散日拾遺

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名づけの今昔/田螺と栄螺

2013-09-15 20:43:05 | 日記
2013年9月16日(月)

一か月近く経って早くも旧聞に属するが、前橋育英高校、夏の甲子園優勝おみごとでした。
群馬県内で桐生は強いが、前橋・高崎のチームは目だたなかったから、地元はさぞ喜んでいるだろう。
僕は就学直前から小3までを前橋で過ごしたけれど、その頃まだ高校野球には関心がなかった。
松江に引っ越した小3の夏、福岡代表の三池工業が上田投手を擁して初出場・初優勝を遂げたあたりから、突然記憶が鮮明になる。

三池工業の監督は「優勝請負人」などと呼ばれた原貢さん、ジャイアンツの原辰則のお父さんだ。
原さんはその5年後に東海大相模を初出場・初優勝させ、名声を不動のものにする。
さらに5年後、原ジュニアや津末らの強力打線に、左腕の村中投手を擁してセンバツ準優勝。僕らが高校を卒業した春だった。

*****

前橋育英の優勝は総合力の成果だが、好投手・高橋の功績は特筆に値する。
帰省の車の中でラジオ中継を聞く間、「高橋コウナ」とはどういう字を書くのだろうと、ずっと考えていた。
「光成」と知って、へぇと唸った。

「成」を「な」と読ませるのは、万葉仮名の方式である。
初めは無茶と思ったが、実は日本語の古層に「あり」の発想なのだ。

これがひとつ。

最近のネーミングのもうひとつの型として、「太陽」型というのがある。
ある、と言ったって僕の用語法なんだから、一般には通じない。
「太陽」に代表されるような特定のアイテム ~ 通常は好ましい印象を与える自然物 ~ を、そのまま個人の標徴として用いるやり方が「太陽型」だ。
現に太陽という名をもつ子どもはずいぶん増えただろう。わが親戚にも一人いる。

これが話に載せやすいというのは、僕自身の名前も含意としては「太陽」だから。
昌彦の昌は見ての通り日がふたつ、つまりダブル太陽だ。命名者の父も太陽をイメージしていたらしい。

で、「太陽」と「昌彦」とどこが違うかというと。

「昌彦」のほうは「太陽」のイメージを漢字の構造に託しているから、この字を見た人間が「ほう、太陽か」と思わない限り、このイメージは起動しない。字を知らずに「マサヒコ」と音だけ聞いた相手は「正彦」か、「雅彦」か、はたまた「真彦」「将彦」「政彦」?などと想像を逞しくする余地がある。つぶさに比較検討する人もないだろうけれど、それらの可能態の中から「昌」の字が選び出されたことにふと注意を引かれれば、命名者がそこに何を託したかと思いめぐらすことにもなる。いわばそこには軽い謎かけがあり、人柄に触れるにつれて謎を解いていく楽しみがあるだろう。

もうひとつ、「マサ」という音には耳柔らかで優しい響きがあり、仮に命名者が音を先に決めたとすれば、そういう音との対になるものとしてふさわしい字を選ぶはずだ。音と同じく柔和な字を選ぶ場合もあり、音とバランスをとるように強健な字を取る場合もある。字が先に決まっても同じことだ。
実はこれ、家の三男児の命名にあたって大いに考えた点で、生まれた子どもの柔和な様子を見て名前には歯切れの良い音を選び、割れんばかりの産声を挙げた子にはつとめて柔らかい響きを選ぶという具合だった。僕の場合、子どもの顔を見る前に名前を決めるというやり方は、第一子の姿を見た瞬間、十指にあまる候補名とともにきれいさっぱり脳裏から消えた。

音と意味のバランス、多様な可能態からの選択、もうひとつ挙げるなら字数の経済とでもいうことがある。
「昌」一字が「太陽」の意味を担うから、もう一字使う余地が生じる。それを「彦」の字に充てるのは、祖父の代からのわが家の男子の共通ルールで、ここに「家の子」の印を刻印することができるわけだ。

