2016年3月23日(土)
話が日中のことに戻るが、試験監督といっても全て分かっているGさんのことなので、彼が問題に取り組んでいるあいだはこちらも「死生学入門」のおさらいなんかしたりする。最終章の冒頭に、山崎先生が非常に良いことを書いておられるのを再読。
「英語には ”What’s your theory?” という日常表現があり、意訳すれば「あなたの考えは?」または「君の仮説は?」となる。日本語では「理論」とふつう訳される ”theory” という語が、英語では日常会話で使われていることと、その意味を「考え」や「仮説」という「理論」よりは堅苦しくなく縁遠い印象も薄い日本語で表せるという事実は、思っている以上に理論が私たちにとって身近で幅のあるものであることを示唆している。(中略) 理論とは、関心を同じくする人々が物事を把握したり事態を改善したりしてゆくうえで、欠かせない共通言語であり基盤なのである。」(『死生学入門』P.240)
おっしゃる通りで、こういった学問論こそ必須の教養というものだけれどだけれど、ちょっと思い出すことがあってここはクスリと笑った。敬愛置くあたわぬエーリヒ・ケストナー、イザベルさんも大好きな作家の『消え失せた密画』(小松太郎訳)、終わり近くにこんな会話がある。
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「どうしてわたしに一言もいわなかったの?わたしも子どもたちも死ぬほど心配したじゃないの?ベルナウへ行ってくるなんて?」
「ほんとうにベルナウへ行くつもりだっただ」
彼は考えながらそう言って、
「つまり、こりゃあ、わっしの理論(セオリー)だっただ」
「理論(セオリー)?」と、彼女は訊いた。
「そうさ、理論(セオリー)ちゅうのは外国のことばでな、真っ赤な嘘ちゅうことだ。そのほうが人聞きがいいだでな」
彼は笑った。
「インチキねえ!」
彼女はそう言って微笑った。いままでの生涯がずっとこうだった。オスカルが笑うと、彼女は微笑わないでいられなかった。もっとも、彼はあんまり笑うこともなかったが、しかしそれは彼女の責任だった。
(創元推理文庫 P.236-7)
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ベルリン在住の肉屋の親方オスカル・キュルツが、突然「そぞろ神につかれて」小出奔をしでかし、コペンハーゲンなんぞを訪れる、そこからこの愉快な物語は始まっている。上記は帰宅した夫を妻のエミリエがとっちめるところで、何度読み返しても登場人物たちが愛おしくて仕方がない。ケストナーは文句なしに素晴らしい。
それはさておき、面白いのはドイツ語にちゃんと Theorie という名詞が存在することである。親方はスリリングな旅の途上で若い友人たちからこの言葉を教わり、教える方は別段ギリシア語やラテン語の由来に遡ってではなく、ドイツ語の Theorie について語るのだが、親方はてっきり外国語だと思い込んだ。それは無教養な庶民に対する揶揄というよりも、庶民生活から遊離した学問へのケストナー一流の風刺として働いているだろう。ちなみにケストナーの母方の叔父たちは実際に肉屋を営んでおり、これらの親族がケストナー作品にはモデルとして繰り返し登場する。その一人を回顧したエッセイ『Mein Onkel Franz フランツ叔父さん』は、教養課程ドイツ語の僕らのテキスト(関先生ではないクラスの)でもあった。
この場面は、「理論」という言葉と概念を日常化する作業が、決して日本人だけの課題ではないこともあわせ教えてくれる。ただしケストナーの原作が1935(昭和10)年に書かれていることを、念のため注記しておく。1934年ヒトラー総統就任、1935年ドイツ再軍備宣言、1936年ベルリンオリンピック開催、1938年オーストリア併合・・・その時期に書かれた逸品である。今のドイツ人は、Theorie という言葉をどの程度どのように使いこなしているのだろう。それはテロとの戦いに、力を与えてくれているだろうか。
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