散日拾遺

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『御伽草子』 ー 美味しすぎる道の草

2019-05-08 14:58:31 | 日記

2019年5月8日(水)

 4月20日頃に書きかけていたこと。

 『陰翳礼讃』を読んでいたら「御伽草子」への言及があり ー 詳しくは昭和5年に谷崎の書いた『懶惰の説』の中で『ものぐさ太郎』が軽く論じられていて ー それで道草を食ったらこの草があんまり旨いのですっかりハマり、肝心の『陰翳礼讃』が後回しになったといういつものパターン。

 今日知られているもの400種に及ぶという御伽草子の中から、岩波文庫上下巻は下記の23種を選ぶ。
【上巻】
 文正さうし
 鉢かづき
 小町草紙
 御曹子島渡
 唐糸さうし
 木幡狐
 七草草紙
 猿源氏草紙
 物くさ太郎
 さざれ石
【下巻】
 蛤の草紙
 小敦盛
 二十四孝
 梵天国
 のせ猿さうし
 猫のさうし
 浜出草紙
 和泉式部
 一寸法師
 さいき
 浦島太郎
 横笛草紙
 酒呑童子

 上巻冒頭の解説は、さしあたりこれを主人公らの背景(生活の場 = Sitz im Leben ?)に注目して六つに分類する。
一、 公家物 (鉢かづき、小町草紙、和泉式部)
二、 僧侶物 (さいき)
三、 武家物 (御曹子島渡、唐糸さうし、小敦盛、浜出草紙、横笛草紙、酒呑童子)
四、 庶民物 (文正さうし、猿源氏草紙、物くさ太郎、一寸法師、さざれ石)
五、 外国物 (二十四孝、七草草紙、蛤の草紙)
六、 異類物 (木幡狐、浦島太郎、のせ猿さうし、猫のさうし)

