ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2018.8.19 旅行3日目、初代ポルトガル国王が生まれた街、ギラマンイス観光とポルト観光

2018-08-20 06:40:07 | 

 さすがに疲れていて、昨夜はブログを書くのも青息吐息。入浴後、早々にキングサイズの大きなベッドに入り、明け方、お手洗いに起きるまでに5時間半近く連続で眠れた。モーニングコールまで2時間近くあったが、その後は二度寝出来ず6時半頃のろのろ起き出した。それでも大分すっきり、疲れが取れた感じ。

 窓を開けると大分明るくなっている。日の出は見えなかったけれど澄んだ空気が気持ちよい。目の前に広がる湖と山々、花たちの美しさを愛でつつ、3日ぶりに瞑想とヨガのポーズで身体を伸ばした。心が落ち着いていく。昨晩元気の無かった夫が心配だったのでLINE をすると大分復活した模様。
 ゆっくり身支度して荷物を部屋の外に出し、レストランに移動した。ちょっとずつ色々頂き、すっかり満足。痛みもなんとか落ち着いているが、念のためロキソニンは飲んでおく。ゼローダを自主的にお休みにしたこと、抗生剤も同じく自主的に一旦終了にしたことで、毎回内服するのはミヤBM錠のみ。おかげで今回は薬も手持ちが少なく気分的に随分楽である。

 予定通り9時出発。今回はベンツの大型バスを添乗員さん含め12名で使っているので、これまた快適。一人一席でもがらがらである。バス内でのwifiも順調でとても便利である。
 今日は1時間半ほどかけて、40Km離れたギマランイスへ移動することからスタート。目指すは世界遺産ギラマンイス歴史地区だ。夏休み中の日曜日、カトリックの国だから安息日にあたり、お店も基本はクローズとのこと、車も空いており予定より20分ほど早く到着した。

 現地のガイドさんと合流し、まずは初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケス1世の生まれたギマランイス城を観光。街の入り口の壁には「ここにポルトガル誕生す」とあり、街の人たちは国王が生まれた場所ということで、誇りに思っているとのこと。
 10世紀に建てられた7つの塔を持つ城で、塔の上からは街並みが一望出来る。昨日のオビドスの城壁のように、手すりも柵もないという状況ではなく、歩きやすく整えられていたので助かった。今日もお天気は快晴。軽く30度を超える予報である。階段をえっちらおっちら登り、ガイドさんの説明を聞き、当時の鉄で出来た帽子を被ってあまりの重さにびっくりしてみたり、と忙しい。

 お城の麓にある12世紀建造のサン・ミゲル教会は、ロマネスク様式の可愛らしいもの。アフォンソ一世が洗礼を受けたところだそうだが、石造りで歴史の重みを感じさせる場所だった。お城前のアフォンソ一世の像のあたりにバイオリン伴奏でソプラノ独唱をする学生がいて、驚くほど声量豊かで皆でしばし聞き惚れた。
 ここから坂道を下りて、街を散策。日差しが強くじりじりと肌が焼けているのがわかる。日焼け止めとサングラスに日傘(これを差している人は殆どいない)と重装備だ。それでも東京のような高湿度ではないので、とても耐えられないという感じではない。

 ロマネスク様式とゴシック様式が交じったノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会は、そのアーチが完成するときに教会前のオリーブの樹が突然葉を出したという伝説から、「オリーブの樹の聖母教会」という別名があるそうだ。広場には人々がオープンカフェでお茶を飲んだり、おしゃべりをしたり、日曜のお昼前の時間を楽しんでいる。旧市庁舎の建物も立派。広場を囲む色とりどりの建物のヴェランダがとても美しい。
 少し自由散策時間があったので、息子は黒字にイワシの柄のキュートなTシャツを購入。ここでも彼はちゃっかりお店の金髪美人とツーショットをお願いする。

 そして再びバスに乗り込み、60Kmほどの移動を経てポルトガル第二の都市、商業の中心地ポルトに到着。ポルトガルの国名の由来となったこの町の旧市街地は、ポルト歴史地区として世界遺産に登録されている。普段なら1時間半はかかるというが、バスは順調に進み、予定より早い時間に到着したため、ランチ予約時間前にバロック装飾の極致サン・フランシスコ教会を見学出来た。

