んだところで1回目の食事。久しぶりに和食を頂いた。茄子の煮びたしが美味。夫もしかり。息子は往路、鰻と鱧に惹かれたといって和食だったが、今回は洋食をチョイスしていた。
 すっかりお腹が満ちて一段落したところで機内販売をお願いする。夫が以前から欲しいと言っていた腕時計が免税でかなりお得だったので、9月の誕生日の前倒しということで購入することに。CAさんが「プレゼントですか」と仰るので「はい」と返事して支払手続き等しているうちに、どんどん瞼が下がって眠くなってくる。
 起床から13時間、眠くなって当然である。機内も暗くなり、早朝帰国にあわせてお休みタイム。邦画を一本見ながらちょっとウトウトする。
 寝る前に7時間進めて日本時間にしておく。日本時間4時頃、到着2時間半ほど前から朝食のサービスが始まった。
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2018.8.22 旅行6日目、丑三つ時Wの悲劇再び、リスボン観光は早めに切り上げ最後のお楽しみ、ファド

2018-08-23 06:50:43 | 

 昨夜はホテルでディナーをゆっくり楽しみ、ブログアップして入浴後、日付が変わってようやくベッドに入った。美味しかったので少し食べすぎかなという気はしていたが、3時間ほど眠った頃、いきなり腹痛で目が覚め、お手洗いに駆け込む。突然の水様便が止まらない。なんだか生唾も出てきて気分が悪い。吐き気はそれほどではなかったが、脂汗を流しつつベッドから転がり落ちるようにお手洗いを往復すること数回。悲惨な2時間を過ごしたら今度は猛烈な吐き気が襲った。それでもなかなかうまく吐けずに苦しいことこの上ない。またノロウィルスか、今度は何に当たったのだろう、ただ胃腸が疲れていたのか、と頭はぐるぐる不毛に回るが答えが見つからない。

 結局、明け方まで苦しい思いをして、その後ちょっとうとうとしたところでモーニングコールが鳴った。お腹はぺっちゃんこ、まだ生唾も出て気持ち悪い。歯磨きをしてすっきりするかと思ったけれど、それがきっかけで再度嘔吐。食事も今日の観光もとても無理かな、と夫の部屋に電話する。
 恐る恐る朝食レストランに出向くと、殆どの皆さんは食事が終わりかけていた。添乗員のSさんがちょうど召し上がり始めた感じ。いつもはあれもこれもお皿一杯頂く私が、じっとして動きもしないで座っているのにすぐに気づかれて、案じてくださる。かくかくしかじか、なんとか午前中の観光には行きたいけれど、午後からの自由行動のタイミングで一人だけ抜けて帰ってくるかもしれませんとお話する。

 すっかり脱水状態だが、固形物を入れる元気はなく、紅茶とリンゴジュースとチキンブイヨンのスープを少し頂いた。「明朝は今までで一番充実したビュッフェだと思います、お楽しみに」と昨夜添乗員さんから聞いていたのに、残念無念。とりあえずロペミン小児用、ドンペリドン、ミヤBMだけ服用。お腹がからっぽなのでロキソニンはやめておく。

 今日は移動を除けば最終日。7つの丘に広がるポルトガルの首都、リスボン(ポルトガル語ではリシュボーア)市内午前観光だ。ケーブルカーや坂道の美しさを実感し、体験するのを楽しみにしていた首都である。なんとか気を取り直して、具合が悪くなったら帰るという前提で予定通りの時間にバスに乗り込む。昨日までの3泊4日を同行してくれた運転手のSさんも交代。バスも同じくベンツだったけれど、各席のピッチが大分狭くてちょっとがっかり。
 昨日から案内してくれている現地ガイドEさんに、今日は日本人ガイドIさんも張り付く。
 
 今日最初の目的地は1520年に完成し、船乗りたちを見送り出迎えてきた“ベレンの塔”(司馬遼太郎氏は貴婦人がドレスの裾を広げている姿にたとえ、「テージョ川の貴婦人」と表現している。)。シンガポールのマーライオンに匹敵するモニュメントだそう。お天気はとても良いけれど、海辺は冷え込んでいて上着が欲しいくらい。そして水面がなんとなく煙っていて、昨日のロカ岬を思い出す。曰く言いがたい幽玄な様相を呈している。なんとなくお腹に力が入らないし、ふらふらしているが、朝の気持ちよい空気を吸って少し元気になる。