 無論これは一つの見方に過ぎず、別の角度から「立身出世談」「継子談」「歌人伝説物」「判官物」「行事由来談」「祝儀物」などと区分してもよい。そうした研究はそれこそ山ほどあるだろう。
 分類はさておき個別が面白く、『鉢かづき』『一寸法師』『浦島太郎』などの源流を見るのも楽しい。
 『梵天国』は「本地物」とされ、なるほど外国物とは一線を画すか。登場人物は公家に違いないが、帝の横恋慕/難題モチーフに天界異郷遍歴談が絡む豊かなストーリーで、江戸時代には浄瑠璃で頻繁に語られたとある。
 一読してどれが印象に残るかと云えば、『木幡狐』の切ない顛末、『酒呑童子』の凄絶、それにやっぱり『物くさ太郎』の破天荒だろうか。この物くさは非凡な物くさであり、それだからこそ一転、非常なエネルギーと能動性に変じてのける。
 「物くさ太郎これを見て、ここにこそわが北の方は出で来ぬれ、あっぱれ疾く近づけかし、抱きつかん口をも吸はばやと思ひて手ぐすねをひき、大手をひろげて待ち居たり。女房これを御覧じて、供の下女を近づけて、「あれ何ぞ」と問ひ給へば、「人にて候」と申しければ、あな恐ろしや、あのあたりをば、いかにして通るべきぞとて、よけ道をして通りける。物くさ太郎これを見て、あらあさましや、あなたへ行くぞや、手のびにしては叶ふまじと思ひて、大手をひろげてつつと寄り、いつくしげなる笠の内へ、きたなげなる面をさし入れて、顔に顔をさしあはせて、「いかにや女房」といひて、腰に抱きつきて見あげければ、東西くれはてて、さらに御返事ものたまはず。往来の人これを見て、あな恐ろしや、いたはしやとて、おのおの見ては通れども、寄りつくものはさらになし・・・」
 何かを読んでゲラゲラ大笑いに笑うということを、久しぶりに経験させてもらった。岩波文庫の英断はオリジナルの挿絵をふんだんに載せたところで、今や世界を席巻しつつある漫画/劇画のルーツがこのあたりにあるのは、おそらく間違いないことと思われる。鎌倉に発した鳥獣戯画の魂が、室町に至って人の世界に進出してきた観がある。
***
 図書館でそのあたりを眺めてみれば分厚い研究書がいくつも並んでいる。手当たり次第に三冊ほど借りてきたが、その一つは単著で800ページもある。その冒頭近い一部分。
 「南北朝の時代にはしりが見られ、室町時代に最も盛行し、そのうねりが江戸時代前期まで続いた短編の物語群が厳然としてある。通常、お伽草子と総称されるものである。十四世紀から十七世紀にかけての約四百年間のうちに誕生し、その数は優に三百種を超え、四百種に達しようとしており、内容も多岐にわたる。言うならば、古代社会の終章まだ鳴りやまぬ中にあって、おもむろに近世社会の序章を奏で始め、かつ人々が極めて緩慢に近代的な自我を形成し始めた時代 ー 変革の中世も特に後期に堰を切って出た文芸である。」
 「これをお伽草子と呼びならわすことの是非はともかくも、約四百種を一括して扱う理由は、単に成立や享受の時期をほぼ同じくしているからだけではない。物語の形態や傾向、文体等がそれまでの散文には見られない一定の方向性にあり、そのテキストの体裁や形式に共通的な特性を有し、加えて作品相互が呼応・連関しあって総体を維持しているからである。すなわち、そこに時代的共通性と内容的、形態的共通性が認められるからである。」
 「この総体を明確な概念で具体的に規定すべきであろう。総体の枠組みは視点のおきどころ如何で漸次に拡大もし、また縮小もしたりして不定であるが、その中の個々の作品は例えてみれば一塊の星雲の中で定置を占め、独自に輝く煌星であるから、それぞれの作品を独立した存在として享受し研究しなければならない。そして、この豊饒な物語群は無論のこと唐突に出現したわけでもなく、またゆくりなくも消滅したのでもない。その形成のきざしは前代に求められるのであり、その変移と終焉は後代に見届けられる。さらに言うならば、お伽草子の星雲は他の文芸星雲とともに同時的に中世の文芸宇宙を共有し、互いに誘引しあう力関係にあった。」
徳田和夫『お伽草子 研究』三弥井書店 P.1-2
***
 御伽草子と総称されるものは室町後期から江戸初期に出現しているのだから、総体として「室町時代の文化遺産」と称して大きく間違いはなさそうである。室町時代は早々に幕府が求心力を失って応仁の乱から戦国時代に移行し、政治的にはパッとしない印象をもつが、それで片付けられないということを中学の歴史教科書の一行で知った。
 それは「あらゆる方面で、今日に至る日本人の生活の基調を為すものの多くが室町時代に形作られた」という趣旨の記述で、こういう一行があるから教科書は貴重であり、時に危険なのである。茶の湯・生け花・能狂言などがいわば上部構造として例に引かれるが、それを支える衣食住のあり方が「民衆」の間に広く深く浸透していったことこそ重要であったに違いない。
 畳なども起源は奈良・平安に遡るとして、鎌倉時代に座具から床材へ変身を遂げ、室町時代には室内の床全面を覆うようになる。一方で書院造り・数寄屋造りといった建築様式、他方で「正座」の習慣などが畳とともに住環境の標準形をつくり出すのが室町で、これを受けて江戸時代に畳が町人の生活にも普及する。多くのものがこれと並行して発展成長しており、「言語」もまたこの例に漏れず。たとえば以前から気になっている「気」の用法が出現し定着したのも、室町時代のいずれかの時点であることまでは調べがついている。
 室町時代は政治史上の標識によって、西暦1338年(足利尊氏による室町開府)から1573年(足利義昭の追放による室町幕府滅亡)と区分されるが、政治史に着目する限り、素朴溌剌たる鎌倉と充溢爛漫の安土・桃山・江戸にはさまれた狭間の混乱期にしか見えない。しかし文化に関しては、まったく違った絵が描けるはずである。たとえば御伽草子、そういうことだ。
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