散日拾遺

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忘れえぬ、見知らぬ女

2018-11-29 11:18:11 | 日記

2018年11月24日(土)に戻って・・・

 知人の見舞いに出かけようとして、なまなかではない相手の病状のことなど考えながら身支度していたら、ん・・・?

 靴下を履いた足に、手袋をかぶせようとしていた。家人が目を丸くして見つめている。

 ドイツ語では、手袋を "Handschuh" という。英語なら hand shoe 、つまり「手靴」である。学生がそのように訳してドイツ語の先生が天を仰いだという話を書いていたのは、なだいなださん・・・だったかな。ドイツ人用のでっかい「手靴」なら、僕の足ぐらい入るかもしれないが。

***

 最寄り駅で電車を待つ間、反対側のホームに懐かしい絵のポスターが見えた。

 クラムスコイ『忘れえぬ女(ひと)』、その名の通り一度見たら忘れられない「北のモナ・リザ」である。1977年頃、モスクワ・エルミタージュ美術館の所蔵品展で来日して、一躍人気を博した云々・・・得々と昔話を吹聴して聞かせたが、ウソばっかり。

 エルミタージュ美術館の所在はモスクワではなくサンクトペテルブルク(当時のレニングラード)、いっぽうこの絵の所蔵はモスクワのトレチャコフ美術館だ。かてて加えて本当のタイトルは Неизвестная(неизвестную)、これは英語の unknown つまり『見知らぬ女』の意味だそうである。ああ、ボロボロ・・・

 しかし、タイトルの件は僕の責任ではない。1977年(たぶん)の初来日当時、誰かが仕掛けたのだ。外国映画にテキトーな邦題をつける要領でインパクトのあるタイトルをひねり出したんだね。不誠実とはいえ良くできたネーミングで、こちらはそれをずっと覚えていた次第。

 

 それにしても実に不思議な表情、高貴と淫靡がこもごも匂いたつ、謎めいて多義的な居ずまいである。クラムスコイ(Иван Николаевич Крамской, 1837-87)が1883年に発表して以来、この作品は常にある種のスキャンダルとして物議を醸したとある。スキャンダルという語はもともとギリシア語の σκανδαλον に由来し、これは「わな、躓き」、転じて「人を罪へと誘う、人や物」を意味する。なるほど画家は一個のスキャンダルをここに現出させた。これを讃仰しあるいは論難するその分だけ、当人の罪が「語って落ちる」仕掛けである。

 このカラクリを含め、女性の正体についておそらく最も気の利いた答えは「アンナ・カレニーナ」(トルストイ、1873-5)ではないだろうか。

 クラムスコイのもう一つの代表作を Wiki から拝借する。

 これが描かれた直後に『アンナ・カレーニナ』が発表され、やがて『見知らぬ女』が誕生した。画家が小説を読んだかどうかはどうでも良いことである。

曠野のイイスス・ハリストス(1872、トレチャコフ美術館蔵)

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