散日拾遺

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救急搬送を市民が阻む / 博多訪問 ~ 後日談

2016-06-08 07:05:04 | 日記

2016年5月26日(木) ・・・ この頃に書くはずだった話

 M保健師が御茶ノ水駅前のスクランブル交差点で見たことを、心底こわそうに話してくれた。歩行者信号が青の状態で救急車が入ってきた。ここらは病院が多いのでよくある風景だが、人垣が退いて道を空ける中、若い男が救急車の直前を悠然と ~ ことさらゆっくり歩くかのように ~ 塞いで、救急車のスピーカーの呼びかけにもいっこう反応しないのである。時間にすれば数秒だったたかもしれないが、救急医療では秒を争うということがある。何よりその考えが知れない。気が気でなかった、本当にこわかった・・・

「耳がイヤホンで塞がってるんじゃないの?」

「それが違うんです」

 イヤホンでもなければスマホでもなく、ただ確信的に救急車の進路を塞ぎ続けたということらしい。日頃、気が強く正義感も強いMさんが、怒るのではなく恐がっている。理解不能の恐ろしさ、だろうか。

 そういえば、と連想が広がる。彼女が神奈川で働いていた頃、患者(乳幼児!)を搬送する救急車の助手席に同乗したことがある。その時、道を行く自動車が意外なぐらい避けようとしないことに驚いたのだそうだ。

「いつもこんな風ですか?」とMさん

「そう、特に東京都内はね」と運転手

 搬送が遅れたために患児が死んでしまったら、いったい誰が何をしたことになる?その時の怖さをMさんは思い出したのだ。共感都市理論などというものを、せせら笑うような現実の壁である。

***

 博多訪問の余韻に圧され、帰途に地図専門店で5万分の1地図を買い求める。福岡を起点に、その東(南ではない!)が太宰府、太宰府の南が甘木、その西が脊振山(せふりやま)、ぐるっと一周、4枚で大きな長方形になる。地図そのものが楽しいのだが、国土地理院の5万分の1シリーズは格別の魅力がある。しわもシミもないまっさらな地図を前に置くと訳もなくドキドキし、新雪に踏み込む時のように心を決めて折りたたむのが、惜しくもあり嬉しくもある。意外なことに次男も三男も、国土地理院の地図の「折り方」を学校で習っていないらしいので、ちょっと威張って教えながら手伝ってもらった。

 縁だけ折った状態で4枚並べるとこんな具合。

 

 ベランダから見える中学校のグラウンドに、5万分の1地図で日本全図を再現したら楽しかろう。1cmが500mだから、10mが500kmつまり東海道ぐらい。3000km四方といわれる日本の領土は60m四方ということで、このグラウンドに広げるにはちょうど良い。

 などと妄想しながら博多のあたりを見ていった。雑餉隈に限らず、「隈」のつく地名はそこかしこにある。「一帯」とか「一隅」とかいった意味だろうか。「原」のつく地名も多いが、これらはすべて「ばる」と読む。大分でもそうだった。見ていくと曙の4kmほど西に「石丸」という地名がある。太宰の5km南は佐賀との県境で、佐賀には石丸姓が結構あったりする。何とはなしのホーム感覚。

 そうそう、前項に「サザエさん通り」のことを書いたが、帰京後に訊いてみると意外にみんな知らないのだね。長谷川町子がサザエさんを構想したのは、他でもない百道浜である。長谷川家はもともと博多に住んでいたが、父親が病没した後に母親と娘3人で上京したことなど、『サザエさんうちあけ話』に詳しい。戦争の時期に博多へ疎開(?)し、その期間にサザエさんが生まれたのである。もともと地方紙の「夕刊フクニチ」に1946年から連載され、長谷川一家が再度上京するにあたってサザエが急遽マスオと結婚することになり、連載打ち切りとなった。やがて掲載紙を変えて復活し、その後の活躍は周知の通り。

 だから博多にサザエさん通りがあるのは、世田谷の桜新町にサザエさん通りがあるのと同様、あるいはそれ以上に必然的なことなのである。

  

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