「歴史を学ぶという事は、過去を知り、今を改め、それを未来へと繋げる事である」
はじめまして、Mr.ポテトヘッドです。
突然ですが、これは僕が中学校に入学して受けた最初の日本史の授業で、
社会科の教師が言った言葉で、妙に印象に残っている言葉です。
つい先日、僕はこの言葉をふと思い出しました。
というのも、今大ヒット上映中の映画、『永遠の0』を観てきたからです。
おそらく皆さんご存知かと思いますが、ある零戦パイロットの生き様を主軸に、
太平洋戦争と、その背景を描いた作品です。
感想ー良かったです。感動です。
原作を読んでいたにもかかわらず、恥ずかしながら涙が…笑。
と、まあ映画の感想はさておき、鑑賞後、僕の中にある疑問が浮かびました。
戦時中、京都はどれくらいの空襲被害を受けたのだろうか。
『京都には、歴史的建造物が多くあるため、米軍側が爆撃を見送った』
等といった話を耳に挟んだ事があるが、果たしてそれは本当なのだろうか。
さっそく調べてみると、驚きの事実を知ることが出来ました。
●京都にも空襲はあった。
(東山空襲、西陣空襲をはじめ計5回。
報道規制が敷かれたため正確な被害詳細は判明していないが、
死者は100人以上とされる。)
●それでも京都が、大阪や神戸などの近隣都市と比較して、
空襲被害が少なかったのは、文化財保護のためではなく、
原子爆弾投下目標都市の第一候補であったため。
(碁盤の様に広がる地形。人口100万人を有する産業都市。
このような条件が、原子爆弾の威力を測る上で好条件だったとされる。)
京都が原子爆弾の投下目標都市だったなんて・・・・・。知りませんでした。
もし当初の予定通り、京都に原爆が投下されていたら、
おそらく京都の歴史ある建造物や街並みも、瓦礫の山と化していた事でしょう。
恐ろしい限りです。
現在、西陣にある『辰巳公園』には、
西陣空襲を忘れていかないようにと建てられた石碑があります。
同じく西陣の『山中油店』には、
当時落ちてきた爆弾の破片が、そのまま展示されています。
また、堀川をまたいで東西に架かる『一条戻り橋』では、
その名にあやかり、無事に帰って来られるようにと、
出征する兵士をここで家族が見送った、という話もあります。
日本人にとって、最も忘れてはならない、知っておかなくてはならない歴史とは、
やはりこの太平洋戦争にまつわる歴史なのではないでしょうか。
平成生まれの僕自身、知らない事が多く、
もっと勉強しなくてはならないと痛感させられました。
自身も含め、特にこれからの時代を担う若い世代こそが、
戦争のもたらす悲劇やむなしさ、不毛さといったものを、
学び感じ取っていかなくてはならないのでしょう。
最後に、京都には先ほど申し上げたような戦争跡地が幾つかあるのですが、
京都観光に来られた際には是非とも、
こういった所にも足を運んで頂ければ幸いかと存じます。
<Mr.ポテトヘッド>