昨夜も無事日付が変わる前に眠りにつくことが出来たが、5時間程眠ってお手洗いに起き、あとは二度寝出来ず。諦めてモーニングコールを待たずに起き出し、時間があったのでヨガとストレッチ。一日バスに乗っている割には腰痛にもならず助かっている。
スーツケースを部屋の前に出して、朝食レストランへ向かう。昨朝に引き続き美味しかったものをちょっとずつ色々。快食でお腹の調子もよく、満ち足りた朝だ。
予定通り8時出発。朝のうちは空気が少しひんやりしているが、直ぐに30度を超えるようだ。ポルトの街に別れを告げて、今日の最初の目的地は、小1時間ほどバスを進めて80Km離れたアズレージョ(装飾タイル)が美しいアヴェイロの街に立ち寄る。
アヴェイロ駅は旧駅舎と新駅舎が並んでいるが、旧駅の外壁はアヴェイロの風景を描いたアズレージョが素晴らしい。白地に青の絵が青空に映えて美しい。駅に入って内側からも写真撮影出来た。鉄男の息子はご機嫌でホームを行ったり来たり。ちょうどリスボン行きの電車が来て、電車ともしっかりツーショット。どこにいても駅は心躍る場所のようだ。このあたりは使えるお手洗いがなかなかないということで、駅の中の有料トイレをお借りする。
ポルトガルの水の都の別名を持ち、運河に沿って並ぶ素敵なアズレージョで飾られている美しい家々が水面に映り、それは素敵。中央運河沿いでは色鮮やかな沢山のモリセイロ(ベニスのゴンドラを大きくしたような形に舟で、酪農肥料用の海藻を集めるためのものだったものが、今は観光用に使われている。)が観光客待ちをしている。あいにく私たちは次のレストランの予約時間があったので乗船は叶わなかったが、船頭さんの案内で周辺水路を45分ほどで巡ってくるとのこと。青い水面、青い空の下、弓のように反り返った軸先、船体は極彩色の絵で美しく飾られているアヴェイロのシンボルだ。
ちょっとだけ街歩きの時間を頂いて、アヴェイロの銘菓だというオヴォシュ・モーレシュ(小さな魚や貝殻の形をした白い皮の中に、黄金色の卵黄クリームが詰まった最中のようなもの)を買い求める。小さなお店で、親切に一人一人に味見をさせてくださった。私たち10人が入ってレジに並ぶと、普段のんびりお仕事をしていると見える店員さんはパニック状態。添乗員のSさんが急遽アシスタントを務める状態に。その他にも塩やパテなど気になるものを買ってバスに戻った。
毎日強行軍の旅を続け、夜はへろへろよれよれになりながらも、次の朝、次々に新しい魅力的な街に連れてきてもらうと、不思議なもので元気になる。運河脇の緑豊かな芝生の公園で思いっきり深呼吸をして次の目的地へとまたバスに乗る。
次は2時間ほどかけてナザレを目指す。ナザレは、夏には国内はもとよりヨーロッパ中から訪れるバカンス客で砂浜が埋め尽くされる一大リゾート地だそうだ。
長い砂浜には色とりどりのパラソルと、小麦色に肌を焼こうとする人たちで一杯。泳ぐというよりもただなんとなく砂浜をぶらぶら歩きするのがこちら流とのこと。とにかく皆が笑顔で幸せそう。バカンスなのである。
レストランまで5分ほどの広場でバスを下りて海岸通りを歩く。本当に青い海、青い空、白い砂浜、サングラスをかけていないととても目が開けられない。進行方向正面の絶壁の崖ではケーブルカーが行き来している。
12時のオープンとともに、海に面した最高のロケーションのレストランでミックスサラダ、タコのリゾットとアイスクリームのランチ。相変わらず夫と息子は昼からワイン三昧だ。タコのリゾットにもコリアンダー(パクチー)がトッピングされ、とても美味だった。息子はしっかりおかわりもして頼もしい。食後少しだけ自由散策の時間があった。この地方の民族衣装(男性はチェックのシャツにフィッシャーマンセーターと黒い帽子、既婚女性は7枚重ねのスカート)も見ることが出来て、なかなか面白かった。
