ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2020.12.26 2020年最後の週末の過ごし方 

2020-12-26 21:45:57 | 日記
 昨日は今年最後の在宅勤務。毎度のように、階下のポストに郵便物を取りに降りた以外は一歩も外に出ず。
 前夜のクリスマス・イヴは定時に仕事を終え、ヨガベーシックのクラスに参加した(クリスマス・イヴにヨガスタジオに来る方はどれだけいるものやら、と思ったら常連の賑やかなお兄さん一人に私を含めて女性が6名の計7名で、思いのほか多かったのでちょっと驚いた。)ので、夕飯の支度は夫にお任せ。帰宅すると、食卓には頂き物の名店中華の点心が並んだ。デザートはこれまた頂き物のハンドメイドのチェリータルトに舌鼓を打った。
 そんなわけで昨夜、クリスマスの夜は生協で予約したローストチキンやビーフシチューの洋食メニュー。クリスマスツリーも何も飾りはなく、いつもながら夫と2人、静かな静かなステイホーム・クリスマスだった。

 年賀状も無事出し終えてほっと一息。今夜は早々と息子が帰省してくるとのことで、寝坊はしていられない。夫とともに早々に起きて、朝食を終え、息子の部屋の環境整備。シーツやベッドカバー等大物の洗濯で洗濯機を2回廻した。ベランダは洗濯物で一杯。寒いけれど、いいお天気で気持ち良い。

 そして断捨離も。イメルダ(靴が好きな私のこと)が一度も履くことなくただの場所塞ぎと化していたハイヒールやサンダル、ブーツを不燃ごみの袋に入れた。何足あったかはもう数えたくなかった。痺れと痛みがあるこの足では、もはやハイヒールを履けないことは随分前に分かっていたのに、手放せなかったのだから、我ながら情けない。

 結果、玄関にある靴棚の上に高く積み上げられていた箱がなくなり随分スッキリした。アプリグラハ(ヨガ哲学の8支則の一つ;不貪、必要以上に欲しがらない)がちょっぴり実践出来た。道はまだまだ遠いけれど・・・。
 その間、夫は郷里のお友達と長電話をした後、年内最後のクリニックに出かけて薬を頂き、食料品の買い出しをしてきてくれた。

 お昼は簡単に済ませて、午後からは今年最後のリフレクソロジー。いつものようにオーナーにサロン最寄り駅でピックアップして頂き、下半身スッキリコースとハンドリフレで至福の2時間近くを過ごした。オイルは凝りほぐしのラベンダー、マジョラム、ジンジャーブレンドをチョイス。明日がサロン最終日で、予約が一杯の嬉しい悲鳴ながら、スタッフの一人が産休中でオーナー自ら出張にも繰り出して綱渡り状態だそうだ。かなりお疲れのご様子でピリピリ感が伝わってきた。1月は通院治療日が2回あり、体調を考えて行けそうな土日は既に予約で一杯とのこと。残念ながら次回は2月に予約を入れてきた。

 最寄り駅に戻ってヨガスタジオへ。今月始まったスペシャルクラス、強度が1.5で私向きかと‘美Body life yoga’を予約していた。男性3人、女性12人で15人の参加者だったが、定位置を確保出来、隣との間隔は十分。久しぶりにIさんのクラス。5分間の説明後、35分がマッサージ、残りは太陽礼拝で、痩身目的のマッサージクリームの物販を全面に打ち出したようなクラスだった。ウーン・・・。汗はたっぷりかけたのだけれど。

 クラス前に息子から頭痛なので到着が遅れる、夕飯は先に食べていてというLINEが入った。あら、それは大変、と思ったら、クラスが終わってみると、熱も咳もだるさもないけれど、動くのがしんどいので帰省は明日にする、との連絡が入っていた。今のご時世、万一コロナ感染していたら、こちらに来てもらうわけにはいかない。とにかくなるべく早く受診するようにと連絡。

