2016年6月23日(木)
H家連(家族会連合会)で「傾聴」について話をさせてもらう。2週間で5回講演したことになるが、あまり自慢にはならない。スケジュール管理がうまくできていない証拠というものだ。
今回も主催者がよく人を集めてくださった。主催者の想定以上であったことは、用意された資料がすべて配布されて不足をきたしたことで分かる。「傾聴」というテーマがそれほど人を引きつけるということか。
しかも今日は「家連」の集まりだから、当事者家族がこの人々の中核である。日頃と違った厳粛な思いも必然というものだが、例によって集まった人々の熱意がちょっとしたストームを作りだした。今日いちばん印象的だったのは、「近しい間柄であればあるほど、傾聴は難しい」と伝えた瞬間の反応である。それまで静かに、ひょっとして退屈しているのではないかと思われる静かさで聞いていた百何十名かの人々が、この瞬間一様に笑い崩れた。「反応なさいましたね、皆さん、経験なさってるのですね。」また笑い崩れる。皆そのことで悩んできたことが、はっきりと示されている。
質疑応答の時間、後ろの壁際に座っていた若い男性が手を挙げた。
「僕は当事者ですが、おっしゃるとおり家族の話が傾聴できなくて、イライラしたり腹立てたりします。何かいい方法はありませんか?」
僕は「当事者の話を家族が聴けない」という状況について話したのだ。彼はそれをクルリと反転させた。正しい反応であり、嬉しい反応である。
「相手を家族ではなく、同居する他人と思ったらいかがでしょうか?」と咄嗟の答え。会場に笑いの渦。
「いえね、息子だと思うから腹が立つんで、近所の若い衆が遊びに来てると思ったらアタマも冷えるかと、このところ思ってたもんだから」
「わかりました、やってみます!」
***
会場は横浜ラポール、膝を痛めて封印しているものの、愛してやまない鶴見川のジョギングロードはすぐそこである。午前中の雨模様が、講演を終えて出たときにはみっちりした晴れ間に変わっており、暑さは承知で久々の散歩に出かけた。
綱島まで正味70分ほど、6km、8,000歩ぐらいか。ほんとはもっと速く歩くのだけれどね。帰宅したら秀策の打碁集が届いていた。とにもかくにもこの2週間を越えた自分への、ささやかな御褒美である。
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