散日拾遺

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「芋虫」と「セミの幼虫」

2016-12-03 12:49:20 | 日記

2016年11月30日(水)

 高校時代のMという友人について以前に書いた(2015年5月25日:「絶対」とは? http://blog.goo.ne.jp/ishimarium/e/dc50cf22f6ea2b431e718296d4139b89) 。彼は一年次の同級生で卒業時はクラスが違ったから、先般の同級会では会わない組である。

 先に書いた時は、言葉の使い方に対する彼のうるささに触れたのだが、守備範囲の広い男で大の虫キチでもあった。日本動物園協会が出していた月刊誌『インセクタリウム』を、たぶん1964年の創刊から2000年の廃刊まで欠かさず読み続けたのではないか。小学生時代には同誌の座談会に出たこともあり、昆虫を商売の種にするのを批判する言葉の早熟が、いかにもMらしかった。虫キチと言っても捕虫網(ほちゅうもう・・・ATOKは変換しない!)を振り回して死骸を標本箱に晒す系ではなく、ひたすら観察し愛で、たかだかカメラで追跡するぐらいだった。

 そのナチュラリストが確か高校入学早々に友達と賭けをし、芋虫を食べて賭け金をせしめたことがあった。賭け金の額というのが5円である。(5百円でも5十円でもなく5円、戦前の5円ではなく昭和47年当時の5円だ。)金が目的ではなく、「虫が好きなら芋虫食えるか」「食えるよ」「食って見ろ」「いくら寄越す?」式の、高校男子の意地の張り合いとタカはしれている。残念ながら僕はその場にいなかった。日頃の「虫も殺さない」(というか、虫だから殺さない)路線との矛盾を追求したら面白かっただろうと思うが、Mのことだから苦もなく言い抜けたに違いない。

 「理由なく一匹の昆虫の命を奪うことは決して好むところではないが、人は芋虫を食べ得るものであり、かつそれが何ら人の威厳を損なうものではないと示すことには小さからぬ文化的意義がある云々」・・・違うな、これでは石丸節で、Mならもっと気の利いたことを言うはずだ。何しろ中学生時代に、「無料(ただ)のことを何でロハと言うの?」と同級生の女子に聞かれ、「先立つイがないからだよ」と即答した剛の者である。むろん出まかせだが、質問した方はまず感心し次いで呆れ、あらためて感心して大学に進んでもそのことを覚えていた。

 芋虫を食べるのが文化論的な理由によるものなら5円の賭け金は無用のはずだが、これが話を面白くするのはどうしてだろう。落語に通じる諧謔のカラクリが潜んでいるようだ。そういえばMはいつも財布を二つもち、一方にはそれこそ5円玉や10円玉を2~3枚入れていた。何でも不良にタカられた時の用心だそうで、「金がない」では「ウソつけ」になるが、実際に財布を出して「これしかない」と言えば、舌打ち以上の害を加えられる恐れがないというのである。東京を歩くにはそんな心配をせねばならんのかと、名古屋から上京したての当方は訝ったが、Mによればこの備えが役立ったことが、少なくとも一度はあったそうである。

 芋虫を食べたことはないが、イトミミズなら僕も食べた。水槽の熱帯魚があんまり美味しそうに食らいつくので、つい真似してみたのだが旨くはなかった。セミの幼虫を舐められるかといえば、きれいに泥を落としてあれば大して抵抗はないように思う。電車の扉からカナブンが入りこんだだけで恐慌を来す、今どきの都会人とは育ちが違っているからだが、もちろんポイントはそこではない。セミの幼虫だろうとフカのヒレだろうと同じことで、望まないことを無理に強いられるところに屈辱が生まれる。屈辱を味わわせて楽しむ倒錯をイジメというのである。

***

 母校に寄せる思い入れというものが高校に関しては薄く、どちらかと言えば苦(にが)い思いが勝っていた。それやこれやで鳩尾の重苦しさを抱えながらクラス会に行き、思いがけず温かい気持ちで帰宅したのが23日(水)。実は悪くない学校だったなと微笑んだ一週間後にこのニュースというのも、よくできた話ではある。今ごろ皆落胆していることだろうが、同時に首を傾げているのではないかしらん。どんな学校にも問題はあるし、人が集まればもめ事は起きるものだが、そのありようがいかにも「らしくない」のだ。

 数を頼んで一人を追い詰めること、肩の高さから落とすという剥き出しの暴力性、昆虫を舐めさせる幼稚な手口、どれをとっても腑に落ちない。良くも悪くもその種の体育会的で粗暴な逸脱から、およそ遠いのが身上だったはずである。40年も経てば校風も気風も変わって不思議はないが、34年後輩にあたる長男がメールでほぼ同じ感想を書いてきたのに苦笑した。ケンカもトラブルもいくらもあったけれど、「そんなヒマなことするやつはいなかったよね・・・」

 今さら居場所を選べない在校生らが、若い自分をしっかり保つよう切に願う。

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