散日拾遺

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慰めの教会

2018-11-04 11:54:25 | 日記

2018年11月4日(日)  

 11月の第一日曜日に永眠者を記念して礼拝をまもるところが日本のプロテスタント教会には多い。カトリックの諸聖人(万聖節)と同根で、いわゆるハロウィーンに関連している。(悪趣味と迷惑を競う路上の乱痴気騒ぎは別の名で呼んだ方が良い。サンタクロース付き忘年会をクリスマスと呼ぶのも同じだ。)

 松山番町教会の永眠者記念礼拝は心のこもったもので、1919年(大正8年)に始まって155枚並んだ写真の右端に母の笑顔が加わっている。厳密に言えば母は正式の教会員ではなく、客員待遇の誼で葬儀をしてもらっただけなのだから、この配慮はありがたい。牧師のアタマが固かったら実現していないことである。

 M牧師の説教はいつもながら平明で味があり、かつ長過ぎない。セントルイス・ラデューチャベルのドン・ハウランド牧師は「人が集中して聞けるのは20分までで、それを超えての長口舌は意味がない」と言いきり、アメリカの教会では大半の牧師がそれを実行していた。いっぽう日本の牧師でこれを知る者はきわめて少なく、せっかく前半に良い話をしながら後半の冗長さで帳消しにしている。

 M牧師はこの夏、念願の長崎旅行をしたとかで、そこで聞いたのであろう、いわゆる26聖人中の三人の未成年のことに触れた。ひとりの少年が母にあてた手紙が残っており、信仰をおろそかにしてパライソの幸から漏れることのないよう諄々と説いているという。我らもこの少年に倣うべしと祈りをあわせ、礼拝が終わったところへY先生が歩み寄って来られた。「今日はカトリックの説教でしたね」といたずらっぽく笑う。つれあいの出自を知っての一言だが、そういえばそうだったと初めて気づいた。これまた保守的なプロテスタント教会では聞かれない話である。

 Y先生御夫妻は9月14日に母の葬儀に列席してくださり、10月13日の講演も揃って御来聴くださった。ところが10月22日に至って、夫人の御母堂が関東で急逝なさったのである。母の一歳上の満95歳、直前まで元気であったことも同じ、言葉を失った。

 番町教会の階段登り際に下の書が懸かっており、これが故人の揮毫であるという。お人柄を偲びながら、しばし見入り佇んでいた。

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