散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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博多訪問

2016-06-02 09:11:18 | 日記

2016年5月24日(火)・・・に書くはずだったこと

 福岡学習センターで面接授業をするための出張だが、来たのは福岡ではなく博多であることを、まずはズンズンと感じた。地下鉄などで見かけるのが地元の人々とは限らないが、結局、最初の印象が足かけ4日を通じて持続した。顔立ちも化粧も、居ずまいもはっきりくっきりしていて、面相筆ではなくクレヨンで描いたようである。最近は東京でも染めた髪の頻度が減ったが、なおいっそう髪が黒々としているようで、僕としては非常に嬉しい。

 そして、よく挨拶する。ぶっきらぼうに見えて、決してそうではない。やはり、はっきりはきはきして明朗である、ように思われる。

***

 金曜の夕方にホテルに落ち着いたとたん、Yさんから電話がかかってきた。先週は放送大学本部で会ったところである。雑餉隈のラーメン屋で済ましたかもしれないところが、博多駅前に開いたばかりのビルでもつ鍋に舌鼓を打った。ビルに入る前、まだ明るい空を見上げて、

「空が広いですね」

「広いんです、ナゼでしょう?」

「・・・ビルの高さ制限があるんですか?」

「あるんです、ナゼでしょう?」

Yさんは謎かけが好きである。しばらく考えて、

「・・・飛行機?」

「アタリ!」

 着陸の際、ずいぶん街中に突っ込んでいくと感じたのが、事実だったらしい。思わぬ副産物だが、空が広いのは結構なことである。空港を口実に使わずとも、空の広さそのものを楽しむために建物の高さを制限する、気骨の街があっても良さそうなものだ。

 もつ鍋をつつきながら、現役をいつまで続けるのかというようなことを訊かれてキョトンとしてしまった。むろんYさんとしては引退を急かしている謂いではなく、長く現役を続けるよう励ましてくれているのである。ただ、これは僕の心理的現実とは懸絶した話で、思わず出た本音は、

「引退も何も、僕はまだデビューしてませんから」

というのだった。これ、ホントの話。

Ω

 

 


71 years ago

2016-06-02 07:24:17 | 日記

2016年6月2日(木)

 5月27日(金)のオバマ演説。身の回りで最初の反応はNさんという女性からのメールだった。

 「パフォーマンスという人もいるけれど、さすがオバマさんの演説は上手ですね。"71 years ago...." という始まりはキング牧師の演説を思い出させます。」

 僕の方はこの出だしから、リンカーンのゲティスバーグ演説を連想していた。

Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal. (A. Lincoln, 1863.11. 19)

Five score years ago, a great American, in whose symbolic shadow we stand today, signed the Emancipation Proclamation. (M.L. King, 1963. 8. 28)

 もちろん偶然というものではなく、当然ながら後者は前者を踏まえ、リンカーンを崇敬して止まないアメリカ人一般の心性に訴えかけている。内容だけでなく形式においても「踏まえる」ことで効果は倍増する。リンカーンはアメリカ史上で最も人気の高い大統領の一人だが、人気の最大の根拠は「奴隷解放」よりも「アメリカ合衆国の分裂を阻止し、一体性とアイデンティティを守った」ことにある。奴隷解放はむしろ副産物というべきで、MLKは副産物を主産物の位置に押し上げようとしたと言ったらわかりやすいか。

 オバマが "71 years ago" という語り出しでどの程度両者を意識しているか、僕には判断できない。むろん意識の周辺あたりにないはずはないのだが、歴史・沿革から説き起こすスタイルは既にリンカーンやMLKだけのものではなく、アメリカ人のスピーチの一つの定型になっているに違いない。歴史の短い国であるからこそ、自覚的に歴史に言及しようとする。その風景を繰り返し見てきた。(その逆が日本人の「歴史音痴」である。)合衆国大統領としては至って自然なオープニングとも思われるが、彼が黒人初の合衆国大統領であり、合衆国大統領として初めて広島を訪れたことを考えれば、この三つのスピーチを重ねて読むことにはある種のドラマティックな意義が感じられる。

 そもそも、こんな場面は半世紀前には夢想もできなかった。要するにそんなオバマが今では暗殺される恐れがないのである。アメリカはかなり奇妙な国である。その奇妙さのひとつは、非常な速さでシステムの更新を行い続けていることだ。(ここでも、いつになっても基本的に何も変わらない当方との対照が痛感される。)

