散日拾遺

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共感都市理論へ

2016-07-22 07:19:57 | 日記

2016年7月22日(金)

 被爆二世さん、首を長くしておいででしたね。ソッコーのコメントをありがとうございました。

 そしてよくぞおっしゃった・・・と言いますのも、御指摘のフレーズ「One for all, all for one」を、私も講演の中でコリント書の引用とあわせて使ったからなんです。 気が揃いましたね!

 (これ ↓ が証拠です。)

 

 「ひとりは万人のために、万人はひとりのために」 ~ 正確な出典を私は知りません。デュマでしょうか?出どころは分かりませんが、使用例は沢山あるでしょう。ロシア革命でも語られたというのは怪しげな耳学問ですが、そうであっても不思議はなかったと思います。

 注意しなければならないのは、こういう物言いには情緒的な色彩が強く、容易に全体主義的な文脈に絡め取られる危険のあることです。それを拒否しながら自律/連帯のスジをしっかりたぐっていけるような、強靱な理論武装が求められているでしょう。その意味で目からウロコの体験をしたのは、手前味噌のようですが放送大学の『死生学入門('14)』でした。もちろん、私が書いた章ではなくありません。第15章/回で山崎浩司先生が紹介しておられる「共感都市理論」は、有力なロジック候補ではないかと期待するものです。シラバスを転記します。

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「第15回 死生学の理論と展望

 本コースのまとめとして、死生学の基本的な共通言語たるべき理論をいくつか概観しつつ論じる。取り上げるのは、死のタブー化論、公認されない悲嘆論、環状島理論、共感都市理論であり、いずれも死生学原産とはいいがたいが、この学際的な学問の基盤を固め、今後の発展を促すと考えられる理論である。最後に死生学の展望についても若干考察し、核・原子力の問題に取り組んでゆくことが、特に日本の死生学にとってひとつの重要な役割であることを示唆したい。

 担当講師: 山崎 浩司 (信州大学准教授)

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 被爆二世さんにとって、福島のことが「ついつい他人事」であるというのは、私にはいささかショックでした。しかし、福島県内に長らく住んだ経験がなかったら、私にしても同じだったかもしれません。人は自分の体験の枠から出るのが難しいものです。だからこそ、末尾にお書きになっているとおり「想像力」と「共感」が急所になるのですね。そう思っているところへ、個人心理の用語である「共感」を「都市」と接続させるアイデアに目からウロコが落ちた(この表現の出典は新約聖書の使徒言行録)わけですが、もちろん全てこれからです。救急車の走行を平然と妨害し、震災後の計画停電を単なる迷惑と受けとめるような、非共感的(反共感的?)な風景のほうこそ私たちの都市の現実なのですから。

 あらためて、コメントありがとうございました。

Ω