5月5日は個人的に意義深い日だが、その前にこどもの日ということで、
起床と共に息子達にメールを送る。
今年は三人別の場所にいて、それぞれ元気なのがありがたい。
桜美林時代、この季節に通勤する楽しみがあった。
田園都市線で市が尾を過ぎ、鶴見川を渡ると右手に鯉のぼりが見える。
農家だろうか、広い庭先に歌の通り屋根より高い竿を立て、そこに立派な一揃い、
真鯉、緋鯉、チビ鯉たちが五月の風に勢いよく泳いでいる。
どこかのビルの宣伝用みたいに、荒巻の鮭様にぶら下がってはいない。
ああ、あれこそ鯉のぼりと嬉しかった。
ついでに、鯉のぼりの歌は「屋根より高い」ではなくて、「甍の波と雲の波」がいいなぁ。
めっきり耳にすることが減って、理由は「歌詞が文語だから」というんだが、そういうものなんだろうか。
「文語は若い者には受けない」と、オヤジの方が決め込んでるってことはないかな。
百瀬の滝を登りなば/たちまち龍になりぬべき/
我が身に似よや男子(おのこご)と/空に躍るや鯉のぼり
カッコイイじゃん!
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さて、今年の5月5日はA君の結婚披露宴に出かけてきた。
今は某大学博士課程で学ぶA君、桜美林時代から人気者で元気者だった。
メラニン産生系が欠損する先天障害のため、いわゆるアルビニズム。
肌は透き通るように白く、髪は染めたのではない金髪、そして高度の弱視。
苦労もあったに違いないが、桜美林へ進む頃には既に何か吹っ切れていたのだろう。
明るい性格で健常の学生達を巻き込んでリードし、市民活動の立ち上げも「趣味」として楽しむ風だった。
主体性も行動力も抜群でいて、甘え上手でへこたれない一面があり、教員からも学生からも実に愛されたのである。
福祉や心理の先生方は別に大勢おられる中で、なぜ彼が僕のゼミ指導を希望してきたか分からない。
指導と言っても「自学自習/自己責任」をモットーとする超放任ゼミだったから、彼がすべて自分で勉強したのであって、僕には彼を指導したという自覚も記憶もない。
それでも彼は僕のことを恩師と呼んでくれ、忘れた頃に連絡をよこし、嬉しそうに報告に来る。
今度は結婚の報告で、しかも2年前に入籍し、1歳半の息子さん連れの披露宴という。
旧弊なオジサンとしてはいささか秩序感覚を攪乱されつつ、ともかくワクワクと出かけていった。
皇居前を見下ろす都心の会場、用意されたCテーブルは恩師席とでもいうところで、小・中・高と彼を見守ってきた先生方、大学で接した僕、それに大学院の指導教授である全盲のK先生と奥様が円卓につく。
新婦もまた高校の途中から障害を得て弱視をもっており、このカップルを祝福すべく集まった人々の中にも、K先生はじめ視覚障害者が少なくない。耳の不自由な方もあるらしく、手話通訳者2名が司会者席の横に陣取り、会の最初から最後まで司会の言葉やスピーチを間断なく訳し続けた。
僕の左隣のK夫人、右隣のN准教授、たまたま二人とも福岡県の出身とわかり、「実は私、福岡の生まれで」と話が弾む。
「福岡市の、どのあたりですか?」
「赤ん坊の時代ですから見当がつかないのですが、何でも曙町という住所を聞いています。」
「曙町?まぁ懐かしい、私はそのお隣の、百道(ももち)なんですよ!」
「百道とは、百道の浜ですか?元寇防塁のある?よく連れていってもらったようで、写真も残っています。」
「まぁ・・・」
いっぽうのN准教授は仙台に住んで7年、紋切り型とは思いつつ震災後の様子をうかがうと、嫌がりもせずに体験を語ってくださる。
電気の 復旧は意外に早かったが、ガスに難渋した。
震災後にガス会社が最初にしたことは、火災を防ぐために全てのガス管を占めて回ること。
その後にあらためて復旧 した順に開栓していった。たいへんな人出が要ったことだろう。
自分のところにも、「中部ガス」の制服を着た職員が長いこと出入りしていた、等々。
和やかな会である。
A君の親友である全盲の音楽家は、巧みなスピーチで泣き笑いをとる。
「A君、幼稚園の頃、よく僕の見えない目の前にサッカーボールを転がしてくれましたね~」
島崎藤村の『若菜集』からの詩に、彼が曲をつけた箏の自演自唱が満場を沈黙させた。
A君がいかにオシャレであるか、胸に挿したバラの花や、ワインカラーのシャツ・ネクタイのことなど、夫人がK先生に逐一話して聞かせる。
「いや、そういうやつなんだよ、しょうがねぇなぁ、しかしそれがまた似合うんだよな」とK先生。
見えているのだ、はっきりと。
良い集まり、良い料理、役割の負担も何もなくて最高(と、この時点では思っていた)。
宴も半ばを過ぎ、いいかげん酔いが回ってきた頃、それまで個別に歓談していたCテーブルの7人が誰いうともなく「総合討論」モードになる。
それぞれの情報を出し合って、A君の生い立ちの軌跡を幼少期から今に至るまで皆でなぞり、それでいろいろと腑に落ちた。
大器は、もちろん一日にしてなるものではないのだ。
さて、お皿にはデザート、そろそろお開きかと思いきや、
「ではここで、サプライズ・スピーチに移らせていただきます。いきなりの御指名で恐縮ですが、新郎新婦からの御要望に従って二人の方にマイクをお渡ししますので、どうぞ御祝辞をお願いします。まずは新婦の方から〇〇様に・・・」
ははあ、こういうシカケだったのか。
油断させておいて、しこたま飲ませておいて、トリのスピーチを用意してあったわけね、しかもサプライズだって!
覚えてろよ~、これは高くつくからな・・・
マイクを握って僕がどんな話をしたか、内緒、というか思い出したくない。
愛情に溢れた話ではあったはずだが、A君はともかく、御両親に失礼がなかったかどうか。
直前に「総合討論」していたのが、せめてもの救いであった。
こどもの日、おめでとう!
本当にさわやかな好青年だな~と思ってました。お洒落な新郎姿を是非見てみたいです。