 そんなわけで、夕食は普段息子が食べないものを、と栗ご飯、糠さんま、野菜たっぷりの鶏団子スープに海老のサラダを用意していたのだけれど、残念ながら3人の食卓にならず、夫と何とか頂ける分だけお腹に入れた。息子ラブの夫はお酒も買って、彼との夕餉を楽しみに待っていたので、しょんぼり。
 明日何ともないことがわかって無事に帰宅出来ると良いのだけれど・・・。
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2020.12.24 今宵はどこにいるのやら・・・

2020-12-24 21:03:16 | 日記

 夫のこと。なんといっても忘れ物大王である。
 そのエピソードについては彼の名誉を傷つけない程度に、脚色せずに事実だけをこのブログでも何度かご紹介してきている。
 例えばそれは網棚にあげたショルダーバッグ(買ったばかりのデジカメやアーミーナイフ等が入っていた・・・当然出てこなかった。)であったり、新幹線のチケットであったり(これは自分が持っていたショルダーバッグの別のポケットから見つかった。それに気づかず乗換駅で折り返し、自宅までタクシーで1往復半した。当然指定席を取った乗るべき新幹線には間に合わず、自由席で行く羽目になった。)、チェックアウトした時にホテルの部屋に置き忘れたスマホ(これは本人が持っていないことに気づかず、私が鳴らし続けたところ、忘れたホテルのフロントから折り返しの連絡があった。)、だったりする。

 一番大きなものは、宿泊先に持っていかねばならないキャリーケースを途中下車駅のコインロッカーに預け、取り出すことを忘れたまま目的地に向かった(さすがに乗り継ぎ駅で気づいて再び戻ってピックアップした。)、なんて私にはちょっと理解不能なレベルのものまである。

 この血は幸か不幸か息子にも色濃く引き継がれており、忘れ物大王ジュニアの忘れ物についても幼少の頃から私のフォローが多々必要であった。今は独立したので、見ぬもの清し、で彼がどのくらい忘れ物大王ジュニアとして君臨しているのか知る由もない。

 さて、忘れ物大王である夫には、必ず毎朝出がけに「忘れ物はない?財布は?定期は?スマホは?」と3点セットで訊く。「大丈夫」と言って出ていくが、3回に1度は戻ってくる。スマホが充電器に刺さったままだったり、財布が棚に置きっぱなしだったり、である。

 もはや殆ど驚かない。スマホは忘れてもお財布ケータイにしているわけではないし、一番傷が少ないのだろう。お財布を忘れたらお昼代をどなたかにお借りしなければならない。定期を忘れたら、往復自腹で交通費を出さなければならない。だから後者の2つを忘れれば、大抵は戻ってきて出直すことになる。

 家から忘れて出ていくだけでなく、職場にスマホを置いてくることも、ある。先日は職場の最寄り駅まで行ったところで気づいて、電話で職場の方に机の上に出しっぱなしであることを確認して頂いて、引き出しの中に入れておいてほしいとお願いしたそうだ。
 帰宅後、夫がスマホを持っていないことに気づき、スマホはどうしたの、と訊くと「今日は職場にショートステイしている」とのこと。うまいことを言うものである。

 そして今朝もちゃんと確認した筈なのに私が出かける時、リビングで充電器に差したまま緑のランプが点灯している夫のスマホが鎮座ましましているのに気付いた。
 ご不便でしょうと連絡したら、「今日は文字通りステイホームです」とのこと。へこたれない大王である。

 というわけで夫のスマホは夫以上に忙しく、ステイホームだったりショートステイに出かけていたりする。
 今日はちゃんと本人が携帯しているのだろうか、とふと気になったりするクリスマス・イヴの宵である。

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2020.12.23 年の瀬の昼下がりに母と過ごしたこと

2020-12-23 21:10:30 | 日記
 昨日のこと。午後から休暇を頂いて久しぶりに母とランチをする事にした。
 9月末にお誕生日プランでホテル一泊して以来のことになる。それから3か月も経ってしまった。 
 3週間に1度の治療週末は体調不良で籠城蟄居だし、体調が上向きになってくれば平日になかなか出来ない家事など、帳尻合わせをしなければならないことが沢山だ。これで実家詣でとなると貴重な土日の1日が潰れてしまう。それは痛い、となかなか足が向かなかった。多忙を言い訳にする薄情な娘に違いないのだけれど。

