散日拾遺

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昔の写真/テニアン島/東名逆走

2016-07-20 11:04:37 | 日記

2016年7月20日(水)

 『トト姉ちゃん』のエンディングに、視聴者投稿(?)の懐かしい写真が一瞬映る。微笑ましいのと同時に、考えさせられることがいろいろある。

 写真の撮影時点は早いもので昭和初年、遅いものでは昭和30年代に及ぶが、30年の幅があってその中ほどに戦争をはさんでいるのに、家庭風景には意外に大きな違いがない。縁側や茶の間の構造、人々の服装や表情、もちろん細かく見れば変化も進歩も(そして衰退も)あるのだろうが、伝わってくる香りみたいなものが共通している。僕らの日常風景が決定的に変わったのは、たぶん1964年の東京五輪あたりからだ。政治史的には1945年が断絶を伴う転換点であったとしても、文化史のそれは少し違った経緯をたどったものと思われる。

 O君が新聞記者になり立ての頃、「人間を撮るなら白黒に限る、カラーにはない内面的な深みが現れる」と教えてくれたことがある。それを毎朝確認する趣があり、それこそ「失ったものの偉大」を感じるようである。ついでに言うなら、デジタルよりも銀塩フィルムが断然良い。違いの理由を物理的に説明することが僕にはできないが、説明も証明もできる人にはできるだろう。

 7月20日(水)朝に放映されたものは、昭和15年にテニアン島で撮影とあった。笑顔の家族写真で、幼い子が日の丸の小旗(?)を振るように見えたが、一瞬のことでよくわからない。この島の名に直ちに反応する人は、今どのぐらいいるだろうか。南北に連なるマリアナ諸島中サイパンのすぐ南に位置する島で、当時は日本の委任統治領だったから、この家族も父親のそうした仕事に帯同して同地に赴いたかと思われる。作家・中島敦のことなど思い出される。写真撮影の翌年には日米開戦、昭和19年にはサイパンの守備隊が玉砕し、一帯が米軍の支配下に置かれるが早いか、爆撃機の浮沈の基地がここに出現した。焼土空襲を遂行したB29は主としてサイパンから飛び立ったように聞いているが、テニアンから離陸したものもあった。昭和20年8月6日朝、広島に飛来したエノラ・ゲイもその一つである。

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 愛知県小牧市の東名自動車道で逆走があり、乗用車が大型トラックと正面衝突して死亡事故になった。痛ましい事故であるが、運転者が46歳の男性であったことに留意したい。「逆走 → 高齢者 → 認知症」という自動思考が人々のイメージに刷り込まれているが、それほど単純なものではないのだ。誰にとってもリスクはある。小牧には大きなインターチェンジがあるから、そこで何か悲劇的な錯誤が起きたものに違いない。

 3週間後には僕も同じルートを西へ向かい翌週東へ戻る。往路で岡崎を過ぎるあたりからいつも感じる懐かしさとともに、今年は亡くなった人の冥福を祈りつつ走ろうと思う。

Ω