 今まで治安が良いといわれていたポルトガルも、ここ数年ですっかりスリの被害が増えているとのこと。くれぐれも荷物を前にかけて注意しておくようにと何度もお達し。スリもプロで、サンドレスに麦わら帽子、地図を片手に旅行者のごとくに近づいてきて、掏り盗って行く。その手口の鮮やかさは、被害者本人が盗られたことを全く気づかないほどだとか。

 続いてバスで若干移動してお隣にある“発見のモニュメント”へ。日本に鉄砲伝来が伝来した1543年も刻まれている。高さ52メートルで1960年にエンリケ航海王子の500回忌(!)を記念して造られたという帆船をモチーフとし、大海へ乗り出す勇壮なカラベル船を手に先頭に立つのはエンリケ王子。天文学者、フランシスコ・ザビエル、マゼラン等この時代に活躍した人々の姿が続く。
 青空に白い塔の美しいこと。モニュメントの前床一面には、日本の形がここまでリアルに分かっていたのだ(九州は少し小さめだったけれど)とびっくりする当時の世界地図が描かれている。

 お腹もロペミンのおかげでなんとなく落ち着いてくれそう、もちろん何も食べていないし吐くものも残っていないので、お水をちびちび飲めば大丈夫と自分を鼓舞していく。遙か昔、大学の卒業旅行で文字通りヴェニスに死す、のごとく高熱を出してゴンドラ観光など出来ずにホテルの部屋で寝ていたことを思い出す。同室だったTさんがりんごを剥いて出かけてくれたっけ・・・、というトラウマは出来れば避けたい。色々常備薬を持ってきておいて本当に良かった。

 そして3カ所目はではジェロニモス修道院(インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの石棺があり、カラベル船が彫られている。)。大航海時代と海洋王国ポルトガルの繁栄を象徴するマヌエル様式の最高傑作だ。回廊を回り、美しいアズレージョの壁で埋め尽くされた修道士たちの食事の間を見、階段を上りながら美しい中庭を見、当時に思いを馳せる。

 折しもポルトガルで数番目という大富豪の葬儀が営まれており、ものものしく警備の人たちが張り付いている。既にお葬式は1回済ませて2回目!だそうだ。グレーの霊柩車が数台並んでいる。そのせいでカテドラル内部の見学は出来ないとのことで、複雑な心境ではある。

 一通り説明の後はお手洗い休憩を済ませて、若干の自由行動。ポルトガルの伝統菓子パステル・デ・ナタ(エッグタルト)が国内で一番美味しいというお店に並んで夫と息子の分だけテイクアウトで購入。ほかほかの出来たて、クリームはとろり、皮はサクサクでレシピは門外不出だそう。粉砂糖とシナモンを別袋でつけてくれてそれをかけて頂く。私はこわごわ一口だけ味見。優しい味だった。

 最後はリスボンの台所リベイラ市場。最近この国も共稼ぎが多くなっており、早くに閉まる市場がなかなか需要がなくなってきたために、大規模改修してフードコートに生まれ変わり、大当たりしたという。場内には30店以上のお店があり、人気のグルメスポットだそうだ。それにしても凄い混雑だ。添乗員さんが30分ほど待機しているので、ホテルに帰るなら声をかけてくださいと気を遣ってくださる。彼女はそのままホテルに戻ってお仕事の模様。ぐるぐる回っているとだんだん疲れてくるし、なんといっても情けないほどポルトガル語が読めないし英語表記がなかなかない。本当はもっとお腹に優しいスープでも頂きたかったのだけれど、やむなく結局ピザを頼んで、夫と息子からワンピースずつもらってお水で流し込みロキソニンとドンペリドン、ミヤBM錠を飲む。