 ここは14世紀に建造された修道院付属の教会だ。当初はゴシック様式だったが17世紀にバロック様式に改装されたという。内部の金泥細工が圧巻。口を開けて高い天井を見上げる。壁も柱も金箔を張った見事な彫刻で覆われている。両側に複数の礼拝堂があるが、修道者の像の胸や首に杭が刺さっていたり、かなり残酷なものも。中でも「ジェッセの樹」というキリストの系図は素晴らしかった。教会の外に出ると、ドウロ川を隔てた街の美しいこと。いくら写真を撮っても撮りきれない感じ。気持ちが高揚するのがわかる。

 ランチタイムは教会のすぐ脇にあるレストランで。ポルトガル名物バカリャウ(干し鱈)のコロッケが前菜でメインは鴨のリゾット、デザートはエッグタルトを堪能する。ウエイターさんたちは片言の日本語を話して楽しい。息子はサングリアを飲んでほんのり頬を染めて幸せそう。

 食後は港方面に歩いて移動し、クルーズ出発までの若干自由散策時間を頂いてお土産物屋さんへ。あれこれ買い求めるつもりでレジまで行ったが、直前のベトナムからの観光客が大量の商品をタックスフリーで購入中。店員さんが計算を間違えたようで、手続きに時間がかかり、集合時間まで時間がなかった私たちは泣く泣く買い物を諦めて集合場所へ急いだ。川からの心地よい風が吹くウオーターフロントは大賑わいだ。

 船上からの美しい街並みを愉しめる小一時間のドウロ川クルーズを満喫。さすがに暑さが厳しく、屋根のある船内に座って、外には写真を撮るときだけ出る軟弱さだったけれど、坂道を歩いて少し草臥れた身体にはこの1時間は貴重な休憩時間になった。

 船から下りて、ポートワインのワイナリーを訪れる。1790年にスコットランド人のサンデマンが創設したワイナリーは、黒マントとソンブレロのトレードマークで親しまれている。案内の女性もそのスタイル。ローマ時代からワイン造りが始まっていたというポルトガルだが、ポルトに来たら、やはりポートワインでしょうということで、白赤2種のポートワインの試飲をし、息子はミニボトル等をお土産に購入した。

 その後は出来たばかりで地元の人にも人気という、旧市街を一望できるゴンドラに乗車。全長90メートルの区間わずか2,3分ではあったけれど、しばし空中散歩を楽しむ。クルーズでは下から見上げたドン・ルイス一世橋を今度は上から見下ろす感じ。パノラマのように広がる景色に目を見張る。

 最後は、ポルトの玄関口サン・ベント駅構内のアズレージョ(装飾タイル)。ポルトにまつわる歴史的な出来事が描かれている。ヨーロッパの終着駅の駅舎はどこも似た造りだけれど、20世紀初め修道院跡地に建てられたというこの駅も実に立派である。
 こうしててんこ盛りの観光が無事終了。車窓から「世界で最も美しい書店ベスト10」に選ばれたという「リブラレラ・レロ」に並ぶ観光客の姿なども見た。入りたかったのだけれど、残念。
 夕食はミックスサラダ、ポルトガル風のブイヤベースと焼きリンゴに舌鼓。ウエイターさんからチリソースを紹介されてかけてみたけれど、かなりホットでびっくり。息子はさらに辛いというものを試して、顔から汗が止まらなかった様子だ。北海道からいらしている80代の素敵なご夫婦とお昼に続いてご一緒。

 そして、今日から2泊するポルトのホテルへ無事チェックイン。夫と息子はジュニアスイートの部屋で大喜び。私も一人では十分なツインのシングルユース。
 明日は国境越えでスペインに入る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018.8.18 旅行2日目、王妃に愛された美しい街オビドス、大学の街コインブラを経てカニサーダへ

2018-08-19 06:41:17 | 

 昨夜、乗り継いだ飛行機が離陸したのは予定時刻より2時間近く遅れ。クルーの不手際とのこと。夏のヨーロッパ、本当に日が長く夜9時までは明るい。暮れなずんできても一向に搭乗案内がされず。待ちくたびれ疲れ果てて、機内の人となった途端に3人とも首を垂れて爆睡。気づけば軽食も頂けず、着陸間際にお水だけ頂戴する。

