昨夜はホテルでディナーをゆっくり楽しみ、ブログアップして入浴後、日付が変わってようやくベッドに入った。美味しかったので少し食べすぎかなという気はしていたが、3時間ほど眠った頃、いきなり腹痛で目が覚め、お手洗いに駆け込む。突然の水様便が止まらない。なんだか生唾も出てきて気分が悪い。吐き気はそれほどではなかったが、脂汗を流しつつベッドから転がり落ちるようにお手洗いを往復すること数回。悲惨な2時間を過ごしたら今度は猛烈な吐き気が襲った。それでもなかなかうまく吐けずに苦しいことこの上ない。またノロウィルスか、今度は何に当たったのだろう、ただ胃腸が疲れていたのか、と頭はぐるぐる不毛に回るが答えが見つからない。
結局、明け方まで苦しい思いをして、その後ちょっとうとうとしたところでモーニングコールが鳴った。お腹はぺっちゃんこ、まだ生唾も出て気持ち悪い。歯磨きをしてすっきりするかと思ったけれど、それがきっかけで再度嘔吐。食事も今日の観光もとても無理かな、と夫の部屋に電話する。
恐る恐る朝食レストランに出向くと、殆どの皆さんは食事が終わりかけていた。添乗員のSさんがちょうど召し上がり始めた感じ。いつもはあれもこれもお皿一杯頂く私が、じっとして動きもしないで座っているのにすぐに気づかれて、案じてくださる。かくかくしかじか、なんとか午前中の観光には行きたいけれど、午後からの自由行動のタイミングで一人だけ抜けて帰ってくるかもしれませんとお話する。
すっかり脱水状態だが、固形物を入れる元気はなく、紅茶とリンゴジュースとチキンブイヨンのスープを少し頂いた。「明朝は今までで一番充実したビュッフェだと思います、お楽しみに」と昨夜添乗員さんから聞いていたのに、残念無念。とりあえずロペミン小児用、ドンペリドン、ミヤBMだけ服用。お腹がからっぽなのでロキソニンはやめておく。
今日は移動を除けば最終日。7つの丘に広がるポルトガルの首都、リスボン(ポルトガル語ではリシュボーア)市内午前観光だ。ケーブルカーや坂道の美しさを実感し、体験するのを楽しみにしていた首都である。なんとか気を取り直して、具合が悪くなったら帰るという前提で予定通りの時間にバスに乗り込む。昨日までの3泊4日を同行してくれた運転手のSさんも交代。バスも同じくベンツだったけれど、各席のピッチが大分狭くてちょっとがっかり。
昨日から案内してくれている現地ガイドEさんに、今日は日本人ガイドIさんも張り付く。
今日最初の目的地は1520年に完成し、船乗りたちを見送り出迎えてきた“ベレンの塔”(司馬遼太郎氏は貴婦人がドレスの裾を広げている姿にたとえ、「テージョ川の貴婦人」と表現している。)。シンガポールのマーライオンに匹敵するモニュメントだそう。お天気はとても良いけれど、海辺は冷え込んでいて上着が欲しいくらい。そして水面がなんとなく煙っていて、昨日のロカ岬を思い出す。曰く言いがたい幽玄な様相を呈している。なんとなくお腹に力が入らないし、ふらふらしているが、朝の気持ちよい空気を吸って少し元気になる。
今まで治安が良いといわれていたポルトガルも、ここ数年ですっかりスリの被害が増えているとのこと。くれぐれも荷物を前にかけて注意しておくようにと何度もお達し。スリもプロで、サンドレスに麦わら帽子、地図を片手に旅行者のごとくに近づいてきて、掏り盗って行く。その手口の鮮やかさは、被害者本人が盗られたことを全く気づかないほどだとか。
続いてバスで若干移動してお隣にある“発見のモニュメント”へ。日本に鉄砲伝来が伝来した1543年も刻まれている。高さ52メートルで1960年にエンリケ航海王子の500回忌(!)を記念して造られたという帆船をモチーフとし、大海へ乗り出す勇壮なカラベル船を手に先頭に立つのはエンリケ王子。天文学者、フランシスコ・ザビエル、マゼラン等この時代に活躍した人々の姿が続く。
青空に白い塔の美しいこと。モニュメントの前床一面には、日本の形がここまでリアルに分かっていたのだ(九州は少し小さめだったけれど)とびっくりする当時の世界地図が描かれている。
お腹もロペミンのおかげでなんとなく落ち着いてくれそう、もちろん何も食べていないし吐くものも残っていないので、お水をちびちび飲めば大丈夫と自分を鼓舞していく。遙か昔、大学の卒業旅行で文字通りヴェニスに死す、のごとく高熱を出してゴンドラ観光など出来ずにホテルの部屋で寝ていたことを思い出す。同室だったTさんがりんごを剥いて出かけてくれたっけ・・・、というトラウマは出来れば避けたい。色々常備薬を持ってきておいて本当に良かった。
そして3カ所目はではジェロニモス修道院(インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの石棺があり、カラベル船が彫られている。)。大航海時代と海洋王国ポルトガルの繁栄を象徴するマヌエル様式の最高傑作だ。回廊を回り、美しいアズレージョの壁で埋め尽くされた修道士たちの食事の間を見、階段を上りながら美しい中庭を見、当時に思いを馳せる。
