散日拾遺

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現代のコロセウム

2016-08-27 06:42:57 | 日記

2016年8月27日(土)

 鵜久森は水曜日に続き、木曜日は勝ち越し9点目のタイムリー、昨夜は初回の満塁本塁打を含む全5打点を稼ぐ活躍で、お立ち台にも呼ばれた。12年目の脚光で嬉しかろう。

 彼らが敗れた2004年夏の甲子園、相手は北海道勢初優勝を賭けた駒大苫小牧で、そちらに肩入れする心理は分からなくはないものの、済美 vs 5万観衆の構図はフェアなものではない、判官贔屓は身勝手なものだと以前に書いた。この夏はもっと露骨で極端なケースがあった。7回の2-9から試合をひっくり返した東邦・八戸学院光星戦、特に9回裏2死からのつるべ打ちはまことに見事だったが、この時の甲子園の雰囲気は実に異様なもので、高速道路を西へ向かう車のラジオからでもその凄まじさが手に取るように伝わった。分かるかな、巨大な球場を埋めた5万人の観衆が、一方のチームにあからさまに肩入れすることの醜さ恐ろしさが。

 「これは判官贔屓と関係ない、いま弱い立場なのはマウンド上のピッチャーで、判官贔屓が弱い者に声援することなら、応援する相手を間違ってる」とブツブツ言い、「東邦ナインに『あっぱれ』、5万観衆に『喝!』」と嘯き、「コロセウムでキリスト教徒を追い回すライオンに声援を送ったのはこの手合いだ」と毒づいた。相手チームの選手たちの気もちなんかどうでもよく、ただスリリングなドラマが見たいだけならコロセウムの狂乱と変わりはない。考えるだに胸が悪くなる。

 などと言い流していたら、朝日の編集委員が今朝そのあたりをきっちり書いてくれた。

『劇的ドラマの裏に違和感』(安藤嘉浩)2016年8月27日朝刊22面

「東邦ナインが大喜びする一方で、八戸学院光星のエースは(球場の)全員が敵に見えた」とつぶやいた。東邦の選手・応援団と観客が一体となって生まれたドラマだが、違和感を覚えた人もいたのではないか。ある段階から、追い詰められたのは、むしろ八戸学院光星だった。同点になってからも東邦びいきが続いたのは寂しかった。」

「準決勝でも、北海(南北海道)にリードされた秀岳館(熊本)を球場全体が応援する場面があった。秀岳館も追い込まれていたが、北海の大西健斗投手も苦心の投球を続けていたと思う。(石丸注: この試合は北海が勝った。秀岳館と観客に。)」

「せめて、球場全体でタオルをグルグル回すのはやめられないだろうか。甲子園はスタンドが低く、守る選手にはボールが見えにくい。アルプス席の応援スタイルは自由だが、ネット裏でもタオルが回ると、選手のプレーに支障を来しかねない。」

 御説ごもっとも、ナダルがアタマに来たリオのテニスファンより、質も量もよほどたちが悪い。現代のコロセウムここにあり、つまりは帝国の衰亡が現実の危機になっているということだ。

 さて、目黒病棟の北ウイングへ出かけよう。

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