 ちょっとしたクリスマスプレゼントをいくつか用意したし、年末年始に会うことはわかっていたけれど、せっかくならばクリスマス前に渡した方が、とお互いアクセスが楽な駅ビルで落ち合うことにした。
 母は買い物方々週に1度はバスで通ってくるというが、私は昨年末家族で年越しの宿泊をして以来で、この駅を訪れるのはおよそ1年ぶりのこと。市内の移動なのに時間も旅費も都心に出るよりもかかる。路線バスに乗ったもの何ヶ月ぶりか思い出せないほど。

 職場に近い停留所に向かったが、15分に1本のバスに、タッチの差で行かれてしまった。余裕を持って待ち合わせ時間を決めておいてよかった。停留所で10分以上待ち、45分ほど揺られ、目的の駅に到着して驚いた。人出が結構あるのだ。老いも若きもそれなりに、年の瀬!といった雰囲気を纏いながらコンコースを足早に歩いていた。外出自粛、ステイホーム、静かな年の瀬、はどこ吹く風の、いつもと変わらない平日の昼下がりである。
 駅ビルのレストラン街で待ち合わせ。母は約束通りエレベーター前のベンチに座っていた。

 ごく一部のレストランは長蛇の列を作っていたけれど、既にランチタイムも後半であったからか、大概そこそこの混雑で待つことなくベトナムレストランに入れた。8年前に両親と我が家の計5人で行ったベトナム旅行のことを懐かしく思い出しつつ、温かいフォーや春巻き等のセットメニューを美味しく頂いた。

 普段一緒に暮らしているわけでなく、こうしてたまにしか逢わない母である。まあお互い新型コロナウィルスに感染している可能性はほぼないにせよ、ともに重症化リスクが高いわけだから注意するに越したことはない。
 最初に「ぱぱっと食べてしまいましょう。お喋りはその後マスクをしてからね。」と言ったのだけれど、お喋り好きな母はなかなかそれが守れない。食べながら話し出して、食事が進まない。こちらは心を鬼にして、黙々と頷くに留め、食べ終わったらマスクをした。

 結局、母は1時間半ほど、席を立つまで再びマスクをすることはなかった。聞けば週1日通っているデイサービスでも、皆(母の“皆”はあまりあてにならないのだけれど)食事の時マスクを外し、食事が終わっても引き続きマスクなしでお喋り、なのだそうだ。
 本当にそうなら誰か一人が感染したらあっという間にクラスター発生だな、と思う。

 まあ、私としてはこんな形でのマスク会食は不完全燃焼でストレスが溜まるだけだな、と思う。そこまでして会食をしたい相手も思い浮かばない。今年に限ったことではないけれど、忘年会も新年会もなし、の静かな年の瀬である。
 私は今年に限ったことではないのでそれでよいけれど、毎年週2,3度は忘年会があった夫や息子たち若者はつまらない年末だろうな、とも思う。

 暗くならないうちに、寒くならないうちに、と予定より早めに別れた。
 写真の片づけを始めて、こんなのがあったから・・・と母が持ってきたのは大学入学記念写真と成人式、卒業式に写真館で撮ったもの(もう35年以上も昔のものだ)。
かさばるし重いのによくぞ持ってきてくれたものである。

 さすがに成人式と卒業式に撮った写真の存在は覚えていたけれど、大学で撮った入学記念の写真は全く記憶になかった。クラス写真でもなく学生番号順に50人ずつ撮ったもので、名前が刻まれているわけでもない。男子は顔だけはぼんやり覚えている人も何人かはいたが、名前はすっかり忘れている。6人しかいない女子は最前列の真ん中に座らせてもらっている。今も交流のある懐かしい面々だ。

 ということで、母にプレゼント類を渡して身軽になって、買い物でもして帰るつもりだったのだが、予期せぬ大荷物をもらってしまったので、それも出来ず。そのままバスに乗って自宅近くの停留所まで再び45分ほどかけて明るいうちに帰宅した。
 母からは無事帰宅した旨の留守電が入っていた。
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2020.12.21 冬至に思うこと

