2017年12月18日(月)
昨夜の『陸王』、外部からの来訪者に対して受付嬢が自社側営業担当者のスケジュールを伝えるのに、「・・・と承っております」だって。
一発アウトね。視聴率の高いドラマは影響力が強いんだから、脚本しっかりしてほしい。
本日こちらはラジオ教材収録。長いインタビューを織り込むので自分の話すところは少ない、その中で「・・・について御質問を投げかけてみました」とやったら、すかさずディレクターからチェックが入った。丁寧語の「御」で自敬表現にはあたらないつもりだったが、なるほど紛らわしいのでそこだけやり直した。
インタビュイーがある集まりを「立て上げた」という表現、これは確認の物言いがつく。世間で「立ち上げる」というのがずっと引っかかっていて、「立ち上がる/立て上げる」ではないかと思っている。事実そのように言う人々もあるということでOKとなった。
午後からは客員のS先生が遠路はるばる収録に御来学、表敬ついでの短い会話の中で、公立教育における宗教/スピリチュアリティの取り扱いの遅れを大いに嘆かれた。遅れているというより、現場の教員らが萎縮し防衛的になっている図である。ならざるを得ない現状があり、「力をもつ側は大いに洗脳を行っていながら、現場に対しては洗脳してはならんと恫喝している」というのがS先生の憤りである。
僕にも苦い思い出がある。公立小学校の親の集まりで、それぞれ家庭で大事にしていることを話すことになり、「ウチは耶蘇なのでお祈りを欠かさないようにしている」と言ったら、最後の報告のところで僕の発言だけがきれいに飛ばされた。飛ばしたのは他校の保護者だが、たぶん「公立学校で宗教は御法度」と決め込んでいたのだろう。これはもちろん話が逆で、学校が特定の宗教を押しつけたら権力の乱用になるが、自由に語る設定の中で出てきた個人の宗教信条を選択的に無視したら、そっちのほうが人権侵害である。
このあたりのこと、「多様性」とか「人権」とかについて日本人は鍛え方が足りないのだけれど、中でも公立教育がいちばん遅れている、移民・難民との共生が世界ではあたりまえの時代に、これで良いのかというS先生のもっともすぎる痛憤である。全面的に同意共感。
盛り上がりすぎては収録が始まらないので、残念ながら自室に撤収した。今日の楽しみは『今昔物語』である。
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