 リスボンに着いたのは再び時計を1時間戻して日付が変わる頃。ここでまたトラブル発生。指定されたターンテーブルから荷物が出てこない。添乗員さんに連れられてバゲージクレーム手続きカウンターへ。大昔、夫とイタリアはローマに出かけた折りにもロストバゲージがあった。そのときはローマに3泊したので、誤って別の国に届いてしまった荷物は2日後にローマのホテルに戻ってきた。最低限の着替えや身の回り品について航空会社が対応してくれたもののとんでもなかった。今回は1泊1泊で場所を移るので、最終泊のリスボンにでも荷物が届いたらと頭を抱えた。ここで地獄に仏、別のレーンで同じグループの方たちのスーツケースが見つかり、結局、全員分の荷物が発掘された。そんなこんなで空港を出たのがすでに早朝1時近く。空港至近のホテルにチェックイン出来たのは15分ほどしてからだったけれど、最低限の荷物を整理して入浴してベッドに入ったのは2時を回っていた。
 今朝のモーニングコールは無情に6時。疲れすぎると眠れないというのは真実で、今回夫と息子が1部屋、私は隣のツインをシングルユースにしたが、寝過ごしたら大変と眠れず、少しとろりとしたかと思ったら4時半に目が覚める。その後少しうとうとしたと思ったら、モーニングコールと目覚まし時計がダブルで起こしてくれた。
 部屋の外に荷物を出して、朝食レストランへ。さすがに日の入りが早いので日の出は遅い。7時前に朝食を摂りながら、ようやく美しい朝日が上るのを愛でることが出来た。フランクフルトの空港で夫と息子からソーセージをちょっぴり分けてもらったのが最後の食事で、12時間以上の絶食。空腹で、あれもこれもぱくぱくと頂いた。

 そして予定通り8時にはホテル出発。滞在時間僅か6時間半、睡眠時間3時間といったところ。稀に見る強行軍である。
雲一つない良いお天気。抜けるような青空。気温は30度を超えるというが、からりと乾燥していて朝の空気はちょっとひんやりするくらい。

 今日の最初の目的地は、90Kmほど離れた「谷間の真珠」と呼ばれる城壁に囲まれた人口800人ほどの美しい街、オビドス。普段はホテルから1時間半ほどかかるのだそうだが、夏休みの土曜日ということで驚くほど車が空いており、1時間ちょっとで到着。車窓からは沢山の風力発電機が見え、いつかスペインのアンダルシア地方で見たような田園風景が広がった。赤い屋根の家々がとても可愛らしい。
 9時半スタートのツーリストインフォメーションセンターもまだクローズ。他に観光客がいなくて、私たちは貸し切りの第一号訪問客である。オープン準備中のお土産屋さんが連なる一本道を添乗員さんに案内されて、自由散策へ。

 箱庭のような街並みで、家の壁は町の旗に使われている青や黄色で塗られている。ブーゲンビリアやゼラニウム等、色とりどりの美しい花々が軒先を彩っている。ちょっと洒落た陶器やコルク製の土産品を並べたお店、どこでシャッターを押しても絵はがきのようになる。
 イスラム時代に造られたメインゲート、おとぎの国への入り口のようなポルタ・ダ・ヴィラを抜けて石畳の道を歩く。すぐに城壁へ上る階段がある。ベロリーニョ(罪人のさらし柱)が立つ哀しい物語に秘められたサンタマリア広場、アズレージョ(ポルトガル伝統の装飾タイル)が美しいサンタマリア教会。城壁の上はどこまでも青い空。

 夫曰く何でもやりたい病の私は、ちょっと城壁を上ってみたけれど、手すりも柵もないし大人がすれ違うのも厳しいほどの細い道で、かなり怖い。さすがに初日から怪我をしたら目も当てられないと、途中で断念して戻ったが、息子はしっかり行き止まりまで歩いてきた模様。高いところは苦手な夫は最初から見向きもせず、箱庭のような町の景色を楽しんでいた。
 ああ、本当にポルトガルに来てしまったのだ、と改めて実感する。このツアーに申し込んだのは息子が鉄道会社から内定が頂けた日。よし、と一気に探してその日のうちに決めてしまったのだから、我ながら遊ぶことにかけて凄い実行力である。

 帰路2人はオビドスのお酒ジンジャにトライ。サクランボをつけ込んだ果実酒で、ホワイトチョコと普通のダークチョコで出来た可愛らしいカップに入れて飲ませてくれた。私もちょっぴり舐めさせてもらったけれど甘くてとても美味。