 市内地下鉄、バス、ケーブルカー、トラムをはじめ、サンタ・ジェスタのエレベーターなどにも使えるという優れもののツーリストカードを片手に自由行動スタートだ。そのままホテルに一人戻るのは悲しいので1時間だけ、ケーブルカーに1度だけ乗ったら気が済むからと2人に同行することにした。
 石畳の坂道の多いリスボンではケーブルカーが便利。黄色い車体はとてもチャーミングだ。お年寄りにはあまり優しくないのかな、とも思う。若くたってあの坂を上ったり下りたりしたら大変だ。

 息子が地図を片手に、地下鉄を乗り継いで、一番短い期間のケーブルカーに乗せてくれた。終点は見晴らしが良い展望台になっており、屋台でお昼を摂っている人たちも。お水をゲットして少しだけ界隈を歩く。息子が、少し歩くと別の人気路線のケーブルカーにも乗れ、トラムにも乗り継げるというのでお任せしてついて行く。ケーブルカーを降り、1時間に1本らしいトラムを待ったがなかなか来ないので、再び市場前の駅まで戻って別系統のトラムに乗り、地下鉄に乗り換える。息子が駅直結の百貨店に行ってお土産を買ったりポルトガル製のスニーカーが見たいと言うので、私も同行し、お土産を購入して一人でホテルまでタクシーで帰ってきた。その後スニーカーを物色していた2人は18時にご帰還。

 今宵はポルトガル最後の夜。哀愁を帯びた歌声とギターの調べ、ファドを聴きながらディナーを頂くオプショナルツアーを予約していた。朝はとても無理・・・キャンセル料全額かと思っていたけれど、ひとまず一人早めに戻って涼しい部屋でだらだらと休んだので、参加することにした。
 2012年世界文化遺産に登録されており、この国の民族歌謡、心の歌と言われる。ファドはもともと、社会の底辺にいる貧しい人たちが愉しむ大衆的な音楽だったという。ファドとは「運命」「宿命」を意味するラテン語のfatumに由来すると言われ、ポルトガル語のサウダーデという語は、失われたものに対する郷愁、悲しみや懐かしさなどの入り混じった感情であり、歌の中にはサウダーデの言葉がよく使われる。
 そんなファドは人々の様々な感情を表現し、言葉を超えて私たちを魅了する。演奏者の構成は歌い手、ギターラ奏者、ヴィオラ奏者の3名でこれに低音のバイシャ・ヴィオラかコントラバスが加わる場合もあるそうだ。
 今日は2階のベストポジションで男性歌手1名、女性歌手2名にそれぞれギターが2名ついて、歌と民族舞踊を取り入れた間のステージも。ディナーはドンペリドンやミヤBM錠と息子に手伝ってもらいながらミネストローネやビーフストロガノフと紅白ワイン、チョコレートムースのデザートを少しずつ楽しみつつ、たっぷり2時間を堪能した。夫は終了後に出演者のCDを記念に購入。いい思い出になった。

 空を見上げれば出発してきたときにはまだ半月になっていなかった月が随分膨らんでいた。
 このオプショナルツアーから戻ると10時過ぎ。明日の帰国便はフランクフルト経由でお昼発なので、リスボンを立つのは早朝。モーニングコールは2時半、3時15分の出発だという。
 もう寝ているわけにはいかないのでこの後は、入浴し、荷物整理し、眠らずに出発を迎えるというハードスケジュールが待っている。
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2018.8.21 旅行5日目 水の都・アヴェイロ、リゾート地ナザレ、シントラ王宮を経て、地の果てまで到達!

2018-08-22 07:25:30 | 

 昨夜も無事日付が変わる前に眠りにつくことが出来たが、5時間程眠ってお手洗いに起き、あとは二度寝出来ず。諦めてモーニングコールを待たずに起き出し、時間があったのでヨガとストレッチ。一日バスに乗っている割には腰痛にもならず助かっている。
 スーツケースを部屋の前に出して、朝食レストランへ向かう。昨朝に引き続き美味しかったものをちょっとずつ色々。快食でお腹の調子もよく、満ち足りた朝だ。

