散日拾遺

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4月18日 シュヴァイツァーがランバレネに到着(1913年)

2024-04-18 03:10:57 | 日記
2024年4月18日(木)

> 1913年4月18日、ドイツの医師アルベルト・シュヴァイツァーが、仏領赤道アフリカ、ガボンのランバレネに、妻ヘレーネ・ブレスラウと共に到着した。当時シュヴァイツァーは三十八歳。これ以降、第二次世界大戦で捕虜となって送還された一時期を除いて、終生をアフリカの医療のために捧げた。
 シュヴァイツァーは三十歳で医学を学び始めるまでは、ストラスブール大学で神学・哲学を学び、牧師として生活していた。また、音楽にも造詣が深く、オルガニストとしても高い評価を得ていた。彼のバッハ研究は有名である。
 そのシュヴァイツァーが、突然医師となる決意をしてアフリカに赴く。そのきっかけは、フランス伝道協会の冊子で、アフリカのコンゴ地方では医者が非常に不足している、という記事を見たことであった。アフリカ行きの固い決意は、「三十歳までは学問研究と音楽に生きよう。それからは人類へ直接奉仕をしよう」という彼の言葉に表れている。妻ヘレーネも医療研修を受けて看護士となり、シュヴァイツァーの活動を支えた。
 1965年シュヴァイツァーはランバレネで死去し、今もそこに眠っている。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.114

Albert Schweitzer
1875年1月14日 - 1965年9月4日


 ドイツ人というより、むしろアルザス人と呼んだ方がふさわしい。そのぐらいこの地域は独特である。同じ独特さを背景とするのがサルトル(1905-80)で、サルトルの母とシュヴァイツァーは、いとこ同士だそうである。
 幼い頃、最初に憧れた人物がシュヴァイツァーだった。彼に憧れた人物は世界に数多くいただろうが、それを現実の形にしてのけた人間はごく少ないはずである。自分もここでは大勢の一人である。
 後になって『イエスの生涯:メシアと受難の秘密』という著作があるのを知り、これは面白く読んだ記憶がある。

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