2020-12-21 21:07:51 | 日記

 実感はないけれど、今年も残すところあと10日。冬至である。
 土日も寒かったけれど、今日もキリキリとするほど寒い。見上げれば雲一つない抜けるような青空である。真っ白な富士山が遠く大学構内からも望める。
 銀杏の金色の葉はすっかり落ち、ナンキンハゼのハート形をした可愛らしい赤い葉も落ち、小さな白い実だけがなっている。

 空気が乾燥している。机の上の湿度計は20%を差している。コンパクトなマイ加湿器だけではとても追いつかない。30%になるのがせいぜいだ。ようやく倉庫から課内専用の大きな加湿器を出してもらえた。 
 夏の間どころかついこの間まで、苦しくてたまらなかったマスクが今は顔の防寒と喉の潤い保護に活躍している感がある。
 コロナウィルス感染は一向に下火にならない。連日、曜日の最高値を更新し続けている。
 
 ようやく重い腰をあげて、昨日から年賀状の準備に着手した。住所リストのチェック、喪中欠礼との突合等々。現役を退けばより一層枚数が減るかもしれないけれど、かなりスリム化してもなお毎年100枚強の賀状を準備する。今年も変わらない。
 準備をするのが年々後ろにずれこむようになっている。それでも書きあげた途端に喪中欠礼状が来ると、あらら・・・、となるからぎりぎり20日位まではお待ちする方が実は安全だったりする。

 かつて宛名印刷が出来ずに、一枚一枚手書きでしたためていたことを思えば、本当に楽になった。今は殆ど手書きの文字を書くシーンがなく、たいていの文書はPCで打つから、たまに手書きのものを書くと、手の痺れによる悪筆が情けない。
 そもそも筆圧が弱いし、今では諸々の副作用も加わり握力がすっかり落ちてしまった。鉛筆でメモする程度(自分だけが読めればいいので)は苦にならないけれど、人様に読んで頂くために、ボールペンなりペンなりでそれなりの字を長く書き続けるのはとてもしんどくなってしまった。
 
 昨日はほぼ2週間ぶりにリラックスヨガのクラスにも参加して、気分転換が出来た。満杯だったら、と案じたけれど、男性3人の女性9人で12名。端っこの3方向と誰も接することのない場所がキープ出来て結果オーライ。
 このクラスの運動量なら、マスクをしたままでもそれほどきつくない。クラス数が減ってしまってなかなか参加出来ないけれど、体調不良あけに参加するには有難いクラスである。

 今日はおよそ400年ぶりに木星と土星が大接近する日であるそうだ。次は60年後だというから、それを見られる人はそう多くはないだろう。帰路に有難く南西の空を拝むと、なるほど澄み切った空に肉眼でもちょっとくっついている感じに明るい星が2つ見えた。

 今夜は南瓜の煮物を頂いた。そして柚子湯でゆっくり温まろう。
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2020.12.19 エンハーツ8クール目 さらに減量4回目投与後10日目のこと ヨーガスートラ講座4日目

2020-12-19 17:13:27 | ヨガ

 今日は朝からヨーガスートラ講座第4回講座ということで、ほぼ普段と同じ時間に起床。朝食の支度を整えてからまだ爆睡中の夫を起こす。ぱぱっと食事を終えて(今朝からは治療後の吐き気止めや疲労止めの薬がなくなり、ミヤBM、コデイン、タケプロンの3種類に戻った。)、最低限ビデオオンに耐えられる身支度(フェイスパウダーとかつら装着)をして書斎へ移動。

 前々回10月はホテル泊で、ZoomのURLトラブルもあり、貴重な前半30分を無駄にしてしまったし、前回11月はエンハーツ投与3日後の体調不良中だった。けれど、今回は体調復調の上がり調子なので、万全の体制で準備した、筈だった。
 
 開始ほぼ10分前に無事Zoomに繋げて、さあ、スタート。講師のSさんと参加する皆さんのお顔も拝見しながら、ご挨拶し、“パタンジャリを讃えるシュローカ”を唱い始めたところで、なぜか画像がフリーズ。ん?といっているうちに接続が途絶えてしまった。どうも我が家のWi-Fiの不具合らしい。慌ててテキスト等を一式持ってデスクトップPCのある和室へ移動する。 FacebookからこちらのPCにはURLを送っていなかったので、それも送り直して接続したけれど、こちらもダメである。夫に助けを求める。

