散日拾遺

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『ねじクロ』補足

2014-07-08 20:23:34 | 日記
2014年7月8日(火)

 そんなに考えるまでもないことだった。
 北緯50度近いホロンバイルでは、太陽が深い井戸の底を照らす高さまで昇ることなど、年間を通じて起こりえない。
 
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 ナツメグの夫であり、シナモンの父である男が、惨たらしく猟奇的なやり方で殺された理由は不明のままであり、それを解き明かすポーズすら物語は示さない。こんな設定が何のために必要なのか?
 あるいはまた、シナモンが声を失った夜に庭を訪れ、動く心臓を埋めて去った謎の男たちのこと。
 現実以上に無秩序かつ野放図に、惨事と蛮行がばらまかれている。意味を見出すのが読者の仕事であるとしても、これはやりすぎだ。

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 ねじまき鳥のイメージには、惹かれるものがある。
 誰かがねじを巻き続けなければ、この世は動きを止めてしまうという、主題らしきもの。
 しかしそのメッセージと物語全体との関連が、どうも見通せない。こんな世界なら、ねじまき作業を放棄した方がよほどマシであるだろうに。

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 鳥と言えば、カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』に、繰り返し鳥が出てくる。「プーティーウィッ?」と鳴く鳥で、その意味は分からないし説明されてもいない。
 これまた、戦争のもたらす無意味な虐殺をテーマとしたものだが、『ねじまき鳥クロニクル』の描くそれとは違って、日本の諸都市の空襲と同じく、きわめて「要領よく」遂行された。
 奇妙なことに、ボコノン教徒あるいは無神論者をもって自任するカート・ヴォネガットのこの小説は、よく知られた祈りを読者に伝えている。

God, grant me the serenity to accept the things I cannot change; courage to change the things I can; and wisdom to know the difference.


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