午後はシントラまで130Kmほどを2時間かけて移動し、シントラ王宮観光へ。途中、お手洗い休憩をしたところは風力発電機が多数並んでおり、見事。それにしても暑い。外気は37度。ポルトガルは風力発電、太陽光発電等リサイクル電力を使用しており原発は稼働していないとのこと。
風光明媚な王家の避暑地、シントラに到着して、地元のガイドさんと合流。ここも世界遺産で文化的な景観が楽しめる。ポルトガル王家の夏の離宮・王宮を中心として豪奢な城館や貴族の離宮などが点在する緑豊かな土地は、かつて詩人バイロンが「エデンの園」と称したほど。
雲の姿など忘れてしまったと思うくらい、こちらに来てから毎日ピーカンのお天気である。ジリジリと気温が上がってくるのが分かる。
王宮はイスラム教徒が残した建物をディニス王が居城とし、14世紀にジョアン一世が増改築を行ったそうだ。シンボルとなっている2本の煙突はこの時代に作られたものだという。その後も増築が行われて多様な建築様式が見られる。
王宮を入る前に後ろを振り向けば、山頂にムーア人が築いた城跡がそびえている。7~8世紀頃のものというが、現在は廃墟のごとく、僅かに残る城壁がかつての栄華をしのばせている。
王宮に入ると、27羽の白鳥がそれぞれ違ったポーズをとる「白鳥の間」が。これは27歳で嫁いだ王女のために作った部屋だそうだ。白鳥は皆首に王冠をつけており、美しい。天井一面にカササギの絵が描かれた「カササギの間」、狩猟の光景を描いたアズレージョが美しい「紋章の間」(バス・コ・ダ・ガマの紋章もあった)等など見所は満載。煙突の下の台所では、狩りで射止めた肉をさばく調理用の煙突と、野菜などを調理するための煙突がきちんと分かれていた。
1時間ほど説明を受け、ショップでお土産を物色し、集合場所までゆるゆると歩いてシントラのお菓子、ケイジャーダも購入。ケイジョすなわちチーズを使ったお菓子だが、シントラのものが横綱級に有名とのこと。13世紀には既に作られており、16世紀の天正遣欧少年使節も味わったそうな。
ここからリスボンまでは1時間ほどだというが、その途中で今回楽しみにしていたロカ岬に立ち寄る。
巨大なユーラシア大陸の西の果て、北緯38度47分、西経9度30分、高さ140メートルの断崖の上に、ポルトガルの詩人カモンイスが詠んだ詩の一節を刻んだ石碑がぽつんと立っている。「ここに地果て、海始まる」最西端ロカ岬(カボ・ダ・ロカ)である。大西洋からの風を受けて岬の突端に立つと、「地の果て」を実感するという。石碑が立つ断崖の先に大西洋はぼんやりと見えているけれど、水平線がはっきりしない。霧が出ている。今まで雲も全く見なかったのでちょっと驚く。実際にその地に降り立つと、まるで飛行機に乗っているような雲の絨毯の上にいるような吸い込まれそうな気分だ。断崖絶壁の下にあるはずの海面が全く見えないのだ。何か不思議な気分になりつつ、地の果てまで来たことにしばし感慨を覚える。綱が張られた先に入って写真を撮っている人たちもいて、心配になってしまう。柵を越えたら罰金という大きな札が立っているのだけれど。
30分弱の間、散策し、バスに乗り込み、名前と日付を古式ゆかしい文字で書き込んで、ろう印を押された最西端到達証明書を頂いた。
こうして4カ所の観光を終え、最終目的地、最後の2連泊は首都リスボン。夏休み期間中とはいえ、首都はさすがに混んでおり、ホテルに行く道が渋滞し、迂回していた。
チェックインして態勢を整えたら今日もホテルのメインダイニングで夕食。京都から参加されているご夫婦とご一緒した。今回は皆、お子さんたちが独立して熟年夫婦2人旅の方たちばかりである。
シーザーサラダとチキンコンフィ、ライスプディングを頂く。カニサーダで泊まったポサーダでビーフの夕食予約がチキンに間違えられていたそうで、そのお詫びとしてポサーダからドリンクサービスがあった。
明日は少しゆっくりめの出発。午前中にリスボン市内観光をした後は自由時間で最後の夜になる。