2024年4月28日(日)
> 1947年4月28日、ノルウェーの人類学者、トール・ヘイエルダールは、古代インカの技法で作った筏、コンティキ号で、ペルーからポリネシアへ向けて出発した。
へイエルダールはポリネシアの石像とインカ遺跡が類似していることから、ポリネシア人の起源は南アメリカの古代インカ人だと考え、彼らの持っていた技術で太平洋を渡れることを証明するために、自ら筏でポリネシアを目指したのである。筏はバルサ材という非常に軽い材質の木を用い、釘や金物を使わずに作られた。インディオの伝説の通りに作られたのである。
出港を見送った人の多くが、筏はすぐに沈んでしまうだろうと予測したが、大方の予想を裏切って、彼らはほぼ三ヶ月後の七月初めにポリネシアの一角、ツアモツ諸島にたどり着いた。この時の冒険の記録『コンティキ号漂流記』は、冒険談の傑作として67言語に翻訳され、世界中で愛読されている。
冒険は成功したのだが、その後、遺伝子情報や詳しい人類学的な分析によって、ポリネシア人は古代インカ人でなく、アジア起源であることが判明した。へイエルダールはその後も古代エジプトの技法で葦船を作るなど、実践的な研究者であり続けた。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.124
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Thor Heyerdahl
1914年10月6日 - 2002年4月18日
南米からポリネシアまでの漂流、そう聞いて真っ先に連想したのがナンセンの北極点漂流計画だ。そしてナンセンもヘイエルダールもノルウェー人である。流れのままにどこでも、どこまでも進んでいく、おおらかで自由な北の人々よ!
ヴァイキングの末裔、ノルウェー人とはどんな人々なのだろうか。他に思い浮かぶのはロアルド・ダール、アムンゼン、イプセンにグリーク、ムンクもそうだ。
やや古い話だが、ノルウェーは中世のペストで人口の6割が死亡するという惨禍をくぐり抜けている。その結果として支配階級が極端に弱体化し、市民層の活躍しやすい条件があったと政治思想史で教わった。
初めはデンマーク、次いでスウェーデンと同君連合を結んだ経緯には、そうした支配層の薄さも関わっていただろうか。
ロイ・アンドリューが日本を訪れた際、捕鯨のために来日していたノルウェー人と交流したという話があった。
これを読んだときはやや突飛に感じたが、考えてみればノルウェー人は昔から世界の至るところに海の人として進出している。17-8世紀のオランダ海上帝国を支えたのはノルウェー移民たちだった。日本に来るとて海の先、何の躊躇もありはしなかったろう。
陸は隔て、海は結ぶ。瀬戸内の人々はその昔、どこの浜辺からやって来たのだろうか。
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