散日拾遺

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『代悲白頭翁』あるいは禿頭翁として悲しむ

2016-07-11 10:10:36 | 日記

 振り返り日記:

2016年7月7日(木)

 猛暑の予報に朝から怯え、御茶ノ水のアルバイト先に早めに到着して涼ませてもらう。逆変温動物の悲しさで、こういう日はアタマがまったく働かない。ものが考えられないが覚えることならできるだろうというので、暗誦が怪しくなっていた漢詩なんぞを呟きながら出かける。

 作者は劉希夷、字(あざな)は庭芝。逆に、庭芝が名で、希夷が字という説もあるらしい。唐代の人で、651年(永徽2年) - 679年(調露元年)と短命だったが、この一作で不朽の名をとどめている。以下、Wikiから。

「汝州(河南省汝州市)の出身。幼くして父を失い、母と共に外祖父のもとに身を寄せ20歳頃まで過ごした。容姿はすぐれており、物事にこだわらない性格で素行が悪かった。酒と音楽を好み、琵琶の名手であった。675年(上元2年)進士となるが仕官せずに各地を遊覧した。」

「「代悲白頭翁」を発表前に聞いた母方の親戚である宋之問は、非常に気にいって詩を譲るよう頼んだが、劉希夷はこれを断った。怒った宋之問は下僕に彼を殺させたという説がある。詩集4巻がある。」

(https://ja.wikipedia.org/wiki/劉希夷)

 ともかくリズムが良い。本来の唐語で朗詠すればまた格別なのだろうが、漢字のありがたさで視覚的にも十分美しい。前半のキーワードは、咲き誇る花とこれを散らす風、この両者の対比が、今年/明年、古人/今人の時間的対比と重畳し、復誰在(また誰かあらん)の問いかけが、松柏・桑海のたとえを介して無復洛城東(また洛城の東に無く)という自答に回帰するあたり、春のつむじ風に翻弄される花びらを見る思いがする。

 後半は転じて全盛紅顔子と半死白頭翁の対比、容赦のなさはコヘレトの言葉を思わせる。

 ああそうか、これら漢詩を覚えたのは高校時代の悪友Mのおかげでもあって、当時そうは思わなかったがやはり競うところがあったのだ。Mと毎日のようにぶらついたのが、いま話題の碑文谷公園である。弁天池で何十回、ボート遊びを楽しんだことだろう。あるいは池の周りを漫歩し、池の面で魚が跳ねるのを待ちながら、一つまた一つ暗誦したのだった。

 まったく、やりきれない。

***

洛陽城東桃李花 飛來飛去落誰家

洛陽女兒惜顔色 行逢落花長歎息

今年花落顔色改 明年花開復誰在

已見松柏摧爲薪 更聞桑田變成海

古人無復洛城東 今人還對落花風

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

 

寄言全盛紅顔子 應憐半死白頭翁

此翁白頭眞可憐 伊昔紅顔美少年

公子王孫芳樹下 淸歌妙舞落花前

光祿池臺開錦繡 將軍樓閣畫神仙

一朝臥病無相識 三春行樂在誰邊

宛轉蛾眉能幾時 須臾鶴髪亂如絲

但看古來歌舞地 惟有黄昏鳥雀悲

Ω

 

 


未来の白紙委任

2016-07-11 07:20:35 | 日記

2016年7月10日(月)

 与党は意図的に争点を経済に ~ アベノミクスと称するものの一定の成果と将来性に ~ 搾り、憲法や原発問題は存在しないかのように振る舞ってきた。改憲勢力が発議に必要な3分の2に達するかどうかを注視するメディアとのズレは面白いほどだが、いつものことと言えばそれまでである。複数の論点をひとまとめにし、そのうちの特定のものに関する評価によって全体に関する信任を得たことにする手法は、たぶん大昔からある戦術なんだろう。若干違った文脈でサルトルが「アマルガム(合金)法」と呼んでいた記憶があり、気の利いたネーミングだが実態は蒼古たるものである。(『革命か反抗か - カミュ=サルトル論争』新潮文庫 P.86)

 開票速報と連動した取材番組で、どこかの豆腐屋さんが「大豆の価格は自分らの死活問題、どうかよろしく」と声を挙げた。この人などはTPPにも無関心でいられるはずがなく、ならば選挙にも行ったのだろうと思う。今回はこの種の、生活に密着した政治課題 ~ そのうちの最大のものが実は憲法 ~ が山積だったから、街場の政談の自然な延長としてそれなりの結果が出るかと思った自分が、まるで分かっていなかったのだ。

 第24回参議院選挙、後世の史家はどのように記すだろうか。

 

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