散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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笑いと微笑

2016-07-24 23:02:20 | 日記

2016年7月24日(日)

 ほい、見つけた。

*

 「彼女はそう言って微笑った。いままでの生涯がずっとこうだった。オスカルが笑うと、彼女は微笑わないでいられなかった。」

*

 「笑う」は lachen、「微笑う」はlächeln、原著者の使い分けを訳者も正確に踏襲している。キュルツ親方が巨腹を揺すって呵々大笑すると、おかみさんのエミリエが思わず微笑む、そのようにして肉屋の御夫婦は幾星霜を生き抜いてきたのである。

 ケストナーは最高、訳者・小松太郎もちゃんと仕事をしている。人生捨てたもんじゃない。

 Ω


理論(セオリー)の効用とケストナーの思い出

2016-07-24 10:02:46 | 日記

2016年3月23日(土)

 話が日中のことに戻るが、試験監督といっても全て分かっているGさんのことなので、彼が問題に取り組んでいるあいだはこちらも「死生学入門」のおさらいなんかしたりする。最終章の冒頭に、山崎先生が非常に良いことを書いておられるのを再読。

 「英語には ”What’s your theory?” という日常表現があり、意訳すれば「あなたの考えは?」または「君の仮説は?」となる。日本語では「理論」とふつう訳される ”theory” という語が、英語では日常会話で使われていることと、その意味を「考え」や「仮説」という「理論」よりは堅苦しくなく縁遠い印象も薄い日本語で表せるという事実は、思っている以上に理論が私たちにとって身近で幅のあるものであることを示唆している。(中略) 理論とは、関心を同じくする人々が物事を把握したり事態を改善したりしてゆくうえで、欠かせない共通言語であり基盤なのである。」(『死生学入門』P.240)

 おっしゃる通りで、こういった学問論こそ必須の教養というものだけれどだけれど、ちょっと思い出すことがあってここはクスリと笑った。敬愛置くあたわぬエーリヒ・ケストナー、イザベルさんも大好きな作家の『消え失せた密画』(小松太郎訳)、終わり近くにこんな会話がある。

*

 「どうしてわたしに一言もいわなかったの?わたしも子どもたちも死ぬほど心配したじゃないの?ベルナウへ行ってくるなんて?」

 「ほんとうにベルナウへ行くつもりだっただ」

 彼は考えながらそう言って、

 「つまり、こりゃあ、わっしの理論(セオリー)だっただ」

 「理論(セオリー)?」と、彼女は訊いた。

 「そうさ、理論(セオリー)ちゅうのは外国のことばでな、真っ赤な嘘ちゅうことだ。そのほうが人聞きがいいだでな」

 彼は笑った。

 「インチキねえ!」

 彼女はそう言って微笑った。いままでの生涯がずっとこうだった。オスカルが笑うと、彼女は微笑わないでいられなかった。もっとも、彼はあんまり笑うこともなかったが、しかしそれは彼女の責任だった。

(創元推理文庫 P.236-7)

*

 ベルリン在住の肉屋の親方オスカル・キュルツが、突然「そぞろ神につかれて」小出奔をしでかし、コペンハーゲンなんぞを訪れる、そこからこの愉快な物語は始まっている。上記は帰宅した夫を妻のエミリエがとっちめるところで、何度読み返しても登場人物たちが愛おしくて仕方がない。ケストナーは文句なしに素晴らしい。

 それはさておき、面白いのはドイツ語にちゃんと Theorie という名詞が存在することである。親方はスリリングな旅の途上で若い友人たちからこの言葉を教わり、教える方は別段ギリシア語やラテン語の由来に遡ってではなく、ドイツ語の Theorie について語るのだが、親方はてっきり外国語だと思い込んだ。それは無教養な庶民に対する揶揄というよりも、庶民生活から遊離した学問へのケストナー一流の風刺として働いているだろう。ちなみにケストナーの母方の叔父たちは実際に肉屋を営んでおり、これらの親族がケストナー作品にはモデルとして繰り返し登場する。その一人を回顧したエッセイ『Mein Onkel Franz フランツ叔父さん』は、教養課程ドイツ語の僕らのテキスト(関先生ではないクラスの)でもあった。

 この場面は、「理論」という言葉と概念を日常化する作業が、決して日本人だけの課題ではないこともあわせ教えてくれる。ただしケストナーの原作が1935(昭和10)年に書かれていることを、念のため注記しておく。1934年ヒトラー総統就任、1935年ドイツ再軍備宣言、1936年ベルリンオリンピック開催、1938年オーストリア併合・・・その時期に書かれた逸品である。今のドイツ人は、Theorie という言葉をどの程度どのように使いこなしているのだろう。それはテロとの戦いに、力を与えてくれているだろうか。

Ω


今どき無意味な点字ブロック

2016-07-24 09:10:25 | 日記

2016年7月23日(土)

 専任教員は障害のある学生さんの別室受験担当というのが、このセンターの流儀である。実際には事務担当のMさんがほとんど全てやってくれて、教員の仕事は開始・終了の合図とマークシートへの転記ぐらい。

 今日の別室受験は全盲のGさん一人だけ、こういうことは珍しい。予定表では一限から八限までの間に、パラパラと受験科目が散らばっているが、「変更がありまして」とMさん。夕方から地元の花火大会で一帯に相当の人出がある、それに巻き込まれるとGさんが立ち往生する危険があるので、20分の休憩をはさんで前倒しで試験を行い、早く解放してあげる予定という。なるほど適切な配慮である。

 「ポケモンGOが昨日から配信されてるし」

 「そうそう、余計あぶない」

 笑ったが笑いごとではない、Gさんのおっしゃるには、最近は点字ブロックを踏んで歩いていてもスマホ歩きが正面から突っ込んでくる、青信号で横断歩道を歩いていても前後を自転車がかすめていく、危険きわまりないという。

 「帰りはどうぞ気をつけて」と言ってから、「ほんとは目あきが気をつける話なんですよね」と皆で苦笑した。

 Gさんは屈託もなく、休み時間に僕をつかまえて統合失調症の友人にどういう配慮をすべきかなどと尋ねてくる。さらに、半年前の冬の試験の時は僕の声にどこか緊張が感じられた、何かストレスがありはしなかったかと問われた。

 聞くことへの集中度ではとても比較にならない。目あきはごまかせてもこの人々は偽れないと思いながら、さて一月末頃何があったっけと考えた。思い出せないが何かあったのだろう。

 Gさんは午後早々に無事退出。僕はいちおう待機を続けてビルを出たのが午後7時。バス通りは臨時の歩行者天国で、そこを荒川縁に向かうユニクロ浴衣の流れが一面に埋めている。勝手知ったる裏道に回っても、どの分枝もすべて逆方向の人波ばかりで、少し怖くなった。テロリストの草刈り場みたいなものだ。

 さまざまな国の言葉が浴衣の人波から聞こえてくる面白さを味わう余裕もなく、どうにか北千住駅まで無事到達。Gさんを早く帰したのは、間違いなく事務担当者の隠れたファインプレーであった。

 Ω