散日拾遺

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Aさんとのやりとり

2016-07-29 07:17:19 | 日記

2016年7月29日(金)

 卒研生OBのAさんから来信。Aさんは御家族に精神障害の当事者があり、そこから発意して一連の精神疾患の病名変更をテーマに卒業研究をまとめたのだ。了解を得て、一部改変のうえやりとりを書き留めておく。

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石丸先生:

 びっくりしました。どうして「措置入院」後の人がこのような事件を起こしてしまうのでしょうか。

 『今日のメンタルヘルス』や『精神医学特論』で、ライシャワー事件や宇都宮病院事件について学びました。古くは池田小事件、最近では川崎の老人ホーム事件など、痛ましい事件は数多く起きてきましたが、今回の事件の深刻さはそれらの比ではありません。

 呉秀三先生だったら何とおっしゃるか、こういう現実をどのように見つめ、どのような形でその対策を展開していかれるのでしょう。

 唐突ですみません。先生の御見解を伺いたい思いを抑えがたく、メールいたしました。

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Aさん:

 お尋ねありがとうございます。十分な情報をもとに熟考してから言葉にすべきことと控えていましたが、お気持ちに触れて取り急ぎポイントと思われることを記してみます。

○ 容疑者の「診断」について、今後のためにも明らかにしておかなければなりません。今の段階で確かに言えることは多くありませんが、ただ統合失調症では「ない」ことはほぼ確実だと思います。これは是非とも世間に知ってもらいたいことで、入院している20万人の患者さんとそれに数倍する地域の闘病者たちのためにも、この点が明確になるよう願っています。

 私がとっさに連想したのは1923年にドイツで起きた「教頭ワーグナー」と呼ばれる事件でしたが、よく考えてみると状況がだいぶ違います。薬物使用の可能性も指摘されており、予断を避けつつさまざまな方面からよくよく検討しなければなりません。

○ 措置入院の制度は適切に運用されたか?御指摘の通り、重要な点です。とりわけ「自傷他害の恐れがなくなった」という措置解除時の判断が果たして適切であったか。自分が担当医であった場合のことを考えると胸苦しいものがありますが、問責のためでなく今後の対策を考えるうえで、綿密に検証する必要があります。一般に「危険がある」ことを示唆するのは容易ですが、「危険がない」ことを確実に言うのは非常に難しいのを考え合わせねばなりません。現在、措置入院の開始にあたっては複数の精神保健指定医の一致した診断が求められていますが、解除にあたってこそ一人の精神科医に判断と責任を負わせることなく、多くの目で確かめていく必要があるかもしれません。これと関連して・・・

○ 措置入院の制度はこれでいいのか?「一部の患者に関しては、長期的な見守りが必要ではないか」という指摘は以前からありましたし、今回早くもそうした声が上がっています。措置入院制度というよりも、司法精神医学の広い文脈の中で考えるべきことですが、注意しなければならないのはこうした事件に反応して極端な方向に議論が振れてしまうことです。措置入院などの強制入院制度を巡っては、逆に過剰な/誤った運用によって人権侵害が生じる危険が常に存在します。どちらか一方に振れてしまって良いのなら話は簡単で、左右の危険をこもごも回避しながら適切な中道を選んでいくことがひどく難しいのです。

○ 実はこれがいちばん大きな問題かも知れません。この事件は人の心の中に潜む「障害者排除論」を最悪の形で明るみに出して見せました。このことは昨今頻発するテロの背景にある心理と、一見無関係のようでいて実は深くつながっていると私は思います。起き続けるテロが潜在的なテロリストたちを焚きつけていると言えるかも知れません。スティグマおよび不寛容との闘いは、21世紀における人類の最大のテーマになるでしょう。どうしたらこの闘いに勝てるか、これから御一緒に知恵を搾っていかねばなりません。

 亡くなられた方々に心から哀悼の意を表しつつ、Aさん、これがさしあたりの私のお返事です。至りませんが、意のあるところをお汲みください。

Ω