2018年9月7日(金)
・コメント「目あては一つ」 ~ 被爆二世さんより
被爆地蔵さまのお身体がない痛々しさと共に、柔和なお顔を拝見して優しい気持ちになりました。
このお地蔵さまのお顔の部分が爆風にも耐え、ここに鎮座されている意味を考えました。
このお地蔵さまの頭の部分が無事で、それを救ってくださった方がおられ、それを知った議員さんから石丸先生に伝わりました。そして、このお寺の一隅を貸したお寺のご住職と借りた牧師の存在を知りました。時代を超え、多くの方々の共感の連鎖に感謝します。
私たち人間は、争いによって、傷つけ合った過去があるからこそ、その辛さにも共感するのだと思います。共感の大切さを再認識すると共に、人々の心の平和を願います。
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台風21号の次は北海道の地震。申し訳ないなと思いながらО君と有楽町へ。おじさんがめっきり痩せていて「夏バテ」とおっしゃる。О君も学生時代から夏に強かったが、今の夏は昔の夏と違うもんなぁと言い交わしている。確かに松山郊外で夏を過ごして、夜のエアコンが必要だったのは今年が初めてだ。
北海道で丸一日電力が途絶えたこと、酷暑厳寒のさなかでなかった幸いを喜んだうえは、今後への教訓とせざるべからず。「地元発電ってのは、できないもんかな」とО君。うろ覚えだが、その昔巨大ダムの欠点が問題になった時、これに代わる小型ダムの可能性が論じられたような記憶がある。僕の幻の中では水車小屋みたいなミニ発電所が村々にあり、もちろんそんなのではなかったとしても。
電力供給だけでなく、社会の枠組みそのものを考え直す必要があるのではないか。前にも書いた気がするが、動物の神経系に中枢集中型と末梢分散型がある(用語は不正確かもしれない)。ヒトを含む脊椎動物は前者、昆虫など節足動物や環形動物は後者、後者は「ハシゴ型」などとも称され、体節毎に存在する神経節がかなり大きな機能を果たしている。
(wikipedia)
それぞれ得失のあることで、前者は全体の効率が良くサイズとしても巨大化できるが、中枢がダメージを受けたら全体が麻痺する。今の都市は極端な中枢優位に偏しており、その一例が昨今の交通網だ。埼玉から神奈川まで一本で行けるのは甚だ便利だが、埼玉で事故があると神奈川でも電車が止まる。小さな事故や安全確認は全体としてはかなりの頻度で起きるから、結果的にダイヤ遅れがどこでも常態となり、一本化のプラスを帳消しにしかねない勢いである。逆に分節されていると乗換の不便が生じるものの、遅延の混乱を分節内に限局する意味がある。О君の「地元発電」論もこのことに関わっており、この線を追っていくならすべてのインフラを巻き込み、社会そのもののあり方の再検討につながっていくに違いない。
ふと、沖縄の発電はどうなっているのだろうかと考えた。О君、少し考えて
「火力、だろうな、たぶん。」
少考の間に何を思い巡らしたかは、分かる気がする。帰って調べてみたら火力で正解。ついでに目を見張ったのは、それぞれの島ごとに自立分散型の電力供給体制ができあがっているらしいことである。まさしく地元発電、ブラボーだ。
http://www.itmedia.co.jp/smartjapan/articles/1303/26/news011.html
一方で沖縄の電力事情の最大の問題は、火力への依存度が99%に上ることである。環境面からも国際的自立の観点からもこの点の改善が至上命題で、風力・太陽光やサトウキビなどバイオマスの活用が急がれる由(註、「原発」ではない!)。
そうそう、久米島では海洋温度差発電が世界初の実用化へ向けて実証実験中なのだった。こちら必見 。⇒(http://otecokinawa.com/)
「自立分散」と「再生可能エネルギー」の双方を充たす日が来たら、沖縄は国内はもとより、世界のエネルギー供給のモデル地区になることだろう。そうなれば残る問題は一つだけだが、こいつが難物である。
Ω