折しもポルトガルで数番目という大富豪の葬儀が営まれており、ものものしく警備の人たちが張り付いている。既にお葬式は1回済ませて2回目!だそうだ。グレーの霊柩車が数台並んでいる。そのせいでカテドラル内部の見学は出来ないとのことで、複雑な心境ではある。
一通り説明の後はお手洗い休憩を済ませて、若干の自由行動。ポルトガルの伝統菓子パステル・デ・ナタ(エッグタルト)が国内で一番美味しいというお店に並んで夫と息子の分だけテイクアウトで購入。ほかほかの出来たて、クリームはとろり、皮はサクサクでレシピは門外不出だそう。粉砂糖とシナモンを別袋でつけてくれてそれをかけて頂く。私はこわごわ一口だけ味見。優しい味だった。
最後はリスボンの台所リベイラ市場。最近この国も共稼ぎが多くなっており、早くに閉まる市場がなかなか需要がなくなってきたために、大規模改修してフードコートに生まれ変わり、大当たりしたという。場内には30店以上のお店があり、人気のグルメスポットだそうだ。それにしても凄い混雑だ。添乗員さんが30分ほど待機しているので、ホテルに帰るなら声をかけてくださいと気を遣ってくださる。彼女はそのままホテルに戻ってお仕事の模様。ぐるぐる回っているとだんだん疲れてくるし、なんといっても情けないほどポルトガル語が読めないし英語表記がなかなかない。本当はもっとお腹に優しいスープでも頂きたかったのだけれど、やむなく結局ピザを頼んで、夫と息子からワンピースずつもらってお水で流し込みロキソニンとドンペリドン、ミヤBM錠を飲む。
市内地下鉄、バス、ケーブルカー、トラムをはじめ、サンタ・ジェスタのエレベーターなどにも使えるという優れもののツーリストカードを片手に自由行動スタートだ。そのままホテルに一人戻るのは悲しいので1時間だけ、ケーブルカーに1度だけ乗ったら気が済むからと2人に同行することにした。
石畳の坂道の多いリスボンではケーブルカーが便利。黄色い車体はとてもチャーミングだ。お年寄りにはあまり優しくないのかな、とも思う。若くたってあの坂を上ったり下りたりしたら大変だ。
息子が地図を片手に、地下鉄を乗り継いで、一番短い期間のケーブルカーに乗せてくれた。終点は見晴らしが良い展望台になっており、屋台でお昼を摂っている人たちも。お水をゲットして少しだけ界隈を歩く。息子が、少し歩くと別の人気路線のケーブルカーにも乗れ、トラムにも乗り継げるというのでお任せしてついて行く。ケーブルカーを降り、1時間に1本らしいトラムを待ったがなかなか来ないので、再び市場前の駅まで戻って別系統のトラムに乗り、地下鉄に乗り換える。息子が駅直結の百貨店に行ってお土産を買ったりポルトガル製のスニーカーが見たいと言うので、私も同行し、お土産を購入して一人でホテルまでタクシーで帰ってきた。その後スニーカーを物色していた2人は18時にご帰還。
今宵はポルトガル最後の夜。哀愁を帯びた歌声とギターの調べ、ファドを聴きながらディナーを頂くオプショナルツアーを予約していた。朝はとても無理・・・キャンセル料全額かと思っていたけれど、ひとまず一人早めに戻って涼しい部屋でだらだらと休んだので、参加することにした。
2012年世界文化遺産に登録されており、この国の民族歌謡、心の歌と言われる。ファドはもともと、社会の底辺にいる貧しい人たちが愉しむ大衆的な音楽だったという。ファドとは「運命」「宿命」を意味するラテン語のfatumに由来すると言われ、ポルトガル語のサウダーデという語は、失われたものに対する郷愁、悲しみや懐かしさなどの入り混じった感情であり、歌の中にはサウダーデの言葉がよく使われる。
そんなファドは人々の様々な感情を表現し、言葉を超えて私たちを魅了する。演奏者の構成は歌い手、ギターラ奏者、ヴィオラ奏者の3名でこれに低音のバイシャ・ヴィオラかコントラバスが加わる場合もあるそうだ。
今日は2階のベストポジションで男性歌手1名、女性歌手2名にそれぞれギターが2名ついて、歌と民族舞踊を取り入れた間のステージも。ディナーはドンペリドンやミヤBM錠と息子に手伝ってもらいながらミネストローネやビーフストロガノフと紅白ワイン、チョコレートムースのデザートを少しずつ楽しみつつ、たっぷり2時間を堪能した。夫は終了後に出演者のCDを記念に購入。いい思い出になった。
空を見上げれば出発してきたときにはまだ半月になっていなかった月が随分膨らんでいた。
このオプショナルツアーから戻ると10時過ぎ。明日の帰国便はフランクフルト経由でお昼発なので、リスボンを立つのは早朝。モーニングコールは2時半、3時15分の出発だという。
もう寝ているわけにはいかないのでこの後は、入浴し、荷物整理し、眠らずに出発を迎えるというハードスケジュールが待っている。