振り返り日記:
2016年7月7日(木)
猛暑の予報に朝から怯え、御茶ノ水のアルバイト先に早めに到着して涼ませてもらう。逆変温動物の悲しさで、こういう日はアタマがまったく働かない。ものが考えられないが覚えることならできるだろうというので、暗誦が怪しくなっていた漢詩なんぞを呟きながら出かける。
作者は劉希夷、字(あざな)は庭芝。逆に、庭芝が名で、希夷が字という説もあるらしい。唐代の人で、651年(永徽2年) - 679年(調露元年)と短命だったが、この一作で不朽の名をとどめている。以下、Wikiから。
「汝州(河南省汝州市)の出身。幼くして父を失い、母と共に外祖父のもとに身を寄せ20歳頃まで過ごした。容姿はすぐれており、物事にこだわらない性格で素行が悪かった。酒と音楽を好み、琵琶の名手であった。675年(上元2年)進士となるが仕官せずに各地を遊覧した。」
「「代悲白頭翁」を発表前に聞いた母方の親戚である宋之問は、非常に気にいって詩を譲るよう頼んだが、劉希夷はこれを断った。怒った宋之問は下僕に彼を殺させたという説がある。詩集4巻がある。」
(https://ja.wikipedia.org/wiki/劉希夷)
ともかくリズムが良い。本来の唐語で朗詠すればまた格別なのだろうが、漢字のありがたさで視覚的にも十分美しい。前半のキーワードは、咲き誇る花とこれを散らす風、この両者の対比が、今年/明年、古人/今人の時間的対比と重畳し、復誰在(また誰かあらん)の問いかけが、松柏・桑海のたとえを介して無復洛城東(また洛城の東に無く)という自答に回帰するあたり、春のつむじ風に翻弄される花びらを見る思いがする。
後半は転じて全盛紅顔子と半死白頭翁の対比、容赦のなさはコヘレトの言葉を思わせる。
ああそうか、これら漢詩を覚えたのは高校時代の悪友Mのおかげでもあって、当時そうは思わなかったがやはり競うところがあったのだ。Mと毎日のようにぶらついたのが、いま話題の碑文谷公園である。弁天池で何十回、ボート遊びを楽しんだことだろう。あるいは池の周りを漫歩し、池の面で魚が跳ねるのを待ちながら、一つまた一つ暗誦したのだった。
まったく、やりきれない。
***
洛陽城東桃李花 飛來飛去落誰家
洛陽女兒惜顔色 行逢落花長歎息
今年花落顔色改 明年花開復誰在
已見松柏摧爲薪 更聞桑田變成海
古人無復洛城東 今人還對落花風
年年歳歳花相似 歳歳年年人不同
寄言全盛紅顔子 應憐半死白頭翁
此翁白頭眞可憐 伊昔紅顔美少年
公子王孫芳樹下 淸歌妙舞落花前
光祿池臺開錦繡 將軍樓閣畫神仙
一朝臥病無相識 三春行樂在誰邊
宛轉蛾眉能幾時 須臾鶴髪亂如絲
但看古來歌舞地 惟有黄昏鳥雀悲
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