 予定通り8時出発。朝のうちは空気が少しひんやりしているが、直ぐに30度を超えるようだ。ポルトの街に別れを告げて、今日の最初の目的地は、小1時間ほどバスを進めて80Km離れたアズレージョ(装飾タイル)が美しいアヴェイロの街に立ち寄る。
 アヴェイロ駅は旧駅舎と新駅舎が並んでいるが、旧駅の外壁はアヴェイロの風景を描いたアズレージョが素晴らしい。白地に青の絵が青空に映えて美しい。駅に入って内側からも写真撮影出来た。鉄男の息子はご機嫌でホームを行ったり来たり。ちょうどリスボン行きの電車が来て、電車ともしっかりツーショット。どこにいても駅は心躍る場所のようだ。このあたりは使えるお手洗いがなかなかないということで、駅の中の有料トイレをお借りする。

 ポルトガルの水の都の別名を持ち、運河に沿って並ぶ素敵なアズレージョで飾られている美しい家々が水面に映り、それは素敵。中央運河沿いでは色鮮やかな沢山のモリセイロ(ベニスのゴンドラを大きくしたような形に舟で、酪農肥料用の海藻を集めるためのものだったものが、今は観光用に使われている。)が観光客待ちをしている。あいにく私たちは次のレストランの予約時間があったので乗船は叶わなかったが、船頭さんの案内で周辺水路を45分ほどで巡ってくるとのこと。青い水面、青い空の下、弓のように反り返った軸先、船体は極彩色の絵で美しく飾られているアヴェイロのシンボルだ。

 ちょっとだけ街歩きの時間を頂いて、アヴェイロの銘菓だというオヴォシュ・モーレシュ(小さな魚や貝殻の形をした白い皮の中に、黄金色の卵黄クリームが詰まった最中のようなもの)を買い求める。小さなお店で、親切に一人一人に味見をさせてくださった。私たち10人が入ってレジに並ぶと、普段のんびりお仕事をしていると見える店員さんはパニック状態。添乗員のSさんが急遽アシスタントを務める状態に。その他にも塩やパテなど気になるものを買ってバスに戻った。
 毎日強行軍の旅を続け、夜はへろへろよれよれになりながらも、次の朝、次々に新しい魅力的な街に連れてきてもらうと、不思議なもので元気になる。運河脇の緑豊かな芝生の公園で思いっきり深呼吸をして次の目的地へとまたバスに乗る。

 次は2時間ほどかけてナザレを目指す。ナザレは、夏には国内はもとよりヨーロッパ中から訪れるバカンス客で砂浜が埋め尽くされる一大リゾート地だそうだ。
 長い砂浜には色とりどりのパラソルと、小麦色に肌を焼こうとする人たちで一杯。泳ぐというよりもただなんとなく砂浜をぶらぶら歩きするのがこちら流とのこと。とにかく皆が笑顔で幸せそう。バカンスなのである。
 レストランまで5分ほどの広場でバスを下りて海岸通りを歩く。本当に青い海、青い空、白い砂浜、サングラスをかけていないととても目が開けられない。進行方向正面の絶壁の崖ではケーブルカーが行き来している。

 12時のオープンとともに、海に面した最高のロケーションのレストランでミックスサラダ、タコのリゾットとアイスクリームのランチ。相変わらず夫と息子は昼からワイン三昧だ。タコのリゾットにもコリアンダー(パクチー)がトッピングされ、とても美味だった。息子はしっかりおかわりもして頼もしい。食後少しだけ自由散策の時間があった。この地方の民族衣装(男性はチェックのシャツにフィッシャーマンセーターと黒い帽子、既婚女性は7枚重ねのスカート)も見ることが出来て、なかなか面白かった。

 午後はシントラまで130Kmほどを2時間かけて移動し、シントラ王宮観光へ。途中、お手洗い休憩をしたところは風力発電機が多数並んでおり、見事。それにしても暑い。外気は37度。ポルトガルは風力発電、太陽光発電等リサイクル電力を使用しており原発は稼働していないとのこと。