以上はたぶん、伝統的を踏襲したひとつのやり方だろう。
その前提になるのは「音読み/訓読み」という漢字の二重読みシステムで、これ抜きでは以上の仔細は成立しないか、少なくとも著しく自由度が低くなる。
ところで、「音読み/訓読み」のシステムが成立したのはいつ頃だろうか。Wiki に「平安中期」とあるのをさしあたり信用するとしよう。ちょうど西暦1000年あたりだろうか。
これに先立つ漢字伝来はいつか。これまた例の王仁が『論語』10巻と『千字文』1巻を献上したという伝承が4世紀末であるのを、史実としてでなく指標として信用しておく。
すると漢字伝来から音訓法の確立までに600年という長い時間が挟まっており、その初めに近い時期には僕のいう「伝統的なやり方」は当然ながら成立していなかったはずだ。この種の文化が貴族社会などで形成された後、しだいに浸透していくものとすれば、庶民がこれを自分のものにするのはなおさら遅くなる。事実、歴史上つい最近まで庶民の大半は苗字をもたず(幕藩体制下ではもつことを許されず)、「○○村の松五郎」式の命名で過ごしてきたのである。そのことはとりあえず置くとして。

何が言いたいかといえば、僕などが「伝統的」と思うやり方は、実は日本史の中で最古層に属するものではないということだ。むしろ比較的新しいかもしれないのである。
音訓の対照は平安時代にはジェンダーにも対応していた。漢字(真名)は男性/表、仮名は女性/裏であり、これが音と訓にもあらまし対応する。紀貫之が女性を装って土佐日記を書いたというのは実に文化史上の快挙で、仮名のしなやかな表現力は着実に「表」へ浸透していく。

逸脱が止まらないのでこの辺で「えいや」と本題に戻るなら、アイテムをダイレクトに用いる「太陽」式の命名は、実は音訓システムが浸透する前に、日本人が昔から行ってきたやり方ではなかったかと想像するのだ。そうであるなら、このほうが古いのである。その古層へ日本人の命名法が回帰しつつある、そう考えたらどうだろうか。
「光成(コウナ)」のような万葉仮名方式は中間的ともいえるが、古層への回帰という点では並行現象かもしれない。

*****

僕は漢字というものが大好きだし、音訓システムは日本文化の精髄だと思っている。当然ながら「伝統的」な命名法がすたれてほしくはない。
隠喩の奥ゆかしさとでも言おうか、ある時ふと友人が「『昌彦』って太陽のような男の子、っていう意味なんだね」と気づいてくれる、そんなタシナミが継承されていくことを切念する。

いっぽうで、日本人の名づけの文化がどこへ向っているのか、興味津々、目を見張る思いもあるのだ。
音訓システムを煩わしいと感じる人々も、ここまで根づいた言語習慣の全体を覆すわけにはいかない。
その中にあって子どもの命名は、言葉の冒険と工夫のまたとないチャンスとして各家庭に開かれている。
そのチャンスを活かし、皆がこぞって目新しい名前をつけようとするのは、いわば裏側から日本語の新しいあり方を模索しているからではないだろうか。ルネサンスがそうであったように、革新はいつだって古典・古層の再発見から始まるのだから。

アメリカで驚いたことのひとつは、人の名前のバラエティが乏しく、そして昔ながらに変わらないことだった。
ジョン、デビッド、ポールにジョージ、メアリー、カレンにキャロライン、個性を追求する彼らだが、そこには力点を置かないのである。それはそれで堂々たる姿勢だ。

いっぽうこちら、名まえのつけ方にこんなにも創意工夫が投入されるのは、やっぱり言霊の国なのかもしれないな。

*****

これで投稿しようと思ったら、三男がたまたま教わってきたウンチクを披露してくれた。

タニシとサザエ、漢字で書ける?

田螺と栄螺だ。

螺は虫偏に累だから、巻貝である。この二字めがタニシとサザエの基本的な性質を与える。
家の男の子たちなら「彦」にあたる字だ。

いっぽう一字目は、タとサの音を与えるとともに、「田に住む巻貝」「より大きく育った巻貝」という補助的な意味を付加し、弁別機能を果たしている。
昌彦の「昌」がこれにあたる。

田螺と栄螺、これこそ僕らの「伝統的な命名法」の好個の縮図ではないだろうか。

今度こそ、これで投稿する。

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