 可愛らしい町オビドスに別れを告げて、午後は2時間ほどかけて135Kmの移動。大学を中心に発展した文化都市、コインブラへ向かう。リスボン、ポルトに次ぐポルトガル第3の都市だ。モンデゴ川岸の小高い丘にコインブラの街並が見えてくる。まさに絵に描いたような美しい景観だ。
 ランチは旧カテドラルのすぐ横に建つ小洒落たレストランで。2階の半個室のテーブルに11名が並んだ。青色のアズレージョで飾られた店内はとても素敵な雰囲気。カルド・ヴェルデという、ポテトスープをベースに千切りのちりめんキャベツを煮込んだスープ、赤ピーマンのペーストで味付けした豚肉とあさりを炒めて、コリアンダーとレモン汁で仕上げた物がメイン。美味しく優しい味付けに舌鼓。デザート大国ポルトガルは卵黄をベースにしたデザートが数多くある。カステラのルーツであるとされるパン・デ・ローやサンチャゴ名物アーモンドを使ったサンギャゴタルト、この国発祥のエッグタルトは中はしっとり、皮はパリパリ。日本に伝わって金平糖となった砂糖菓子はコンフェィト、である。今日のお昼は春巻きのように卵黄のクリームを巻いて揚げたもの。名前はわからなかったが、これも美味しかった。

 お腹を満たした後はポルトガルのガイドさんとともに市内観光に。ポルトガルで最も歴史ある名門コインブラ大学と付属施設がメインになるが、時間指定の観光になるため、まずは旧市街の散策。8学部あるというこの大学の周りでは黒いマントを着た学生の姿がたくさん。立派な建物の数々に圧倒される。
 それにしても強烈な坂道である。踏ん張って歩くと爪囲炎が再燃しそうでちょっとハラハラ。どこも石畳だし、下り終わったときには膝が笑っていた。ここで若干の自由散策時間。今ではここでしか作られていないというコンフェイトや、家族3人それぞれの生れた年がプリントしてあるオイルサーディンの缶詰をお土産に買い求めた。

 旧市街の入り口にあるポルタジェン広場は花壇が美しい。サンタクララ橋から対岸を望むと修道院の姿も見える。すぐに集合時間になるが、気温が上がってかなりの暑さだ。健脚でないととても大変。添乗員さんは実にタフで、ゆっくり歩きますという最初のお話はどこへやら。皆必死でついて行く。

 再びバスにピックアップしてもらって丘の上の大学へ。創立は13世紀。鉄の門をくぐり中庭に出ると、3方を古い建物が取り囲みカブラ(山羊)と呼ばれる時計塔が大学のシンボルになっている。階段を上ってギャラリー・ラテン回廊へ。ここからは、学位授与式などに使われていた帽子の間を見ることが出来る。荘厳の一言に尽きる。壁にはポルトガル歴代国王の肖像が。そして最後は、豪華な装飾が施された必見の1724年に建てられたジョアニア図書館。蔵書は30万冊に及び、華麗なターリャ・ドウラーダ(金泥細工)による内部装飾や調度品が素晴らしい。昨年のディズニー映画「美女と野獣」に登場した書庫のシーンがこの図書館にそっくりだったと聞いていたが、まさにそうだった。大学の礼拝堂もあり、内部は17世紀のアズレージョで覆われており、見事なパイプオルガンに圧倒される。
そして本日の観光はこれにて無事終了。

 今宵の宿泊は、憧れの国営ホテル・ポサーダに泊る!という、このツアーの売りとなっているホテル。古城や修道院など、歴史的建造物をホテルに改装したものが多くあるポルトガルの国営ホテルが「ポサーダ」だ。途中一度お手洗い休憩を挟み、到着は予定より早く7時前。3年前ノルウエーで泊まったフィヨルド付近のホテルのような絶景のホテルだ。山小屋風の重厚な作りでプールもある。水着を持ってこなかった息子は残念がっていた。3階の部屋からはその見事な風景がバッチリ楽しめて本当に贅沢。夕食はホテルのレストランでパンプキンスープやチキンソテー、デザートバイキングを楽しんだ。

 今日2日目が時差と疲れで身体が一番きついという。バスでは添乗員さんの説明も聞かず毎度眠りこけていたが、それでもかなりお疲れだ。若い息子は元気に昼夜とワインを頂いているが、夫はかなり疲れた様子で夜はガス入りのミネラルウオーター止まり。
 胸痛もちょっと気になる。今日こそ早めに寝て、明日からに備えなくては。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018.8.17 今日から夏休み!ポルトガルへ最後(?)の家族旅行へGo!