 風光明媚な王家の避暑地、シントラに到着して、地元のガイドさんと合流。ここも世界遺産で文化的な景観が楽しめる。ポルトガル王家の夏の離宮・王宮を中心として豪奢な城館や貴族の離宮などが点在する緑豊かな土地は、かつて詩人バイロンが「エデンの園」と称したほど。
 雲の姿など忘れてしまったと思うくらい、こちらに来てから毎日ピーカンのお天気である。ジリジリと気温が上がってくるのが分かる。
 王宮はイスラム教徒が残した建物をディニス王が居城とし、14世紀にジョアン一世が増改築を行ったそうだ。シンボルとなっている2本の煙突はこの時代に作られたものだという。その後も増築が行われて多様な建築様式が見られる。

 王宮を入る前に後ろを振り向けば、山頂にムーア人が築いた城跡がそびえている。7~8世紀頃のものというが、現在は廃墟のごとく、僅かに残る城壁がかつての栄華をしのばせている。
 王宮に入ると、27羽の白鳥がそれぞれ違ったポーズをとる「白鳥の間」が。これは27歳で嫁いだ王女のために作った部屋だそうだ。白鳥は皆首に王冠をつけており、美しい。天井一面にカササギの絵が描かれた「カササギの間」、狩猟の光景を描いたアズレージョが美しい「紋章の間」(バス・コ・ダ・ガマの紋章もあった)等など見所は満載。煙突の下の台所では、狩りで射止めた肉をさばく調理用の煙突と、野菜などを調理するための煙突がきちんと分かれていた。

 1時間ほど説明を受け、ショップでお土産を物色し、集合場所までゆるゆると歩いてシントラのお菓子、ケイジャーダも購入。ケイジョすなわちチーズを使ったお菓子だが、シントラのものが横綱級に有名とのこと。13世紀には既に作られており、16世紀の天正遣欧少年使節も味わったそうな。

 ここからリスボンまでは1時間ほどだというが、その途中で今回楽しみにしていたロカ岬に立ち寄る。
 巨大なユーラシア大陸の西の果て、北緯38度47分、西経9度30分、高さ140メートルの断崖の上に、ポルトガルの詩人カモンイスが詠んだ詩の一節を刻んだ石碑がぽつんと立っている。「ここに地果て、海始まる」最西端ロカ岬(カボ・ダ・ロカ)である。大西洋からの風を受けて岬の突端に立つと、「地の果て」を実感するという。石碑が立つ断崖の先に大西洋はぼんやりと見えているけれど、水平線がはっきりしない。霧が出ている。今まで雲も全く見なかったのでちょっと驚く。実際にその地に降り立つと、まるで飛行機に乗っているような雲の絨毯の上にいるような吸い込まれそうな気分だ。断崖絶壁の下にあるはずの海面が全く見えないのだ。何か不思議な気分になりつつ、地の果てまで来たことにしばし感慨を覚える。綱が張られた先に入って写真を撮っている人たちもいて、心配になってしまう。柵を越えたら罰金という大きな札が立っているのだけれど。
 30分弱の間、散策し、バスに乗り込み、名前と日付を古式ゆかしい文字で書き込んで、ろう印を押された最西端到達証明書を頂いた。

 こうして4カ所の観光を終え、最終目的地、最後の2連泊は首都リスボン。夏休み期間中とはいえ、首都はさすがに混んでおり、ホテルに行く道が渋滞し、迂回していた。
 チェックインして態勢を整えたら今日もホテルのメインダイニングで夕食。京都から参加されているご夫婦とご一緒した。今回は皆、お子さんたちが独立して熟年夫婦2人旅の方たちばかりである。
 シーザーサラダとチキンコンフィ、ライスプディングを頂く。カニサーダで泊まったポサーダでビーフの夕食予約がチキンに間違えられていたそうで、そのお詫びとしてポサーダからドリンクサービスがあった。
 明日は少しゆっくりめの出発。午前中にリスボン市内観光をした後は自由時間で最後の夜になる。
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2018.8.20 旅行4日目、世界三大聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラ 心、震える

2018-08-21 06:48:13 | 

 昨夜もなんとか日付が変わらないうちにベッドに入れた。夜中に1度お手洗いに起きて、再びしっかり眠り、あっという間に目覚ましが鳴る。
 今日も晴天、30度を超える予想だ。こちらに来てから雲の一かけらも見たことがない。空はどこまでも果てしなく澄み切っている。
 連泊なので荷物出しがなく、気分的にとても楽。支度をして朝食レストランへ向かった。ビュッフェである。今回初めて名物のイワシを頂く。果物も豊富、絞りたてのオレンジジュースがお腹に染みる。ツアーの皆さんは朝が早い。私たちはちょっと出遅れた感じ。
 出発は8時の予定だったが、5分近く前に全員が揃って早めに出発。

