散日拾遺

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34回生一堂に会す

2016-07-26 07:28:13 | 日記

2016年7月24日(日)

 同窓会の集まりがあり、新橋へ出かけた。医大卒業30周年である。医大と言ったが、大学名にもあるとおり医科と歯科が対等に併設されているのがちょっとした自慢。入学時はそれぞれ定員80名の新入生を一塊に混ぜ、50音順に三分してA,B,C組にしたので、教養の二年間は誰が医科か歯科かさほど意識もせず友だちづきあいしていた。

 その時分に体育の指導をしていただいたM先生が、何と何と今週から放送大学の博士課程に入学なさり、僕は教え子転じて指導教員となった。紅顔の美青年も今や白頭翁、しかし目の輝きと知性の俊敏はますます明かで、人生を長く楽しめるこの時代をありがたく思う。M先生のおっしゃるに、現在では教養課程は一年間に短縮され、しかも週に一日は御茶ノ水キャンパスで過ごすという具合で、学生にとっての教養課程の意味づけが著しく希薄になっているそうだ。(医科歯科は教養課程が千葉県市川市、専門課程が文京区御茶ノ水に分かれて存在する。)教養課程を維持すること自体、昭和を知り20世紀を知る先生方の信念なり根性なりに依存しているところがあるらしい。何をか言わんやである。

 話を戻せば、医学部と歯学部を併設しているところは多くない。首都圏の国立では僕らの母校だけで、東大も千葉大も歯学部はもたない。というより全国を列挙しちゃった方が早いか。北海道・東北・東京医科歯科・新潟・大阪・岡山・広島・徳島・九州・長崎・鹿児島の11大学に、公立の九州歯科大、他に私立17大学を数える。阪大教授であった岳父と初めて会ったとき、僕の出自を彼が大いに喜んでくれた理由のひとつが「歯学部」だった。

 懐かしくはあるものの、卒業後は去る者日々に疎しのたとえ通りで、合同の同窓会も10年ぶりである。月に一回手伝いに行くクリニックのA君が、フットワークの軽さと明朗な性格そのままに終身幹事の役回り、その指名で医学部側の司会を仰せつかった。歯学部側のI君とふたり、みんな話は山ほどあるから時間管理には難渋したが、おかげで全員のスピーチをかぶりつきで聞くことができたのが大きな役得である。医学部47名、歯学部30余名、楽しそうに話していった。

 ただし、過去一年間に他界したものが医歯あわせて3名ある。皮肉にも僕らのような他大学卒の年長組ではなく、まさに志半ばで成人病に足をすくわれた形である。会の始めに黙祷、そういえば1982年の解剖学実習室で実習開始時の黙祷の号令をかける役も、なぜか僕に振られたことを思い出した。その時「君がやれ」と命じた佐藤達夫先生が、同窓会長として来賓席にある。一所同心ながら思い出も思いも様々である。

 長身のK君、軟式庭球の達人で屈託のないスポーツマンだった彼が、数年前に思いがけない病気でICUに搬送され、危うく命を拾ったことをスピーチで語った。「今は、すべてのことの感謝しながら日々の外科臨床にあたっています」と笑顔で結ぶ。

 またしても聞く「感謝」、人生のキーワードらしい。

  

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