散日拾遺

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ニラと荀子とイタリア民話

2018-09-11 08:12:59 | 日記

2018年9月11日(火)

 虹の吉兆から始まった昨日だったが、知人の大きな困難について聞くこと複数あり、その後わが家でも少々難儀が生じた。む、と口をへの字に曲げて考えるに、不幸中の幸いということがあり、塞翁が馬の故事があり、そのいずれも当たらぬ場合には、それこそ腰を据えて意味を問うことになる。虹が脚だけで雲の中へ消えていったのは、そこに自ら虹を見いだせということか。

 「彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。」(ルカ 9:34)

 夏の間は朝いちばんに水を浴びていたが、今朝はぐっと気温が下がってお湯に切り替えた。ベランダのプランターには9月に入ると同時にニラの穂がついついと伸び、白い愛らしい花を咲かせている。夏の帰省で留守の間もへこたれない強さ、瑞々しい緑、花の可憐、加えて栄養満点という見あげた植物で、屋根の上を一面のニラで覆う家があるのも頷ける。僕にとっては、ある記念日のリマインダーでもある。

 こんな朝に読みたいものは何か。久しく放ってあった『荀子』、冒頭「出藍の誉れ」が沁みるように入ってくる。青が藍よりも青いことがポイントではない、不断の学問精進が藍から青を生むことこそ「勧学篇」の要諦である。

 荀子と言えば性悪説と括り、性悪説と聞けば人を貶めるもののようについつい思うが、これは違う。性悪なればこそ、善に向けて育てるよう環境や導きが必要なのだ。それに応える成長の可能性が悪なる性のうちにあるとする点で、性悪説は希望の説である。

 逆に性善説がたとえば悪人を見る時、本来善なる性を汚した悪しき心は、苛烈な糾弾の対象となり了る。キリスト教は典型的な性悪説 ~ 希望の説であるはずなのに、手の付けられない性善説の欺瞞に陥る例の多いのはどうしてか。荀子の言葉が今朝はニラのように好もしい。

 こんな時に読みたいものが、もうひとつあった。ちょっと長いが転記する。

***

「ジュファー、戸をしっかり閉めな!」

 ジュファーが母親と畑へ行かねばならなくなった。母親のほうが先に家を出て、言いつけた。

 「ジュファー、戸をしっかり閉めな!」

 ジュファーがしっかり戸を閉めて、もっとしっかり閉めようとすると、蝶番から戸が外れてしまった。それを肩にかついで、母親の後をついていった。しばらく歩いたところで、言い始めた。「母さん、重いよ!母さん、重いよ!」

 母親が振り返った。「いったい何が重いんだい?」見ると、肩に家の戸をかついでいた。

 そういう大荷物があったので、帰りは遅くなってしまった。夜になっても、家はまだ遠かった。山賊を恐れて、母親と息子は木の上に登った。ジュファーのほうは相変わらず戸を背負っていた。

 真夜中になると、たちまち木の下に山賊が現れて、金の山分けをはじめた。ジュファーと母親は息を殺していた。

 しばらくたつと、ジュファーが低い声で言った。「母さん、おしっこがしたいよ」

 「何だって?」

 「洩っちゃうよ」

 「がまんしな」

 「できないよ」

 「がまんしな」

 「もうだめだ」

 「しちゃいな!」

 それでジュファーは、してしまった。水が落ちてくる音を聞いて、山賊たちは言いあった。

「おや、にわか雨が降りだしたぞ!」

 しばらくたつと、ジュファーがまた低い声で言った。「母さん、出たくなったよ」

 「がまんしな」

 「できないよ」

 「がまんしな」

 「もうだめだ」

 「しちゃいな!」

 それでジュファーは、してしまった。臭いものが落ちてくる物音を聞いて、山賊たちは言いあった。「何だ?天の賜物か?それとも鳥の仕業か?」

 やがてジュファーが、相変わらずのあの戸をまだ背負っていたので、低い声で言いはじめた。「母さん、重いよ」

 「待ちな」

 「でも、重いよ」

 「待ちなったら!」

 「もうだめだ」そして、背負っていた手を放すと、重い戸が山賊たちの上へ落ちていった。

 おい、危ないぞ! あっというまに山賊たちは逃げだした。

 母親と息子が木から降りると、山分けしかけていた金貨の袋があった。袋を家に運びこむと、母親が言った。「誰にもこの話はするんじゃないよ。もしもお上に知れたら、わたしたちは二人とも監獄行きだからね」

 それから母親は乾し葡萄と乾し無花果を買いにいって、屋根に登った。ジュファーが家から出てくるや、その頭の上に乾し葡萄と乾し無花果をつかんでは投げた。ジュファーは頭を押さえた。「母さん!」そう言って、家の中へ跳びこんでしまった。すると母親が、屋根から言った。「何だい?」

 「乾し葡萄と乾し無花果だよ!」

 「当りまえだよ、今日は乾し葡萄と乾し無花果の降る日なんだから。決まっているじゃないか?」

 ジュファーが出かけてしまうと、母親は金貨の袋を取りだして、代わりに錆びた釘を詰めた。一週間ほどのちに、ジュファーが袋の中身を探ると、古釘ばかり入っていた。それで母親に向かってわめきだした。「ぼくの分のお金をくれよ。さもないと、裁判官へ訴えでるからな!」

 しかし母親が言った。「何のお金だい?」そして、ぜんぜん取りあおうとしなかった。

 ジュファーは裁判官のところへ訴えでた。「裁判官さま、せっかく金貨の袋を持っていたのに、ぼくの母が錆びた釘と詰めかえてしまったのです」

 「金貨だと? いったい、いつ金貨を手に入れたのだ?」

 「はい、はい、あれはたしか乾し葡萄と乾し無花果の降った日のことです」

 裁判官はそれで、ジュファーを〇〇病院へ閉じ込めてしまった。

(シチリア島全域)

カルヴィーノ編『イタリア民話集(下)』河島英昭編訳から

※ 最終行の〇〇のところは、現在ではワープロも変換しない例の言葉が入っている。2010年に購入した手許の本は堂々とそのまま記しているが、厄介を避けたいチキン根性からここでは伏せた。面倒な時代だ!

 

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