2018-08-18 03:30:18 | 

 今日から夏休み。来春には息子が大阪勤務となる筈。今後はなかなか長い旅行を共にするのは難しいだろうということで、最後の(実際はそうでもないかもしれないけれど)家族揃っての海外旅行!のつもりで、ちょっと奮発して、以前から一度行ってみたいと思っていたポルトガル&北スペイン8日間の旅に申し込んだ。

 日本人の口に合うと好評のポルトガル料理を中心に、本場でしか味わえない郷土色豊かな料理を心ゆくまでご堪能あれ、という触れ込みだ。食事は美味しい、治安も良く、人々は親切で、と三拍子揃った国、ヨーロッパ最西端の郷愁豊かなる美しい国へ、いざゆかん、である。
 両親は大昔ちゃっかりポルトガルにも出かけていて、我が家にはその時のお土産、幸運のシンボル「ガロ」(バルセロスの雄鶏伝説にちなむポルトガルのマスコット的存在)が鎮座している。正直、自分の体調を考えれば前回の北欧旅行でヨーロッパ行きは最後だと思っていたので、また新しい国を訪れることが叶って素直に嬉しい。
 水曜日までゼローダ休薬期間だったが、だるさが酷く、主治医に相談して旅行中も引き続き内服をやめることにした。

 昨夜は、夕食後からパッキングを始めたら結構遅い時間になって、入浴、ゴミ捨て、洗濯等家事を片付けていたら日付が変わってしまった。なかなか寝付けないまま、今朝は5時前に起きて最寄り駅から6時発のリムジンバスで羽田空港まで。そんなわけで睡眠時間は3時間そこそこというトホホな状態である。集合時間より小一時間早く到着出来る予定だったが、渋滞で30分前のほどよい時間に到着した。受付を済ませ、eチケットを受け取ってチェックイン。身軽になったらすぐに手荷物検査を終えて無事出国。両替を済ませラウンジへと向かった。搭乗まで1時間半ほど。朝食はバス内でパンをかじっただけだったので、健啖家な息子は朝からラーメンやらカレーやら日本酒まで頂いて大層ご立派な食欲である。

 今日はフランクフルト経由でリスボンからポルトガル入国。
 所要時間は最初のフライトが11時間半ほど。フルフラットシートで新作映画も見放題、食事も美味しくデザートも充実、快適な12時間なので、それほど疲弊しないとはいえ、長時間フライトに変わりはない。
 日本未公開の外国映画1本、日本映画1本を観、持ってきた文庫1冊(南杏子さんの「サイレント・ブレス 看取りのカルテ」(幻冬舎文庫)を読み終わり、何度か横になったけれど残念ながら眠ることは出来なかった。息子が今回の旅は就職内定祝いでとCAさんにお話したところ、着陸直前に「ご就職おめでとうございます」とチョコレート文字で飾られたデザートとフルーツの盛り合わせのサプライズがあった。いよいよ無事卒業しなくては、である。有難く一緒にツーショットの写真を収めてきた。

 今回のツアーは11名。お二人連れが4組と我が家である。初めてのご対面がフランクフルトで飛行機を降りた後だ。皆で入国手続き後、手荷物検査へ。審査はかなり厳しく、ボディチェックもびっくりするほど丁寧で、息子に至ってはハイカットのバッシュを履いていたせいか靴まで脱がされ、ベルトも外され、横で見ていてちょっと不安になった。よほど人相に問題があったのかどうか。
 乗り継ぎ便の搭乗口を皆で確認した後、乗り継ぎ便集合まで2時間のフリータイム。ドイツ初上陸の息子のリクエストでビールとソーセージの軽食である。時差は7時間。機内でも2回の食事に、プラスアルファでラーメンだ、お好み焼きだ、とあれこれ食べ続け、すでに真夜中だというのになんと胃腸がたくましいことよ。付き合う夫も素晴らしいが、私はもうかなりヘロヘロ、無口になりつつある。

