散日拾遺

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4月24日 のちの大統領となるフィゲーレスがコスタリカの首都に入城(1948年)

2024-04-24 03:30:57 | 日記
2024年4月24日(火)

> 1948年4月24日、武装蜂起に成功したホセ・フィゲーレスがコスタリカの首都サンホセに入城した。この武装蜂起は、二月に行われた大統領選挙で敗北した与党の前大統領カルデロン候補が、選挙結果を認めず、大統領の座に居座ろうとしたことから起こった。
 反乱軍はたった五週間で勝利し、ホセ・フィゲーレスは革命評議会議長(臨時大統領)に就任した。そして翌年一月に、軍隊の廃止、公正な選挙の管理、社会民主主義的な政策を骨子とした画期的な憲法を制定し、先の大統領選挙で当選していたウラーテ候補に政権を委譲するのである。
 いったん野に下ったフィゲーレスは、1953年の大統領選に圧勝し、穏健な社会主義政策をさらに前進させる。軍備費がゼロになったので、国家予算の三分の一を教育費に当て、その結果、識字率は95%にも達した。こうして、コスタリカは「中米のスイス」と呼ばれるようになるのである。
 ダライ・ラマ14世は1989年のノーベル平和賞記念講演の中でコスタリカに触れ、次のように述べている。
 「今年私はコスタリカを訪問し、国家が軍隊を持たずに、平和と自然環境の保護に貢献して、安定した民主国家となっている実例を見ました。そのおかげで、チベットの将来に対する私の願いが単なる夢物語でなく、現実的なものだと確信できました」と。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.120

 José María Hipólito Figueres Ferrer
1906年9月25日 - 1990年6月8日

 驚くべき人物である。何に驚くかといって、まずは武力による国権制圧にこれほど鮮やかに成功した人物が、躊躇なく軍隊を廃止していることである。
 インターネット上で簡便に得られる情報が少なすぎるが、軍人あがりではなかったことは重要な背景かもしれない。両親はカタルーニャからの移民で、父は医師、母は教師だった。自身は1920年代にマサチューセッツ工科大学で工学を学び、帰国後はコスタリカ国内の農場を買収して、麻袋や麻ロープ、木製品の製作などの事業を行なったり、農業に関する著作を発表したりしていた。
 32代、34代、38代と三度コスタリカの大統領を務め、その間に達成した業績に以下のものが数えられる。すなわち軍の廃止、銀行国有化、女性参政権拡大、選挙権年齢の21歳から18歳への引き下げ、黒人差別の規定の廃止、コスタリカ国立大学並びにコスタリカ工科大学の創設など経済・内政の抜本的な改革。
 これらの政策と共に特筆すべきは、他の多くの左派政権のような独裁傾向に走ることなく、民主主義的な姿勢を貫徹したことである。

 その実りであるコスタリカという国について、これまでの無知を恥じつつ幾ばくか転記する。フィゲーレス以外にも歴代多くの傑物を数えることができ、近いところでは43代と48代の大統領を務めたオスカル・アリアス・サンチェス(1940-)の存在が輝かしい。


オスカル・ラファエル・デ・ヘスス・アリアス・サンチェス
Óscar Rafael de Jesús Arias Sánchez

 正式名称は República de Costa Rica。通称 Costa Rica。 スペイン語で「豊かな海岸」の意味であり、クリストファー・コロンブスがこの地に上陸した時に、遭遇したインディヘナが金細工の装飾品を身につけていたことからこの名前がついた。
 16世紀にスペインの支配下に入り、1821年に第一次メキシコ帝国の一部として独立。1823年に中央アメリカ連邦共和国の一員となり、1838年の同連邦崩壊後、1839年にコスタリカ共和国として再独立を果たした。
 1870年、自由主義者トマス・グアルディアのクーデターを経て、一院制議会と強い大統領兼を規定した1871年憲法が制定された。以降1948年までのコスタリカは基本的にこの路線に沿って発展することになり、ラテンアメリカ全体でも特異なコスタリカの民主的な社会が成立する素地となった。
 1948年の短期間のコスタリカ内戦の後、1949年に恒久的な機関としての陸軍を廃止し、常備軍を持たない数少ない主権国家の1つとなっている。
 人間開発指数(HDI)では常に良好な成績を収めており、2020年時点で世界第62位、ラテンアメリカ第5位。国連開発計画(UNDP)からも、同じ所得水準の他国よりもはるかに高い人間開発を達成しており、人間開発および不平等については地域の中央値よりも良い記録を持っていると引用されている。また民主主義の状態、報道の自由、主観的幸福度の比較でも良い成績を示している。
 報道自由度ランキングでは7位、世界の自由度指数では37位、世界幸福度報告では12位の幸福な国である。一方、中南米の多くの国と同様にカトリックの影響が強く、人工妊娠中絶は母親の健康や命を守る以外の場合に認められない国である。

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