散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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岡山を経て松山へ

2016-06-21 10:46:27 | 日記

2016年6月13日(月)

 少々前後して、先の週末の旅後半のこと。

 鳥取駅真向かいのホテル、バイキング形式の朝食の隣席は女性二人、高齢の母親とその娘さんという様子で中国語の会話を交わしている。気にもとめずにいたが、お母さんのほうがクシャミをしたら娘さんが「Bless you!」と声をかけたので、思わずそちらを見てしまった。またクシャミ、また「Bless you !」、僕と視線が合うと首をすくめて笑った。つられてこちらも「Bless you !」、お母さんは表情を変えず、娘さんが「Thank you」と返事した。

 中国語を話す人々は地球上に数十億人いるが、お二人さんの出身地はかなり絞り込める。僕の通勤路はディズニーランド最寄り駅を通るので外国人観光客と話す機会はちょいちょいあるが、中国(中華人民共和国)からの観光客と会話できたためしは一度もない。視線を合わせることを周到に回避し、仲間同士の会話に閉じこもるのが相場である。もっともこれは消去法的な推測で、8年近くも通う間に話した相手は台湾・香港・シンガポールからの中国人ばかりである。実際には大勢来ているはずだから、視線を合わせず会話を望まないあの人々が、大陸の中国人に相違ない。

 隣の母娘は確かにそれとは違っている。尋ねてみたらやっぱり「シンガポール」だって、道理で英語が流暢なわけだ。シンガポールの人づくりにはまったく敬服する。日本は初めてかと聞いたらとんでもない、新潟・広島・博多・北海道など「東京・京都・奈良」とは違った地名がズラズラ出てきた。今回は島根・鳥取の山陰ツアー、日本は大好きだといい、初物のスイカを「これ美味しい!」とおかわりしている。僕はマレーシアはじっくり旅したが、シンガポールは行ってないのだった。

 「世界一ととのった美しい国でしょう」「でも小さい国」「小さいことは悪いことじゃないもの」「ありがとう、きっと来てね」・・・シンガポールは不思議の国、ついでに言うなら、同じく中国人が作った小さなエリアの香港とシンガポールの対照が、30年来ひそかな瞠目のタネである。

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 ホームまでお見送りいただくなんて、半世紀ぶりぐらいではないかしらん。

  お見送りのお二人は御夫妻ではない、念のため。

  

 ↑ 「スーパーいなば」のこのマークは梨の花だね。「西日本旅客鉄道(JR西日本)および智頭急行が岡山駅 - 鳥取駅間を山陽本線・智頭急行智頭線・因美線経由で運行する特急列車」とある通りのコラボ線だから、鳥取側の梨の花だけでは公平を欠くだろう。岡山側のシンボルは何かしら、どんなふうに塗り替えるのかな等と考える。

 道々、田植えが終わったばかりの山間の風景にうっとり見とれた。一昨日は南東北の田んぼに見とれていたが、ふとあちらの方が作付けが早いらしいことに気づく。葉波がもっとぎっしり立ち上がっていたような。単純に気温では決まらないものか。

 田んぼの風景は日本の旅情の原型である。セントルイスの神経科学のユダヤ系の老教授で、日本の生活風景を見事な写真に切り取って飾っていた人があったが、中でも目を引いたのがごくあたりまえの田んぼの眺めだった。「旅情の」ではない、日本人の心性の根本条件であるに違いない。

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 途中駅の佐用、これは「さよ」と読むらしい。地名の由来について下記の解説あり。

 佐用郡の地名は、播磨国風土記に「讃容郡(さよのこおり)」に見え、その地名の由来を最初に書いている。

 「大神夫婦の二人がこの地に来て国占めの争いをされたとき、玉津日女命が生きた鹿を捕らえて腹をさき、鹿の血に稲をまかれたところ、一夜の間に苗がはえたので取って植えられた。これを見て夫神は「あなたは五月夜(さよ)に植えたのか」といって自分の負けを認められてこの地を立ち去られた。それ以来この地を五月夜郡(さよのこおり)というようになり、妻神を讃用都比売命といった話が出ている。」(佐用町史) ※玉津日女命は伊和大神の妹の説もある。

(http://shiso-sns.jp/bbs/bbs_list.php?root_key=11007&bbs_id=102 より転載)

 何しろこのあたりは、黒田官兵衛が力を蓄えた宍粟(しそう)の一帯である。佐用のひとつ手前(鳥取側)、大原駅には「宮本武蔵生誕の地」とある。そうか、武蔵は「作州浪人、新免武蔵こと宮本武蔵」とあるとおり、美作の出身なのだ。佐用からひとつ進んで智頭線が山陽本線に接続する上郡駅ではスイッチバックがあり、「お声を掛け合って座席の反転を」という車内放送に従って乗客一斉に立ち上がり、ガタリンコと座席を回転させる。見事な協力ぶりだが、どうせなら笑顔で挨拶でも交わしながらすれば良いのに。みんなむっつり、鳥取から隣席のビジネススーツの若い女性は座席回転の間も両耳のイヤホンを外そうとせず、笑顔はおろか視線を全く合わせない。どうももったいないことだ。

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 鳥取滞在は23時間、岡山はわずか5時間だったが、ここでも主催者の心を砕いた準備のおかげで良い集まりができた。70名あまりの出席者中には、教会関係者や精神疾患当事者・家族が多数いらしたようである。

 

 その足で東へ戻るつもりだったが少々事情あり、予定変更して東ならぬ西へ向かう。中国大返しの鏡像版と気どっておこう。「しおかぜ」で3時間弱、単線をのんびりたどる田舎の特急だが、やがて開ける故郷の海、光の道、この眺めは天下一品である。

 

Ω


八大龍王あめやめたまへ

2016-06-21 09:53:29 | 日記

2016年6月21日(火)

 また熊本、今度は雨。震災で地盤がずれて干上がった水前寺公園の池水に、これで水が戻るとならばいざ知らず。

 第二次大戦中から戦後にかけて空襲・震災・水害のトリプルパンチを被り、そこから復活を遂げた不死鳥・福井のことが連想される。同じ力が熊本を立ち直らせることを信じ、祈る。下記再録。

 時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王あめやめたまへ

[賀茂真淵のコメント: 八大龍王とては歌言葉ならねど、かかることにかかはらで詠み給へるが雄々しき也。]

『金槐和歌集』岩波文庫版による

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