京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

2014-02-12 17:56:13

2014-02-12 | インポート

「歴史を学ぶという事は、過去を知り、今を改め、それを未来へと繋げる事である」

はじめまして、Mr.ポテトヘッドです。

突然ですが、これは僕が中学校に入学して受けた最初の日本史の授業で、

社会科の教師が言った言葉で、妙に印象に残っている言葉です。

つい先日、僕はこの言葉をふと思い出しました。

というのも、今大ヒット上映中の映画、『永遠の0』を観てきたからです。

おそらく皆さんご存知かと思いますが、ある零戦パイロットの生き様を主軸に、

太平洋戦争と、その背景を描いた作品です。

138716594752433743225

感想ー良かったです。感動です。

原作を読んでいたにもかかわらず、恥ずかしながら涙が…笑。

と、まあ映画の感想はさておき、鑑賞後、僕の中にある疑問が浮かびました。

戦時中、京都はどれくらいの空襲被害を受けたのだろうか。

『京都には、歴史的建造物が多くあるため、米軍側が爆撃を見送った』

等といった話を耳に挟んだ事があるが、果たしてそれは本当なのだろうか。

さっそく調べてみると、驚きの事実を知ることが出来ました。

●京都にも空襲はあった。

(東山空襲、西陣空襲をはじめ計5回。

報道規制が敷かれたため正確な被害詳細は判明していないが、

死者は100人以上とされる。)

●それでも京都が、大阪や神戸などの近隣都市と比較して、

空襲被害が少なかったのは、文化財保護のためではなく、

原子爆弾投下目標都市の第一候補であったため。

(碁盤の様に広がる地形。人口100万人を有する産業都市。

このような条件が、原子爆弾の威力を測る上で好条件だったとされる。)

京都が原子爆弾の投下目標都市だったなんて・・・・・。知りませんでした。

もし当初の予定通り、京都に原爆が投下されていたら、

おそらく京都の歴史ある建造物や街並みも、瓦礫の山と化していた事でしょう。

恐ろしい限りです。

現在、西陣にある『辰巳公園』には、

西陣空襲を忘れていかないようにと建てられた石碑があります。

同じく西陣の『山中油店』には、

当時落ちてきた爆弾の破片が、そのまま展示されています。

また、堀川をまたいで東西に架かる『一条戻り橋』では、

その名にあやかり、無事に帰って来られるようにと、

出征する兵士をここで家族が見送った、という話もあります。

日本人にとって、最も忘れてはならない、知っておかなくてはならない歴史とは、

やはりこの太平洋戦争にまつわる歴史なのではないでしょうか。

平成生まれの僕自身、知らない事が多く、

もっと勉強しなくてはならないと痛感させられました。

自身も含め、特にこれからの時代を担う若い世代こそが、

戦争のもたらす悲劇やむなしさ、不毛さといったものを、

学び感じ取っていかなくてはならないのでしょう。

最後に、京都には先ほど申し上げたような戦争跡地が幾つかあるのですが、

京都観光に来られた際には是非とも、

こういった所にも足を運んで頂ければ幸いかと存じます。

<Mr.ポテトヘッド>


北野天満宮・梅苑公開

2014-02-12 | インポート

まだまだ寒い日が続いておりますが、

暖かくなってきた事を実感するイベントをご紹介させていただきます。

☆北野天満宮☆

Kitanotenmangu6

~梅苑公開~

史跡<御土居>も同時公開

日時:2月上旬~3月下旬

時間:午前10時~午後4時

入苑拝観料:大人=600円・子供=300円

~梅花祭~

日時:2月25日(火)

<祭典>午前10時~午前11時

<野点茶会>午前10時~午後3時

野点拝服券=1500円

HP: http://www.kitanotenmangu.or.jp

当館からのアクセス:市バス「河原町丸太町」10系統「北野天満宮前」下車すぐ

<京都のガチャピン&嫁>