 だから2016年5月27日(金)の広島は、やはり歴史的な光景を見たのである。僕らが深く巻き込まれている、現代の歴史である。

***

 演説には何のコメントも付けず、ただ全文を朝日新聞の訳とともに貼り付けておいた。むろん軽々しく論評するのでなく、じっくり考えてみたかったからだが、言挙げする資格のある人、その優先順位の高い人が他にいると思い、その人々の言葉を先に聞きたいと感じたからでもある。自分自身の感想を言うなら、「いろいろ引っかかるところはあるけれど、ともかく彼がここに来たこと自体を大きな前進と受けとめる」といったところに落ち着くだろう。

 それから一週間近くが経ち、その間ぼつぼつ反応が聞かれている。Nさんの次に反応を寄せてくれたのは、被爆二世ことYさんであった。

「被爆した母が生きていて、もし、このスピーチを聴いたら何と言っただろうと考えていました。日本は、本当に平和なのでしょうか。幸せなのでしょうか。戦後、物質的な豊かさと同時に孤独さを手に入れ、母親たちは孤独な子育てを強いられ、人と関わることが苦手で自尊感情の低い子どもたちを育ててしまった日本は、平和で幸せなのでしょうか。

 プラハでのオバマさんの核兵器廃絶スピーチは、どこに消えてしまったのでしょうか。

 母は、おそらく草葉の陰でガッカリしていると思います。」

 Yさんの主張と気もちを十分に理解している自信はないが、重なるものをおそらく僕も抱えているのだ。テレビ報道で見る限り、被爆当事者の面々はオバマ来日を一様に歓迎しているようである。しかし「歓迎する」というのは乱暴な概括で、気持の隈には言い尽くせないものが当然あるだろう。ついでにこうした場合の常として、反応表出を拒絶したり自制したりする人々の「声」は聞こえてこない。結果的に聞こえてきたのが、いわば公式に認知された反応としての「歓迎」である。

 やがておもむろに外野が忖度し始める。「外野の忖度」とは意地の悪い言い方だが、決して無意味だというわけではない、誰のどんな発言も意味がある。ただ、ひょっとすると「無意味」ではなく「有害」の方角に転がってしまうかもしれないなどと、ことがことだけに慎重に構えつつも、若い人の下記の言説に共感を禁じ得ない。

「反撥や怒りが出てこなかったのが不思議でした。被爆者がアメリカに恨みを抱くのはごく自然なことで、今回も『ふざけるな』と思っている方がいたかもしれない。しかし、そうした怒りが、社会の反応として出てこない」

「核について建前だけで話すのではなく、感情を取り戻すべきです。非生産的だといわれて抑圧されてきた情念的な怒りや恨みが、生産的なパワーとなって、『平和』や『日米友好』の美名にヒビを入れられるかもしれない」

(神戸市外国語大学准教授 山本昭宏氏 朝日新聞5月28日朝刊15面)

 いっぽう、今朝のNHKラジオ「私の視点」には齊藤環氏が登場し、オバマ演説の良い点ばかりを丹念に拾ってほぼ一から十まで褒めちぎった。長崎の永井博士が原子力平和利用への期待を語ったこと、フロイトとアインシュタインの往復書簡、巨大な人災を天災の如くに体験し受け容れる日本人の特性などが次々に語られ、全体のスジとしては、責任論を棚上げにして悲劇の碑の前に頭を垂れ、人のもつ破壊衝動を理性的に克服していこうとするオバマ路線への全面的な支持を表明するものだった。個別の点に異論はないし、そもそも寝起きの頭でどこまで理解できたか怪しいが、影を語らず光だけを追って「読み解」いたと言われても腑には落ちないのである。

 さて、問題はこれからだ。

Ω


わからない・・・

2016-06-02 07:13:49 | 日記

2016年6月2日(木)

うちだ様、コメントありがとうございます。

ですが・・・

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先生、こんにちは。

依田先生、「大好きな碁でご飯が食べられるとはなんてありがたい。すべてのことに感謝」とおっしゃっています。

https://books.google.co.jp/books?id=Yv4L5_fsys8C&pg=PA214&lpg=PA214

高尾先生も同じ境地なんでしょうね。

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なるほど、これは既に宗教的な境地といえるかもしれません。私も、いただいたコメントをただ感謝をもって受け取れば良いのでしょうが、しかし気になるんですね。内藤由起子記者のこんな本までお読みの「うちだ」様は、かなりの囲碁通。しかし私の交際範囲に該当する人は・・・

う~ん、誰だろう?

Ω