 今日は240Kmの距離を3時間ほどかけて隣国スペインに入国する。EU内で川を越えればスペインなので特に問題ないと思うけれど、念のためパスポートを忘れないように、と添乗員さんからのご注意がある。順調にバスは北へ進み、今日の聖地巡礼を前に添乗員さんから新約聖書、旧約聖書のお話がある。バスに乗るとついつい眠くなり、なんとなくウトウトしながら聞く。
 ミーニョ川を越えると「はい、ここが国境です。ここからスペインです」とのこと。あっという間に通り過ぎ、国境を示すEUのマークが写真を撮る暇もなく後方に流れる。
 海外研修中の年末年始休暇に夫とアンダルシア地方を訪れて以来のスペイン、24年ぶりということか。まさかこの遠い国にまたやって来ることが出来るとは。

 出発して1時間半ほど過ぎたところで、スペイン最大の漁業の街ヴィーゴでお手洗い休憩。初めて日本人の団体バスと遭遇する。こちらはかなりの大人数だ。ここで時差が1時間発生するが、ややこしいので私たちはポルトガル時間のまま今日も過ごすお約束だ。
 高速道路から見る水面が光る海が広がる景色が素晴らしい。ここまでくればあと1時間ほどで歓喜の丘(モンテ・デ・コソ)に到着するとのこと。
 聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラには自治州政府(シュンタ・デ・ガリシア)が置かれ、ガリシア州の政治の中心であると同時に、宗教的には大司教座が置かれている。キリストの12使徒の一人聖ヤコブ(スペイン名:サンティアゴ)の遺骸が祭られているため、古くからローマ(バチカン)、エルサレムと並ぶカトリック教会の世界三大巡礼地となり世界中から巡礼者が絶えないところだ。

 うーん、さすがに今後エルサレムに訪れるのはちょっと厳しそうだけれど、こうしてローマを訪れてから30年近くを経て、2つ目のパワースポットに足を踏み入れることが出来るとは。この旅行が実現するまで想像だにしなかった。
 巡礼は四国のお遍路さんのようなものか。今ではスポーツとして楽しむバックパッカーのような巡礼者も数多いそうだ。実際、バスの車窓から巡礼者を沢山見かけた。皆、ホタテ貝(お皿にもなる)と瓢箪(水入れ)を下げた杖を持って歩いている。そういえばギラマンイス観光中に石畳にホタテ貝のマークが刻まれていた。この道は聖地に続くという道案内だったのである。

 世界遺産に登録されているのはフランスからピレネー山脈越えの巡礼路だという。スペインに入ってからも800Kmという長い道のり。終着地まであと5㎞という歓喜の丘に立てば、眼下には遙か彼方にサンティアゴのカテドラルが見える。それはそれは歓喜に沸いたことだろう。実際に「歓喜の丘」に登ってきたが、あたりは野花が咲き乱れ、本当にのどかな雰囲気。巡礼街道で初めて大聖堂の尖塔を臨むことが出来る地には、巡礼者の2体の銅像がその方向を向いて静かな喜びをたたえて立っている。当然ツーショットをお願いする。どこまでも広がる青い空の下、なんだか力が漲ってくる感じである。

 カテドラルを目指して再びバスに乗り込む。青空とやや赤みがかったカテドラルの後ろ姿が圧倒的に目の前に迫ってくる。昼食までの時間、オブラドイロ広場で写真撮影。最近まで行われていた外観工事が無事終了し、完全な形で拝むことが叶ったカテドラルの向かいは市庁舎、右側にはパラドール(ポルトガルのポサーダ同様、修道院等の建物を利用したスペイン国営のホテル)、左側には市街へ行く道が延びている。それにしても凄い人出である。老いも若きも色々な肌の色の各国の人たちが嬉しそうに写真を撮ったり、寝っ転がっていたり。メキシコのダンスを踊っている人や、バグパイプを演奏する人。機関車の乗り物が広場を行き交い、実に賑やかなことだ。