 ついていないことに、インナーヨーロッパ便が1時間の遅延。今は搭乗アナウンスを待ちながら原稿を書いているが、日本時間ではもう3時半を回ったところ。ポルトガル到着でさらに時差が1時間プラスされるので、ホテルに到着出来る頃には家を出てから丸一日以上が経過することになる。もう完全徹夜状態だ。やはりユーラシア大陸西の果てのポルトガル、遠い国である。
 空港から5キロというリスボンのホテルに到着するのはもう真夜中(日本時間では18日朝)。なんとかこの疲れと8時間の時差を早急に解消して旅を楽しみたい。明日に備えてバタンキューである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018.8.15 平成最後の8.15雑感

2018-08-15 21:30:22 | 日記

 平成最後の終戦記念日だそうだ。なるほど来年の夏は既に新しい元号に切り替わり、皇太子殿下が新しい天皇陛下として即位されている。
 平成時代、30年。自分が生きてきた年月の半分以上を占めているのだけれど、やはり私の奥底に流れているのは昭和なのかなあ、と思う。

 6日の広島、9日の長崎、そして12日の御巣鷹に今日の終戦記念日。
 旧盆の期間でもあり、半月の間に多くの鎮魂の日が続く8月。
 病とともにありながらも、こうして平和を当然のことのように享受している身、改めて今あることに感謝しなくてはと思う。生きていることは奇跡の積み重ね、昨日と同じ明日が続く保障は何もないのだから。

 今年は6月末から本当にずっと、ずっと暑い日が続いている。前半は職場の冷房もきちんと効かず、冗談ではなく生命の危機を感じたものだ。さすがに緊急対策でその恐れはなくなったけれど、抗がん剤を内服しながら、低い白血球の値でダルさを抱えながらあれもこれもと欲張って動いている身、やはり夏バテ感は否めない。正直、かなり疲れが溜まってきたなあと思う。あと1ヶ月は暑さが続くのだろうかと思うと、気分が萎える。

 そういえば余りの猛暑続きで今年は蚊も少ないという。確かにこの夏、蚊に刺された覚えがあまりない。普段は職場の机の下やら家の玄関ポーチ前にいて、虫よけスプレーをしてもいつのまにか食われているのだけれど。幼虫が育つ水溜りもすっかり干上がっているせいか。

 いくら暑いといっても、地上よりも土の中の方が涼しいのだから出てこなければ良かったのに、と思うミミズたちも、炎天下の道端でもんどりうった姿勢のまま絶命しているし、何年も土の中でこの夏の出番を待っていた蝉たちも、短い一生を満喫出来ずに、道路のあちらこちらでお腹を出して息絶えてしまっている。

 仕事の方は補講や集中講義も一段落し、お盆期間で櫛の歯が欠けたように空席が目立つ。休暇中の方が多いとみえて、普段に比べればメールも電話も断然少ない。夏休みの宿題を処理するには落ち着いて色々準備できる期間ではある。とはいえ、ある程度リズムカルに様々なことに追われていた方が、私としては体調管理がし易いような気もする。

 一日中座ってPCに向かって書類を読んだり、考えごとをしていると、ふとした加減で痛みに神経が集中してしまうことがあって、それに絡め取られてしまうことがある。普段のペースで仕事があれば、気が紛れて痛みに集中することはないのだけれど。

 先週、今週と職場はノー残業ウィークだし原則定時で失礼するのだけれど、職住近接とはいえ、昼休みを含め9時間の拘束を経て帰宅するとぐったりする。
 一昨日はなんとか夕食の支度をしたが、煮炊きは最小限。昨夕は仕事帰りにスーパーに寄って食料品の買い物をしたらそれだけでやけに疲れてしまって、ソファで横になり、夕飯の準備からリタイア。私より遅く帰って来た夫におかずを作らせてしまう体たらく。トホホである。

 明後日から家族旅行。今日は息子が関西から戻って来た。食事を作る量も種類も増えるから今夜はしゃんとした。
 相変わらずしつこく胸部の鈍痛、圧痛が続いているけれど、夜眠れないほどではないし、ひとまずロキソニンである程度は抑えられている。
 痛みばかりに集中しないでいられることは有り難いことである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018.8.12 CNJフォーラムとラベンダーリングプロジェクト参加

