春の彼岸。
親戚まわりを昨日と今日でほぼ済ませました。
いつも仏壇に線香を手向けその後は世間話(近況報告)みたいな感じになります。
親戚の叔父や叔母も、ほとんどが70歳を超えてきました。
話す内容も、健康の話から最近は跡取りの話に及ぶことも増えています。
特に跡取りの話題になってくると、空気が結構重くなります。
45歳~50歳で独身の従兄弟(従姉妹)の家では、結婚の話。子供が嫁いでしまった家では、家が跡絶えるという話。
跡取りや後継者の問題を意識したことがなかった自分にとって、この問題は別世界の話でした。
でもあらためて身近な問題だったということに今回は気づかされた感がすごくあります。
”もう農家じゃやっていけない”なんて話は、ずいぶん前から聞かされてきた話です。
思考回路が”後ろ向き”というかマイナス思考で、そんな話をずっと聞かされていれば、
”農家はやっていけない”と深層心理にまですり込まれてしまい、”やれる””やりたい”とはなかなか思えなくなってしまう環境。
ましてや給料を貰うことが普通になってしまっている従兄弟たちにとって、農業をするなんて発想はもはや残っていないみたいです。
都市化の波と農業政策の歪みと本人や家族の思考の硬直化により、近い将来うちの親戚の中にも農業を廃業するところが出てくると思います。
”守られた農業”を長年してきた叔父・叔母たちの世代にとって、自立するという発想はもはやなく、どこまでも”依存型”になっているみたい。
だから農業で立ちゆかないとなると、農地を単なる”資産”としてしか見られなくなり、
やれアパートだ、やれ倉庫だなど開発業者の提案をリスクを考えずに受け入れてしまう。
それでいて、その決断が最良だったのだと”言い訳のような説明”をしてくる。
きっと誰かに話して決断を正当化したいのだろうけれど、聞けば聞くほど”無学・無知”を私は感じてしまいます。思い込みが強く、あまりにも視野が狭い。
従兄弟たちも”農業で何かをする”ことには、消極的。
事業主として仕事をすることより、”給料を貰う”ほうがいいみたい。
東京近郊にも後継者の問題がある。
さらに、事業継続に関して消極的な農業者が多い。
これらが身近なところで語られたことが、うまくいえないけれどショックでした。
うまくまとまりませんが、なんだかやりきれない気持ちを抱いた今年の春の彼岸でした。
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