 すぐには繋がらない様子、時間がもったいないので諦めてリビングでスマホを繋ぐ。この間15分弱。またしても最初の大切な瞑想タイムを半分くらい無駄にしてしまった。どうしてこう毎回々々、トラブルに見舞われるのだろう。何があっても大丈夫、という心穏やかで純粋な自分を保てるかどうか試されているような気がする。

 スマホの画面にSさんを見つけ、ようやくクラスに合流。ちょうど”穏やかで安らいだ記憶を思い出す“瞑想方法の最中だった。ふう。残念。講座録画が配信されたら再度トライさせて頂くことに。
 今日は講座4日目。9月から始まった講座も折り返し地点。今日を入れてあと3回である。第1章は2月に終了するが、次なる第2章の講座は4月スタートとのこと。

 先月第3回はどうすればサマーディ(深い瞑想、三昧)に至るのか、がテーマだったけれど、今月はどうすれば早くサマーディに到達するのか、がテーマとなる。
第1章1-21 (サマーディへの)道のり(の近さ)は人生の目的をどこにするか、で変わる。仕事や人付き合いでなく、真の自分に出会うことを第一優先にすると道のりは近い。 
 1-22 3つの熱意の度合い(熱意に応じて)成長の速度は変わる。
 1-23 全てを司る源である神(イーシュヴァラ)への心からの祈り(自分ではどうすることも出来ないことに対して神様、助けてください、ということ)も(サマーディ)に近づく方法である。
 1-24 イーシュヴァラ(神)の領域には苦しみ(5つのクレーシャ(苦しみ):無知、エゴ、強い欲望、嫌悪、怖れ)がない。
 1-25 神の領域では全てのことを知ることが出来る。 
 1-26 神の領域には時間によって制限されない(過去、現在、未来全てが存在する。)。
 1-27 神なる意識を表すものが聖音ॐ(オーム):神に最も近い音、である。
 1-28 聖音ॐを繰り返す(japah)することで無条件の愛(神なる意識そのもの)に戻ることが出来る。
 1-29 心が落ち着いて静かになるとただの観察者として世界に起こることが見える。
 1-30 心を乱す9つの障害(身体と心の不調、3つのものに対する疑い、意識的に間違ったことをすること、怠けて練習をしないこと、五感を休められないこと、間違った価値観に基づく妄想、上達していないのではという思い込み、いい気分が長続きしないこと)。
 いつものようにサンスクリット語でSさんが詠唱し、皆で復唱した後、事例等によって解説して頂くスタイルだ。

 1章は51詩節まであるので、今日から3回は概ね10ずつハイスピードで進んでいく。ボリュームが多く、講座の時間はちょっと延長。その後、質問タイムに残って他の方たちからの質問にSさんが回答されるのを拝聴する時間がとても楽しい。
 皆さん、感じていることは同じだなあ、と思うとともにヨーガの教えとは”人生色々なことが起こるけれど、毎日気長に真面目に続けていけば大丈夫”、という心強いメッセージなのだと改めて思う。私も冒頭のトラブルで聞き逃してしまったことについて質問させて頂いた。この後録画された動画が配信されるのだけれど、今日のうちにスッキリ出来て有難かった。

 ということで、この講座も残すところあと2回だ。Sさんの声を聞いていると本当に心地よく、心穏やかな状態の自分が戻って来る。何より瞑想CDでSさんの声を聴き、この方に逢いたい!と思って2014年2月、初めてのヨガリトリートに参加したのがSさんとの出会いだった。第2期も続けて受講していきたいものである。
 クラスが終わったら、毎年楽しみにしているクリスマスの紅茶等が届いた。今年は(というか、我が家は毎年のことだけれど)家族(夫だけ)と静かなクリスマスを過ごす予定である。

 今週末は2週間ぶりになるヨガスタジオにも行きたいのだけれど、この感染爆発の状態はちょっと心配なことである。
 
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