2018-08-12 22:29:45 | 日記

 昨日のうちに家事を済ませたので、今日は午前午後と自分の用事だけ済ませればよい幸せな日。まだスッキリ痛みがなくなっているわけでないし、気圧の変化も激しいのでちょっとこわごわ出かけることになった。
 今日もいつもより寝坊をして、月1回のWさんのサロンで至福のマッサージの日だ。曇天だけれど、とにかく高湿度。じわじわと汗が滲んでくる感じ。午後お天気は雨かもしれないと不安定なようだ。

 今日は午後からこんなお愉しみがあるんですよ、とWさんにお話しする。
 先日、ASHAREさんの瞑想ヨーガクラスのランチ会で、昨日と今日開催されるCNJ2018(ジャパンキャンサーフォーラム2018)に展示ブースを出すと伺った。昨年のフォーラムでLAVENDER RINGのMAKE UP&PHOTOにスタッフの方々が参加され、とても素敵だったとのこと。今年も募集があるから予約されてみれば、とのことだった。

「がんになってもいきいきと暮らす人がたくさんいる」。がんへの偏見や誤解をなくすべく企画されたというプログラムは、資生堂さんのスタッフがメイキャップとヘアメイクを施し、プロカメラマンが撮影。その場でポスターに仕上げてプレゼントしてくださるというもの。HPを拝見すると、ASHARE代表のHさんやAさんが女優さんさながらの素敵な笑顔で写っておられた。これは、と思って(なんでもやってみたい病と夫には言われるが)応募してみた。その結果、今日の午後おいでくださいと連絡が届いたのだ。

 今日は何があってもいかねば、と思っていたが、ちょうどWさんのサロンでマッサージして頂けるし、木曜日にカットにも出かけたばかりだし、コンディションとしてはいいタイミングである。念のため痛み止めもしっかり持って出かけた。
 Wさんにはいつものとおりゴッドハンドで頭から手先もすっかりケアして頂き、施術中はウトウトとリラックス。顔色もいいし、ツヤもハリもありますよ、次回是非見せてくださいね、と言って頂き、背中を押して頂いた。

 駅ナカで軽食を済ませ、予定より1台早い準特急に乗り、地下鉄に乗り換えて会場へと急いだ。今回は全てのがんが対象で、参加者無料、予約不要、どなたでも参加可能というイベントなので、お天気はぱっとしないのに凄い人出だ。
 まずはラベンダーリングプロジェクトの受付場所を確認し、既に写真を撮った方のポスターを拝見しつつ、展示ブースに進んでASHAREさんにご挨拶に。Hさんはちょうどお食事中ということだったけれど、ヨーガクラスにも参加されたことのあるスタッフの方が立っておられた。クラスのチラシを置いてくださっていて、嬉し恥ずかしである。素敵なアロマの手作りグッズが並んでおり、帰りに買わせて頂くことにしてティーコージーやアロマのシューキーパー、ハーブティ等をお取り置きして頂いた。まだ少し時間があったので、ブースをふらふらしながら、セミナー会場で「がんゲノム医療」の講演を少しだけ聴かせて頂く。

 予約時間の5分前に受付に戻り、まずは肖像権同意書や最初のアンケート等に記入。そして今日メイクをしてくださるYさんが来てくださる。沢山の化粧品が並んだ椅子に通され「サバイバーになってからどんな毎日を送っているのか伺いながら、お一人おひとりの美しさを最大限に引き出すメイクを行います。」のステップ1である。
 治療のために2度脱毛しており、眉毛も睫毛も脱毛のそのダメージが残っていること、加齢もあるけれど、顔色はくすんでいるし、シミも沢山になってしまった。そして手先の黒ずみもささくれも酷いというお悩みも全てお披露目。

 ラベンダーリングという名称どおり、写真の背景の色は私の大好きなラベンダーカラーだ。そんなことをお話しながら、殆ど生えていない睫毛をビューラーでアップし、マスカラやアイラインを入れると目チカラが戻ってくる感じ。ポワポワの眉も不自然にならない感じで優しく整えてくださる。ラベンダーとアイシャドーやローズのチーク、リップで上品でふんわりした感じのメイクに仕上がった。思うに、人からフルメイク等して頂いたのは結婚式の披露宴以来ではないか。ASHAREのHさんがいつの間にかそばにいらしていて写真を撮ってくださっており、これまたびっくり。

 その後はヘアセット。2度も脱毛して髪のボリュームがなくなっているのでボリュームがアップするような感じで、とお願いすると、スッキリ額を出して(かつらを被っていた時に目印にしていた生え際の黒子もくっきり見えるほど)逆毛を立てつつ、エアリーな感じにあっという間に仕上げてくださった。
 周りではお母さんと一緒に撮影するチビッコもお洒落をして嬉しそう。浴衣あり、フラの衣装あり、様々で賑やかだ。

 何か頑張っていること、好きなことにまつわる小道具を持ってきてくださいという事前の連絡があったので、楽譜とガネーシャの像を持参したのだけれど、2つ持つのはちょっと厳しいらしく、あらゆる困難を取り除いてくれる私の守護神であるガネーシャ像に一緒に写ってもらうことにした。
 さすがにプロのカメラマン。おだてる(!?)のがお上手で、恥ずかしい~と引きつりながら笑っているうちにどんどん撮ってくださって、次第に表情が柔らかくなった。そして出来上がったのは、目じりの皺も気にせず大口を開けて大笑い、の写真である。メイクのYさんによると、いつも化粧品のモデルさんを撮っておられる方で、自分たちも撮ってほしいくらいくらい、とてもお上手で素晴らしい方とのこと。なんとラッキーなことか。

 ガネーシャ像の持ち方を変えたり、一度手放して手を組んでみたり、何ポーズか撮って無事終了。カメラマンさんと一緒にどれがいいか、と写真選択タイム。やはりガネーシャと一緒のものがいいかな、と意見が一致してステップ2は終了。

 次に、選んだ写真にサバイバーが今一番打ち込んでいることを書き込んだ画用紙をデザイナーがレイアウトしてくださり、世界に一枚だけのポスターが仕上がるのがステップ3。あらかじめ(英語で)考えて来てくださいね、というお話だったので、「私らしくいる」と書いて、楽譜が持てなかった分♪で飾りをつけてみた。こうして打ち込んでいることを自筆で確認すると、改めて宣言にもなる、とのこと。

 ポスターが仕上がるまで15分ほどかかるとのことで、その間はインタビューをお受けすることにした。別室で、Nさんというインタビュアーと撮影者のお2人。がんになって思ったこと、2人に一人ががんになる時代に伝えたいこと、等々聞かれるがまま、好きなだけお応えしてきた。ちょっと図々しかったかしら。まあ13年半も患者をやっていればあまり繊細では身や心が持ちませんが。

 インタビューの後、ASHAREさんのブースに戻ってご挨拶し、ハンドメイドの品を買い求め、写真を受け取りに受付まで戻った。
 既にポスターになった写真が会場に貼りだされていた。恥ずかしいけれど、今を精一杯生きているいい記念になった。これがステップ4。周囲の方たち、社会がサバイバーの行動に気づくきっかけになり、勇気づけられ、笑顔の輪が広がっていくという。
 自分のポスターの前で、メイクを担当してくださったYさんとツーショットを撮って頂き、出来上がったポスターを頂戴し、大満足で会場を後にした。
 こうして綺麗にして頂き、がんとともに共存していくためにアピアランスケアは本当に大切だと実感した。最初に訪れた時と綺麗にメイクを済ませて頂いた後は、テンションの上がり方が全く違う。綺麗にして頂けると痛みも和らぐんだな、そんなこともビフォー・アフターのアンケートで思った。そう、いつだったかのセミナーでお目にかかった美容ジャーナリストの山崎さん(闘病記「『キレイに治す乳がん』宣言!」にミーハー宜しくサインを頂いたことがある)に再会し、ご挨拶出来たのも嬉しかった。
 彼女も昨年、真っ先にモデルになって向日葵のような笑顔を振りまいておられたが、今日もその大きなポスターが貼られていた。
 こうした活動は全てボランティアとのこと。休日返上でこうした社会貢献をしている資生堂さんにも頭が下がる。

 さすがに体調万全でない中、2日間にわたって一人で都心を往復したので疲れていないと言えば嘘になるが、充実し過ぎたくらいの土日だった。
 ちょうど休日最初のライナーに目の前で行かれてしまいそうな時間だったので、次の準特急に座って帰宅出来た。
 途中、お盆のお花を買い求めて、帰宅。すっかり夫頼みで夕飯もお任せ。
 来週は息子も帰ってきて、週末からは旅行である。それまでにきちんと体調を復調させなければ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする