散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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日々の糧と不滅のユーモア

2018-11-20 10:21:17 | 日記

2018年11月20日(火)

  コカコーラ・ボトラーズの会長がバチカン教皇庁に願い出た。

「毎日のお祈りの文句にコカコーラを加えてください。御礼に一兆ドル献金しましょう。」

  即刻丁重に放り出された会長は首を傾げた。

 「おかしいな、パン屋はいったい、いくら払ったんだろう?」

***

  いつどこで聞き覚えたのか忘れたが、ときどき思い出しては一人笑いする、そういうコレクションの一つである。

  いま切実に渇望するのは、このセンス、この精神だ。地球が吹き飛んだ後に、ユーモアが残った。神はそれを生地にして、新たなパンをこね始めた。泥遊びする幼児の無心をもって。

Ω


塔と畑と食卓と

2018-11-20 09:04:11 | 日記

2018年11月19日(月) 

 

 写真は白黒が良い。少なくとも、白黒の方が断然良いような写真がある。

 何度か別々のところでそのように聞き、心ひかれながら実行するほどの才覚はなくていたが、撮ってあった写真が何かのはずみで白黒に変換された。

 息を飲んだ。自分の撮ったものとも思えず、異次元へ入り込んだような心地がする。もともと昨年10月に撮ったもので、それがいつの間にかこのように変貌した。同じ場所へ同じように招かれて今年は11月のこの日に出向いたが、近寄るのが怖いような気がした。

 待っていてくれたのは、ひとつの家族のように温かい同信の群である。昼食の様子を掲載したいが、お顔を出すのはやはり障りがあろう。せめて卓上の温もりを、これはカラーが良さそうだ。

  

 ひとつひとつの素材に由来があり謂れがあり、従って感謝がある。お米は秋田出身の神学生の御母堂が送ってくださったもので、大根は近隣に住む信徒さんの畑の作物で、蜜柑は、柿は、かくかくしかじか。何の仕事で来たのだったか、すっかり忘れて飽食した。

 この神学校は東武東上線の最寄り駅から徒歩1kmあまりのところにあり、道筋の住宅地のところどころに畑地が残っていて、野菜類を手際よく植え付けてある。田舎の家周りの良い手本とばかり、通りすがりにしげしげ眺めた。根菜類の地上部分が青々して食指をそそる。「大根葉は美味いが、ニンジン葉は食えない」と言った人があったが、気の毒に、新鮮なニンジン葉の美味さを知らないのだ。

 美味いんだから!

  

Ω