2016年6月18日(土)
終日家でのんびりできるのはずいぶん久しぶりで、ホッとしている。ただし午前中は skype 経由で博士課程講義に陪席。技術が進歩すればするほど仕事は増えるという皮肉な構図は、大学も一般と変わらない。
昼食を済ませてインターネットを開いたら、いきなりこれである。
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麻生太郎財務相(75)は17日、北海道小樽市で開かれた自民党支部大会で講演し、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『お前いつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と述べた。高齢者らの反発も予想される。(毎日新聞ニュース)
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例によって「報道されていることが事実通りだとして」だが、反発するのは高齢者ばかりではない。当の高齢者はかえって発言しにくいこともあろうから、泡沫ブログなれどもここではっきり抗議しておく。
人間、心があれば不安を抱くものだ。老後は誰でも不安なものだし、年齢が進むほど落ちていく体力・気力を実感するなら、なおさら心配が膨らむのはあまりに当然である。「老後」とは100歳になった時のことではない、90歳のその人が「老後」のまっただ中にあり、その現実がはっきり見えているからこそ、今日が「不安」明日が「心配」だと言っているのだ。そんな気もちも分からない者が、どの口で政治や国家を語るのか。90歳の人間には心がないとでも思っているのか。さっさと姥捨て山へ行けとでもいうのか。
麻生氏は御年75歳だそうである。僕はものの感じ方が少々違うので、氏の年齢を悪趣味な冗談のネタにしようとは思わないし、他人をつかまえて『お前』呼ばわりする非礼を真似たいとも思わない。なるほど同氏なら、15年後にも老後に何の心配ももたずにすむだろうと、うらやむばかりである。ただ一言、御言葉を本歌に拝借して申しあげたい。
『あなた、いつまで暴言妄言を繰り返して、恥の上塗りを続けるつもりですか?』
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