 ランチの予約時間になり、5つ星パラドールホテルへ入る。さすがに素晴らしい造り。ロビーのソファでくつろぎながら、飾ってあるピエタの置物やマリア様の彫刻をあれこれ拝見する。
 地下の素敵なレストランでこの上なく優雅な雰囲気の中、贅沢にコース料理を楽しむ。昨年度ミシュランの星を取ったというとおり、ウエイターたちの動きもとても洗練されている。タコのジュレ寄せの前菜、ガリシアパイ、イベリコ豚のステーキや3種類のデザートの盛り合わせを心ゆくまで時間をかけて堪能した。夫と息子は赤ワインを飲んで幸せそう。

 レストランの出口で現地のガイドさんと合流して、観光スタート。
 お土産物屋さんを横目に見ながら、まずは市民の憩いの場である公園方面へ向かう。ここからのカテドラルの姿も素晴らしいフォトスポットになっている。一日中カテドラルを見ていると人の像が置かれたベンチもあり、ここでもツーショット。公園の中で、日本から寄贈されたという椿がしっかりと根を生やしている姿を見て驚いた。

 旧市街は1985年に世界遺産に登録されている。ホタテ貝のマークが掘ってある建物は教会の所有物だというが、15世紀に建ったという建物がそのままカフェ等に利用されている。石造りのアーケードは意外と涼しい。日陰に入り、風が吹くと暑さを忘れてひんやり心地良い。
 一通り回っていよいよ巡礼の終着点・聖ヤコブの眠るカテドラルへ。簡単な手荷物検査があって大聖堂の中に入る。圧倒的な大きさだ。残念ながら聖ヤコブの墓は夏休みのせいか長蛇の列で1時間待ちとのこと。それでは出発時間に間に合わず、ツアー全員が参拝を断念。広いカテドラル内を回って複数の礼拝堂を見、中に入って静かな空間の中に身を沈めると、本当に心が洗われた気持ちになる。

 ショップで可愛いカテドラルの模型を買い求め、その後カテドラルを出て、最後の巡礼路である坂道をゆっくりと歩いてみる。ここにもホタテ貝のマークが。広場近くのお土産物屋さんで絵はがきを買ったりして時間を過ごし、集合時間にホテルのロビーへ。
 再び3時間ほどかけて往路と同じ経路でポルトに戻る。帰路も、EUのマークの写真を撮る間もなく国境を超えてしまった。ポルトガルに戻ると外の気温は36度とのこと。サンティアゴが31度ほどだったので、こちらの方が暑かったようだ。途中お手洗い休憩を経て、ホテルには夕食予定の1時間前に戻ってくることが出来た。

 隣の国に行ったとはいえ、通貨はユーロで変わらないし、パスポートコントロールもなかった。あっけないくらいだ。思えば30数年前の卒業旅行で友人とヨーロッパ各国周遊したときには、国が変わる度に通貨は変わり、パスポートコントロールも厳しく、もちろんネットもスマホも携帯電話も何もなかった。そんな時代から思えばどれほど世界は便利に近くなったことかと思う。

 夕食までの間、ホテルの向かいにあるスーパーを物色し、ちょっとした缶詰やお茶等を買ってきた。そしてホテルのメインダイニングでディナータイム。生ハムとパイナップルのサラダ、スズキの蒸したものをメインに、チーズケーキのデザートでお腹いっぱいである。夫と息子はヴェルデ(緑の)ワインでまたしても真っ赤である。どこかにバスに乗って出かけるという煩わしさがないのが疲れた身体には有難かった。

 今夜も同じホテルに連泊。明日は4カ所を巡りながらリスボンへと戻る。明日訪れるのを楽しみにしているロカ岬で、今日の夕方、邦人ではないが、滑落事故があったという。風が強く足場が悪い場所もあり、くれぐれも注意してくださいとのこと。心して行かなければ。
さてこの旅も後半に入った。なんとか体調も持ち堪えている。暑さと強行軍、本当にゼローダをお休みにして良かった、と思う夜である。
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