散日拾遺

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上甲監督に捧ぐ

2016-08-25 08:14:46 | 日記

2016年8月25日(木)

☆ 福井優也、膝に打球を受けながら投打にわたる活躍で4勝目、カープにマジック点灯。(対巨人 7-3)

☆ 鵜久森敦志、初回の3ランで小川に完投勝ちをプレゼント、スワローズ連敗脱出。(対中日 5-2)

 この二人は2004年に済美高校が初出場で春優勝・夏準優勝したときのエース(2年生)と4番だが、その後はいずれも苦労した。

 福井は2005年のドラフトで巨人から4巡目に指名されたが拒否(巨人に指名されて拒否した選手は25年ぶりだそうな)、一浪して早稲田に入り斎藤佑樹らとともに六大学で活躍した後、2010年秋のドラフトでカープの一位指名を得て入団した。2011年から2015年まで、通算23勝26敗。センバツ初のナイター決勝戦で愛工大名電の打者らにさんざんぶつけたノーコンは相変わらずで、「持ち球を増やすより、持っている球の制球を増してほしい」とコーチ筋から苦言を呈されている。

 鵜久森は2004年のドラフトで日本ハムから8巡目に指名され入団。イースタンで活躍する場面もあったが一軍では通用せず、2015年秋に戦力外通告を受ける。しかし本人は現役続行を希望、12球団合同トライアウトを経てスワローズに移り、11月には懐かしい坊ちゃんスタジアムで同球団の秋季キャンプに合流した。日ハム入団時には将来の4番とも期待されたが、その後アベレージ・ヒッターへの転向を指導されてかえって低迷した観がある。移籍後は名伯楽の杉村コーチ(前にも書いた1975年春優勝の高知高校の4番サードで、『ドカベン』の微笑(ほほえみ)三太郎のモデル)が長距離ヒッター回帰を勧めているのだそうで、これがどう出るか楽しみである。

 鵜久森は地元・松山の生まれ育ち。福井は岡山出身だが小さい頃からプロ野球選手になること以外考えず、名将・上甲正典監督(1947-2014)を慕って済美に野球留学した。違いもあり似てもいる野球人2人、上甲さんが教え子の活躍を喜ぶことだろう。

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  swallows, here.