ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.12.23 年の瀬の昼下がりに母と過ごしたこと

2020-12-23 21:10:30 | 日記
 昨日のこと。午後から休暇を頂いて久しぶりに母とランチをする事にした。
 9月末にお誕生日プランでホテル一泊して以来のことになる。それから3か月も経ってしまった。 
 3週間に1度の治療週末は体調不良で籠城蟄居だし、体調が上向きになってくれば平日になかなか出来ない家事など、帳尻合わせをしなければならないことが沢山だ。これで実家詣でとなると貴重な土日の1日が潰れてしまう。それは痛い、となかなか足が向かなかった。多忙を言い訳にする薄情な娘に違いないのだけれど。

 ちょっとしたクリスマスプレゼントをいくつか用意したし、年末年始に会うことはわかっていたけれど、せっかくならばクリスマス前に渡した方が、とお互いアクセスが楽な駅ビルで落ち合うことにした。
 母は買い物方々週に1度はバスで通ってくるというが、私は昨年末家族で年越しの宿泊をして以来で、この駅を訪れるのはおよそ1年ぶりのこと。市内の移動なのに時間も旅費も都心に出るよりもかかる。路線バスに乗ったもの何ヶ月ぶりか思い出せないほど。

 職場に近い停留所に向かったが、15分に1本のバスに、タッチの差で行かれてしまった。余裕を持って待ち合わせ時間を決めておいてよかった。停留所で10分以上待ち、45分ほど揺られ、目的の駅に到着して驚いた。人出が結構あるのだ。老いも若きもそれなりに、年の瀬!といった雰囲気を纏いながらコンコースを足早に歩いていた。外出自粛、ステイホーム、静かな年の瀬、はどこ吹く風の、いつもと変わらない平日の昼下がりである。
 駅ビルのレストラン街で待ち合わせ。母は約束通りエレベーター前のベンチに座っていた。

 ごく一部のレストランは長蛇の列を作っていたけれど、既にランチタイムも後半であったからか、大概そこそこの混雑で待つことなくベトナムレストランに入れた。8年前に両親と我が家の計5人で行ったベトナム旅行のことを懐かしく思い出しつつ、温かいフォーや春巻き等のセットメニューを美味しく頂いた。

 普段一緒に暮らしているわけでなく、こうしてたまにしか逢わない母である。まあお互い新型コロナウィルスに感染している可能性はほぼないにせよ、ともに重症化リスクが高いわけだから注意するに越したことはない。
 最初に「ぱぱっと食べてしまいましょう。お喋りはその後マスクをしてからね。」と言ったのだけれど、お喋り好きな母はなかなかそれが守れない。食べながら話し出して、食事が進まない。こちらは心を鬼にして、黙々と頷くに留め、食べ終わったらマスクをした。

 結局、母は1時間半ほど、席を立つまで再びマスクをすることはなかった。聞けば週1日通っているデイサービスでも、皆(母の“皆”はあまりあてにならないのだけれど)食事の時マスクを外し、食事が終わっても引き続きマスクなしでお喋り、なのだそうだ。
 本当にそうなら誰か一人が感染したらあっという間にクラスター発生だな、と思う。

 まあ、私としてはこんな形でのマスク会食は不完全燃焼でストレスが溜まるだけだな、と思う。そこまでして会食をしたい相手も思い浮かばない。今年に限ったことではないけれど、忘年会も新年会もなし、の静かな年の瀬である。
 私は今年に限ったことではないのでそれでよいけれど、毎年週2,3度は忘年会があった夫や息子たち若者はつまらない年末だろうな、とも思う。

 暗くならないうちに、寒くならないうちに、と予定より早めに別れた。
 写真の片づけを始めて、こんなのがあったから・・・と母が持ってきたのは大学入学記念写真と成人式、卒業式に写真館で撮ったもの(もう35年以上も昔のものだ)。
かさばるし重いのによくぞ持ってきてくれたものである。

 さすがに成人式と卒業式に撮った写真の存在は覚えていたけれど、大学で撮った入学記念の写真は全く記憶になかった。クラス写真でもなく学生番号順に50人ずつ撮ったもので、名前が刻まれているわけでもない。男子は顔だけはぼんやり覚えている人も何人かはいたが、名前はすっかり忘れている。6人しかいない女子は最前列の真ん中に座らせてもらっている。今も交流のある懐かしい面々だ。

 ということで、母にプレゼント類を渡して身軽になって、買い物でもして帰るつもりだったのだが、予期せぬ大荷物をもらってしまったので、それも出来ず。そのままバスに乗って自宅近くの停留所まで再び45分ほどかけて明るいうちに帰宅した。
 母からは無事帰宅した旨の留守電が入っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする