散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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【紙面から】 みっともない国

2024-04-10 07:46:51 | その日の新聞紙面から
 …完成まで12年かかるというが、軟弱地盤対策の難工事によって工期はさらに遅れるかもしれない。総工費は3500億円ほどから1兆円近くになったが、もっと膨らむのではないか。完成のころには、今工事を進めている政治家や官僚は引退し、だれも責任をとることはない。そもそも完成するかも疑わしい、と私は見ています。

 普天間飛行場を東京に持ってきてごらん。滑走路の長さ約2700㍍は、JR中野駅から阿佐ヶ谷駅までの距離。中野区や杉並区で、住宅街や学校の上空をヘリが飛んだらどうか。
 私はそんな風にして、ことあるごとに本土を挑発してきました。飛行機と隣り合う普天間第二小学校では現に、着陸する米軍機のパイロットの横顔が子どもたちから見えるからです。しかし、本土は応えなかった。
 2001年の米国同時多発テロの時には「米軍基地が攻撃されるのでは」と、沖縄への修学旅行のキャンセルが相次いだ。でも、沖縄にも子どもたちがいることは話題にものぼらず、気づいていないに等しかった。

 どんな迷惑施設を押しつけてもかまわない。基地になれているから。沖縄だから ーー。沖縄に対しては普通の人たちがムチャクチャな考え方をする。日本本土の人たちには「沖縄=2級の国土」という意識があると言わざるをえません。
 かつては自民党の政治家にも、歴史への負い目があり、沖縄ととことん向き合いました。今は全く知らない、知ろうともしない世代が台頭しています。
 私は1994年から約10年間沖縄に住みました。「帰りそびれた観光客」であり、「勝手に特派員」となって、本土の人たちが知らない沖縄を伝えてきた。沖縄がかわいそうだからでも、沖縄のためでもない。弱者に負担を押しつけて、強者が利を得て、平然としている。そんな日本という国がみっともないからです…

池澤夏樹氏『辺野古工事 誰に利が』2024年4月10日(水)朝刊25面

Ω

粉骨砕身 / 4月10日 立志社創立(1874)

2024-04-10 03:59:14 | 日記
2024年4月10日(水)

 若い女医が尊敬する指導医に「今後は身を粉にして頑張ります」と日本語字幕。耳に引っかかったのが「プンコルセーシン」という音、さては…

 분골 쇄신(粉骨砕身)

 やっぱり!
 まんまだね。これが中韓ドラマの楽しみなのだ。

***

> 1874年(明治7年)4月10日、板垣退助が中心となって創立された立志社の発会式が土佐で行われた。「立志社」の名前は中村敬宇の訳で当時広く読まれていた、スマイルズの『西国立志編』(原題は『セルフ・ヘルプ』)によっている。
 板垣は、この年の一月に「民撰議院設立建白書』を政府に提出したが目的を果たすことができず、地方から運動を起こそうと考え、土佐に帰って立志社を創立したのである。
 設立当初の立志社は、経済的に窮迫していた士族の支援と、広い民衆教育を目的としていた。この頃の士族の困窮は深刻で、3年後の1877年には、それが西南戦争の原因にもなっている。
 立志舎創立とともに、板垣は立志学舎を開校している。この学校の教育方法は、ミル、ベンサム、ギゾーなどの原書を教科書とし、生徒同士が主体的に研究し、疑問を生ずると教師が教えると言う自主学習を中心としたもので、この学者から、後の多くの民権運動家が巣立っていった。
 「自由は土佐の山間より出づ」いう植木枝盛の言葉は、この立志社創立に始まる草の根的な民権思想の普及を指したものである。土佐立志社に続き、広島、讃岐、丸亀、阿波にも立志社と名乗る団体が生まれた。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.106

 … 四国四県、愛媛だけ抜けている…

Samuel Smiles
1812年12月23日 - 1904年4月16日

 英国の作家、医者。スコットランド・ハディントン生まれ。
 当初エディンバラで医者を開業したが、後に著述に専念するようになった。1859年にジョン・マレー社から出版した "Self-Help" は、1866年江戸幕府留学生取締役として英国に留学した中村正直が、1867年発行の増訂版を用い、1871年『西国立志編』の題で邦訳し、明治維新まもない日本で出版した。その思想は福沢諭吉『学問のすすめ』とならび、近代日本の進展に大きな影響を与えたと言われている。1918年王立協会フェロー選出。
 "Self-Help" は日本国内では一般に『自助論』として知られる。序文中の格言「天は自らを助くる者を助く」"Heaven helps those who help themselves. " は広く知られている。

 「英国の」というより、「スコットランドの」と言うべきだろう。
 イギリスの豊かさは、小さな島国の中でイングランド・スコットランド・アイルランドそしてウェールズが激しくぶつかり合う中から生まれてきたもので、その構図自体が日本という国に大きなヒントを与えている。就中スコットランドが宗教や教育においてユニークな存在を生み出してきたのは、政治・経済的に優越するイングランドとの対抗上、人づくりと心の養いに注力せざるを得なかった事情に支えられている。
 リヴィングストン(1813-73)やスティヴンソン(1850-94)は象徴的な名前だが、スマイルズをその連想上に置いても間違っていないはずである。
 さらにもう一人。我が家の本棚に古い対訳本で『セルフ・カルチャ』と題されたものがあった。原題は "Self Cuture"で、タイトルからして『セルフ・ヘルプ』に通うものが見てとれる。
 その著者ブラッキーが、これまたスコットランドの学者・詩人である。上述の人々と同時代であり、とりわけスマイルズとは文学を通じて交流があったに違いない。

John Stuart Blackie
28 July 1809 – 2 March 1895

> スコットランドの詩人。1809年7月、グラスゴーに生まれる。アバディーン大学では、カリキュラムの変更など大学改革を精力的に行い、また、ギリシャ語教授として着任したエディンバラ大学では、ケルト研究を制度化するために尽力し、1882年に開講するに至った。Faust (1834)の翻訳はカーライル (Thomas Carlyle, 1795-1881)の賞賛を得たという。その他の出版物には、Lays and Legends of Ancient Greece (1857), Lays of the Highlands and Islands (1872), Life of Robert Burns (1887), Scottish Song (1889) などがある。 (Y. Y.)

 その他の出版物に "Self Culture" も加えてほしいところ。いま手許にないので不正確だが、貧しいスコットランドの若者たちが、どのように自分を養い鍛錬すべきかを精魂傾けて説き分けており、それが昭和初年の日本人にも共感をもって読まれたのではないかと思う。
 具体的な勧めとして、古典の類いを音読することが書かれてあったように記憶する。姿勢よく音読することで肺を鍛えつつ、豊かな言葉と文章を脳に蓄えよと、そんなことだったようだ。令和の高齢者にも役立ちそうなこと。
 スティヴンソンが吉田松陰の伝記を書いていることを先に記した。共感は時空の隔たりを軽々と超え、人類史を縦横に結んでいく。

Ω